2024.03.29 (Fri)

ビジネスを成功に導く極意(第61回)

高円寺の老舗銭湯が挑む「あえて無駄を残す」DX

 週末には1,000人以上が訪れる人気老舗銭湯の小杉湯では、「あえて無駄を守る」という考えを大事にしながら、銭湯文化の産業化に向けた独自のDXを進めています。

高円寺で人気の銭湯の裏にデジタルあり

 仕事で疲れた時や、ちょっとした気分転換に「銭湯」を利用している人は多いかもしれません。広い湯船に浸かり、足を伸ばしてボーッと過ごす時間は、自宅での入浴とはひと味違う体験といえるでしょう。

 しかし、日本の銭湯は年々減少しています。東京商工リサーチの調査によると、2022年の銭湯の数は1,865軒。これはピークだった1968年の17,999軒の約1割程度の数字です。同調査ではさらに、設備の老朽化や燃料高騰、後継者不足も重なり、2032年には1,000軒を下回る可能性があるとしています。

 このように銭湯の経営環境は非常に厳しい状況にありますが、一方でこうした苦境に対し、ITで解決法を見出している銭湯もあります。そのひとつが、東京都杉並区の高円寺にある「小杉湯」です。

 小杉湯は1933年に創業した老舗銭湯ながらも、ビジネスの一部をデジタル化したり、SNSで集客を行うなど、DXによる数々の業務改革を実行しています。その結果、平日は500人~600人、週末には1,000人~1,200人もの入湯客が訪れる人気店となっています。

 小杉湯は、銭湯という“レガシー産業”をDXでどのように変えたのでしょうか?株式会社小杉湯 COO(最高執行責任者)兼 番頭の関根江里子氏に話を聞きました。

ビジネスモデルに課題は多いが、銭湯は社会に求められている

 小杉湯は、JR高円寺駅から北に徒歩5分ほど歩き、商店街を抜けた一角にあります。神社仏閣を思わせる宮造りの外観は、オープン当時のデザインをそのまま引き継いだもので、創業当時に流行した、関東大震災の復興シンボルである「唐破風」の屋根を採用しています。

 建物の中に入ると、木製の下駄箱や富士山の壁画という、いかにも“レトロな銭湯”といった設備が目に入りますが、太陽光を採り入れる高い屋根に、清潔さの象徴ともいえる真っ白な壁など、細部にこだわりが見られるインテリアとなっています。浴槽はジェットバスや名物ミルク風呂など4種類が用意されています。

 この小杉湯の番頭を務める関根江里子氏は、大学卒業後にとある企業の取締役を務めたキャリアを持ちながら、一転して子供の頃から好きだった銭湯の世界へ転身するという、異色の経歴の持ち主です。

 銭湯を愛する関根氏ですが、銭湯というレガシー産業の未来については、極めてシビアな目を向けます。

株式会社小杉湯 COO 兼 番頭 関根江里子 氏

 「銭湯業界全体は、ビジネスモデルに課題が残っているのが現状です。銭湯のような一般公衆浴場の入浴料は、物価統制令によって各都道府県の知事が上限額を指定しています。例えば東京都であれば『520円』です。

 その一方で、運営主体が株式会社であれば法人税は通常の企業と同じように支払う必要があります。多くの銭湯は補助金や助成金がなければ経営が困難な状況です。特に小杉湯の場合は、国の登録有形文化財でもある建物の修繕に、毎年数百万円が必要になります」

 関根氏は銭湯業界に対し厳しい目を向ける一方で、銭湯は社会の中で重要な役割を担っているとも指摘しています。

 「小杉湯のような町の銭湯は、人と人が行き交って、そこで緩やかな関係性が生まれるという、コミュニティ生成の役割を担っていると考えています。

 私が銭湯の経営を志したのも、前職で取締役を務めていた際、ある銭湯でおばあさんが私に声をかけてくれた経験があり、『こういう場って、あまり無かったな』と思ったことがきっかけでした。小杉湯では、こうした銭湯が本来的に備えているコミュニティ的な側面を重視した経営をしていきたいと考えています」(関根氏)

単なる物販ではなく、小杉湯の“思い”も売る

 ビジネスモデルが破綻しつつある銭湯業界で、どうすれば生き残っていけるのか、小杉湯が力を入れたのは「物品販売」でした。

 銭湯における物品販売といえば、入浴に使うタオルやカミソリ、またはお風呂上がりに飲む牛乳やコーヒー牛乳などが一般的です。しかし、小杉湯における物品販売は手が込んでいます。

 「小杉湯では銭湯を『ケの日のハレ』、つまり“日常の中の非日常”と定義しています。そのため販売する商品も、今治タオルや瀬戸内発のデニムブランド『ITONAMI』とのコラボグッズ、クラフトコーラや全国各地のご当地ドリンクなど、一般的なコンビニやスーパーでは出会えない商品を用意しています。銭湯へ訪れた方々に、ちょっとした幸せを感じていただこうと考えています」(関根氏)

 関根氏によると、重要なのはこれらの商品をただ売っているのではなく、小杉湯がなぜそれを販売するのかというメッセージを含めて提供していることだといいます。

 「ただ単に品物を売るのではなく、小杉湯が大切にしている思想もあわせて販売するようにしています。例えばITONAMIとのコラボした羽織は、1年前に入湯客から回収したデニム素材で糸を作り商品化したものです。モノを長く、大切に使ってもらいたい、という思いが込められています。

 今治タオルは、小杉湯が入湯客へ貸し出しているものと同じもので、小杉湯の刺繍が入っています。銭湯に来てタオルをレンタルして気に入った人に、小杉湯の外でも同じ使い心地を体験していただきたい思いがあります」

販売管理と経理のデジタル化で、業務を月10時間削減

 小杉湯が扱う商品の数は年々増加しており、今では数百種類にまで及んでいます。こうした商品を効率よく管理するために、どの商品が何点売れたかが可視化できるレジアプリを導入しました。アプリはキャッシュレス決済にも対応しているため、入浴客の利便性向上にも貢献しています。

 「小杉湯は浴室内にシャンプーやボディソープを用意しており、タオルのレンタルも行っているため、手ぶらで来ていただいて問題ありません。アプリの導入でキャッシュレス決済に対応することで、財布を持たずに利用いただくことが可能になりました」(関根氏)

 経理業務においても請求書管理サービスを導入し、請求書発行や支払い処理をデジタル化しました。特に、同サービスに搭載されているバーチャルカード機能(物理的なカードを持つことなく、カード決済が行える機能)は、経費精算業務の効率化に貢献したといいます。

 「小杉湯では企業とのコラボ企画を数多く実施しているため、どの発注がどの企画のものかを照合するのが大変でした。しかしバーチャルカードを利用すれば、利用明細がプロジェクトごとに自動的に分かれるため、どの企画の発注分かをすぐに把握できるようになりました。

 物品を購入する際も、以前はスタッフがまず立て替えて支払い、その領収書を紙に貼り付けて、経理担当者に提出していました。バーチャルカードであれば、その手間がなくなり、1人当たり月間30分から1時間の作業時間を削減できています。毎月約10人が精算業務をしていたと考えると、1カ月に約10時間分は効率化できたことになります」(関根氏)

SNSは非効率でも従業員みんなで発信

 小杉湯では、顧客とのコミュニケーションもデジタル化しています。小杉湯のX(旧Twitter)アカウントでは、企画の宣伝だけでなく、銭湯の混雑状況をはじめ、さまざまな情報を発信しています。

 小杉湯のSNS運用は、特定の担当者が存在するわけではなく、スタッフが交代で担当しています。

 「実は大人数で運用しているので、誰が投稿したのか把握しきれないほどです。でも、情報発信を効率化しすぎないのが銭湯らしくていいと思っています。小杉湯では、世の中に無駄や余白を残しておくことを意識していますから」(関根氏)

 SNSで混雑状況を発信するきっかけとなったのは、Googleレビューに「小杉湯は混んでいる」と多く書かれていたことでした。

 「小杉湯の営業時間は、平日は15時半~25時半で、土日祝は朝8時から営業しています。夜は入場を制限するほど混んでいることが多いですが、一方で空いている時間もあるので、それをご案内する意味も込めて、混雑状況を発信しています」(関根氏)

減らすべき無駄もあるが、残すべき無駄もある

 さまざまな面をDX化している小杉湯ですが、一方で「入湯客の行動を変えるようなテクノロジーやITシステムは導入しない」というポリシーも掲げています。

 「小杉湯ではアプリを導入しましたが、現金も以前と変わらずに使えます。キャッシュレスを希望するお客さまにも対応できるように選択肢を増やしただけで、基本的にはお客さまの行動は変わりません。行動を変えることなくメリットが出せるシステムを導入する、それが小杉湯のDXが成功した秘訣だと思います。

 実は小杉湯では細かい面で調整をしており、例えば元々流していた音楽を、認知症予防に効果があるとされる音楽『ガンマ波サウンド』に編集して流しています。これらは入湯客の行動を変えるものではありません。そうした、皆様が気づかないけれども、メリットがあるテクノロジーの導入を、これからも続けていきたいと考えています」(関根氏)

 一般的な銭湯では、入り口に入浴券の販売機を設けているケースもありますが、小杉湯では設置していません。これは単に設置スペースがないことも理由の1つですが、受付時のちょっとしたコミュニケーションを残したいという意図もあるといいます。

 「券売機を置いたら会話がなくなった、ということにはしたくないです。便利さと引き換えに、銭湯ならではの無駄や余白がなくなってしまうのが一番もったいないと思っています。“残すべき無駄”を、いかに大事に守っていけるかが小杉湯のテーマです。だからこそ、“削減すべき無駄”である業務をデジタルで効率化する一方で、コミュニケーションという“残すべき無駄”を消してしまわないよう気をつけています」(関根氏)

レガシー産業でDXを進めるために必要なこと

 小杉湯は2024年4月に2号店を原宿にオープンし、関根氏が同店の代表に就任する予定となっています。その原宿店においても、1号店と同様のテクノロジーが導入されます。従業員数は倍増するため、すでに勤怠システムとシフト管理ツールを刷新しています。

 「シフト管理にも新しいアプリを導入しました。スタッフが希望の条件を出せば自動でシフトを組むというもので、以前は月に5時間から10時間かかっていたシフト管理が約30分にまで短縮される見込みです。

 今後は取扱商品の発注や在庫管理もシステム化していく予定です。もちろん勘や経験で発注しても、その予想はある程度は当たりますが、感覚ではなくデータに基づいた事業運営を推進したいと考えているため、過去の発注や売上から必要な数を予測して発注していく方法に変えていきたいと思います」(関根氏)

 銭湯というレガシー産業を変えてきた小杉湯ですが、実はこうした変化は、簡単に進んだわけではありません。実際、レジアプリの導入後、従業員が慣れるまでにはある程度の時間がかかったといいます。請求書管理サービスについては、そもそも導入するまでに数カ月もかかったといいます。

 関根氏は、それでも小杉湯でDXが進められた背景には、従業員やスタッフの存在があったと話します。

 「これまで小杉湯はさまざまなものを変えてきましたが、社内で抵抗する人はほとんどいませんでした。若いスタッフが多かったこともありますが、小杉湯で今なにが課題になっているかを皆が把握し、DXによるメリットを共有できていたからこそ、導入を比較的スムーズに進められたのだと思います。

 私たちのようなレガシー産業でDXを推進するためには、会社視点ではなく、現場で働く人の視点でメリットを具体的に伝えることが大切だと感じています。現場スタッフに会社全体のメリットを伝えたとしても、導入のモチベーションは上がりません。

 従業員の行動を極力変えずに、裏側の業務が楽になる。こうした取り組みを重ねていくことで、銭湯業界のようなレガシー産業だとしてもDXを推進していけるはずです」(関根氏)

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