2025.01.21 (Tue)

テクノロジーでビジネスの現場が変わる!(第81回)

ユーハイムの「バウムクーヘン専用AIオーブン」に込められた思いとは

 老舗の製菓会社である「ユーハイム」は2020年、バウムクーヘン専用のオーブン「THEO」(テオ)を開発しました。THEOには職人の技を学んだAIが組み込まれており、無人かつ自動で、バウムクーヘンを焼き上げます。THEOは日本に20台以上存在しており、全国各地で現在も稼働しています。

 同社がTHEOを作った背景には、「地球の裏側の人々にまで、おいしいバウムクーヘンを届けたい」という思いがありました。しかし、THEOが完成するまでには、さまざまな紆余曲折が待ち受けていました。

 なぜユーハイムは、AIでバウムクーヘンを焼き上げるオーブンの構想を思いついたのでしょうか?そして、どのように“AIオーブン”という、世界初の装置を作り上げたのでしょうか? THEOの誕生に隠されたストーリーを、同社THEO事業本部BX 事業開発室 部長の山田健一氏に聞きました。

日本からバウムクーヘンを運ぶのではなく、現地で焼くことに意味がある

 兵庫県神戸市に本社を構える株式会社ユーハイムは、洋菓子の製造と販売、カフェの経営等を手がける企業です。その歴史は古く、日本で最初にバウムクーヘンを作ったとされるドイツ出身の菓子職人、カール・ユーハイム氏が1909年に創業した洋菓子店から始まります。

 ユーハイムがバウムクーヘンにかけるこだわりは強く、同社のバウムクーヘンは本場ドイツで定められた「基本に卵、小麦粉、砂糖、バターを配合し、膨張剤を使用しない」という製法を守り続けています。この製法でバウムクーヘンを作るため、同社の職人は天候や素材の個体差に合わせて生地や焼き具合を調整しており、理想のバウムクーヘンを焼くためのオーブン(焼成機)にも、自社開発した専用の機器を使用しているといいます。

 並々ならぬ“バウムクーヘン愛”を持つ同社がTHEOを構想し始めたきっかけは、2015年に代表取締役社長に就任し、現在も同職を務める河本英雄氏のある体験からでした。

 河本氏は社長就任後の2016年、BOP(ベイス・オブ・ピラミッド)ビジネスという低所得層向け事業に取り組む知人の紹介で南アフリカを訪問した際、現地のスラム街にて、誕生日を迎えた子どもが、地元のお菓子屋さんで売られている飴玉の詰め合わせを父親からプレゼントされた光景を目にします。その子どもは、プレゼントとして飴玉を受け取ったにもかかわらず、独り占めすることなく、スラムの子どもたちに分け与えました。

 飴玉を貰った子どもたちがみな笑顔になる瞬間を見た河本氏は、これこそが現在のユーハイムの経営理念になっている「お菓子には世界を平和にする力がある」の理想的な姿であると確信し、「南アフリカのような、地球の裏側にもバウムクーヘンを届けたい」という思いを抱きます。

「日本でバウムクーヘンを焼いて南アフリカに届けるだけでは、単なる寄付と変わりません。持続可能性というBOPビジネスの考え方からは外れてしまいます。現地の人々を継続して支援するためには、バウムクーヘンを南アフリカで生産し、消費するという“地産地消”の仕組みを作る必要がありました。

 バウムクーヘンにこだわったのは、弊社の主力商品であることもありますが、『一人では食べきれず、みんなで分けて食べるお菓子である』という思いもあります」(山田氏)

理想のバウムクーヘンづくりに立ちはだかった2~3秒の通信遅延

 しかし、南アフリカでバウムクーヘンを作るのは簡単なことではありません。先に触れたように、ユーハイムはバウムクーヘンの作り方にこだわりを持っており、単に現地にバウムクーヘン焼成機を持ち運ぶだけでは作れず、職人の熟練の技も必要になります。

 河本社長がまず思い描いたのは、南アフリカの現地に焼成機を持ち込み、その操作を日本からインターネットを経由して遠隔操作し、焼き上げるというスタイルです。河本社長は菓子職人と設備スタッフに声をかけ、3人で実現方法を探り始めました。

 2016年に開発をスタートし、半年ほど経った2017年4月、河本社長は社内で「バウムクーヘンプロジェクト」を立ち上げ、THEOのプロトタイプともいえる「IoTバウムクーヘン焼成機」の実験機の製作に、産学連携で取りかかりました。ユーハイムの工場では、バウムクーヘンを焼く際の熱源にガスを使用していますが、IoTバウムクーヘン焼成機ではガスよりも設置場所を選ばない電気を熱源に採用しました。

 完成した焼成機は、機器に取り付けられたカメラと各種IoTセンサーによって焼成機の状態を可視化し、その映像とデータをもとに、ユーハイムの職人が現地の人にアドバイスを伝えることで、誰でも簡単に焼くことを狙ったものです。

 しかし、このIoTバウムクーヘン焼成機には、重大な問題が存在していました。

「国を超えて通信を行う場合、どうしても映像にタイムラグが発生します。バウムクーヘンを焼成機から取り出すタイミングは非常にシビアで、2~3秒の遅れでも品質に大きく影響します。ボタン一つで、自動で制御する焼成機も作りましたが、これもうまくいきませんでした」(山田氏)

 次に開発したモデルは、遠隔地の焼成機におけるバウムクーヘンの焼き色を画像解析しつつ、ユーハイムの工場から遠隔操作するというものでした。このモデルではロボットも組み合わせることで、バウムクーヘンを適切なタイミングで焼成機から取り出し、生地を重ねて層を作る工程を自動で繰り返す仕組みも導入しました。

 しかし、このモデルも失敗に終わりました。国内の自社工場では問題なく使用できたものの、現在の通信技術では海外に設置した場合にタイムラグが大きく、南アフリカでの運用は困難という判断に至りました。

AIに懐疑的だった職人たちの心をつかんだデータ

 河本社長をはじめとするプロジェクトメンバーが、次の一手を検討したところ、メンバーの一人から「ベテラン職人の熟練の技を機械学習でAI化し、その機器を現地に運ぶことで、職人によるバウムクーヘン作りを再現できるようにしてはどうか?」という助言が寄せられました。

 そして2019年1月からは、AIによってベストな焼き加減を再現できるバウムクーヘン職人「THEO(テオ)」の開発がスタートしました。

 AIを作るためには、カメラや温度センサーなどを使い、バウムクーヘンの各層の最適な焼き色と作業タイミングを学習する必要があります。プロジェクトメンバーはベテランの職人に協力を呼びかけましたが、『何十年もの経験で得た知見は人に教えるのが難しく、まして機械がくみ取れるとは思い難い』と、AIの実力に懐疑的で、色よい返事が得られませんでした。

 そこで河本社長は、今後も社内では職人の手で焼き続けることなどを丁寧に説明し続け、ようやく職人たちの理解を得ることに成功。実際にデータを取得すると、職人自身の技術も数値化されるため、自分たちの技術が確認できるというメリットがあることがわかりました。

 3人でひそかに始めた日から実に4年あまりの月日が経った2020年、ついにTHEOが完成しました。サイズは高さ177cm、幅77cm、奥行75cmで、1本のバウムクーヘンを約20分で焼きます。オーブン部分のフタにはガラスが取り付けられており、バウムクーヘンが焼きあがる様子を近くで見て楽しむことも可能です。

 「THEOの開発に当たっては、潤沢な資金が用意できたわけではありません。ユーハイムだけでは到底開発できるものではなく、電力、調理機器、画像解析、ロボット、AI、遠隔操作、デザインなど、南アフリカの子どもたちにバウムクーヘンを届けたいという思いに共鳴していただいた、さまざまな分野の専門家の方々からの協力があってこそ完成したと考えています」(山田氏)

THEOが出張することで、笑顔の輪が広がる

 完成したTHEOは、希望する企業に対して無償で貸し出すレンタル事業として使用されました。これはTHEOが完成した2020年が折しもコロナ禍の真っただ中であり、THEOを“派遣”すれば、売り上げが落ち込む飲食店の助けになるのではないかという考えから生まれたものです。

 「繰り返しになりますが、バウムクーヘンを作るためには専用焼成機が必要であり、かつ技術が求められるため、非常に参入が難しいです。THEOのレンタル事業では、生地作りの技術指導も併せて提供することで、焼き上がった本数だけ料金をいただく形でスタートし、THEO導入の障壁を低くしました。

 THEOを我々の工場で使うという方法も検討しましたが、ユーハイムでは1人の職人が同時に数十本のバウムクーヘンを焼くため、一度に1本しか焼けないTHEOを自社工場で使うのはむしろ非効率です。THEOが“出張”することで、焼く過程で発生した香りで人が集まり、その集まった人たちが作る様子を見て楽しみ、最後には焼きたてのバウムクーヘンが食べられるという、笑顔の輪を広げることが可能になります。まずは日本各地で使用することを優先しました」(山田氏)

 実際にレンタルサービスを始めると、同業の製菓会社だけでなく異業種からの依頼も多く、現在はホテルのビュッフェ会場や結婚式場、テーマパークなどにも、THEOが派遣されています。さらに、卵やバターの生産者がTHEOをレンタルする例もあります。


THEOがおこす7つのおいしい革命


「バウムクーヘンの味の半分は生地で決まります。そのため、味は良くても、サイズが規格外のため出荷できなくなった卵を、バウムクーヘンの生地の材料として有効活用することもできます。生産者側がフードロス解消と新たな収益源の開拓に、THEOを使うということもできるでしょう」(山田氏)

 ユーハイムでは現在もTHEOのさらなる改良に取り組んでいます。具体的には、ユーハイムに所属する複数の職人や他社の職人の作業データを元にしたAIを作り、それらを他社に提供して利益を得るというクラウドサービスを開発し、その利益の一部を職人へ還元することにより、職人の地位向上を目指しています。最初はAIに拒否反応を示していた職人も、「より良いお菓子を作りたい」「後継者に技術を伝承したい」といった職人魂に火が付いたようで、今ではTHEOを自分の弟子だと紹介するまでになっているそうです。

「現在は私たちから積極的にTHEOの設置を売り込むというよりも、お客様側から『こうやってTHEOを活躍させたい』というストーリーを聞き、その実現に協力する形でTHEOを提供しています。

 我々は最終目的である南アフリカへの展開の準備も進めていますが、THEOを海外に展開すれば、今は想像できないようなアイデアも出てくるでしょう。出会いの数だけストーリーが生まれます。我々はお客様の話を真摯に聞いて、自分たちにできることに一生懸命になりたいと考えています」(山田氏)

 ユーハイムの創業者であるユーハイム夫妻は戦禍や関東大震災を経験し、戦争中に捕虜となったり仲間や財産を失いながらも、お菓子を通して世界が平和になることを信じていたといいます。その思いはTHEOによって、そう遠くないうちに南アフリカにも届くことでしょう。



<インタビューイープロフィール>

山田健一(やまだ・けんいち)
1993年、ユーハイムに入社。営業や企画、海外勤務などを経て、同社の「南アフリカの子どもたちにお菓子を届けたい」という思いから始まったAIバウムクーヘン職人「THEO」の開発プロジェクトに参画。子会社のフードテックマイスター常務取締役として、THEOの派遣事業を通じた社会課題解決に努めている。

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