オートバイや船舶、自転車などを中心とした輸送用機器メーカー・ヤマハ発動機は、2018年1月1日付で、柳弘之社長が代表権のある会長に就く人事を発表しました。柳氏はリーマン・ショック後の業績が低迷していた時期に社長へ就任し、同社の業績回復を主導した人物です。そのリーマン・ショック後の業績悪化は、同社にとって一番の危機だったともいわれています。
その危機に陥った原因が4つあったことから柳氏は「四重苦」と呼び、その複合的に重なり合う苦境から脱するべく、さまざまな改革に取り組んだのです。
新興国の成長により約1年でV字回復
柳氏がヤマハ発動機の社長に就任したのは2010年3月。この年、同社は創業以来の危機に直面していました。
2009年12月期には2,161億円もの純損失を計上。それを受けて同年10月末に梶川隆氏が社長を引責辞任しています。その後を戸上常司氏が引き継ぎましたが病気で入院したため、同年12月4日には木村隆昭氏が代行として代表取締役に。そして翌年3月に柳氏が正式な社長に就任します。半年足らずの間に社長が4回も交代しており、外部からは業績低迷による混乱と映りました。
柳氏はこの業績不振の原因が4つあるとし、それらを「四重苦」と呼んでいました。その4つとは、リーマン・ショック後の先進国での急激な需要減少への対応が遅れたこと、膨らみすぎた在庫問題、過度の成長路線で膨らんだ固定費、そして為替変動による超円高です。
輸出への依存率が高い企業で、これだけ不利な環境だったにも関わらず柳氏は、早くも2010年12月期には黒字転換を果たしました。本人は、新興国の急激な成長のおかげで幸運だったと語っていますが、その後もV字回復が続いたことからも、決して運任せであったとはいえません。
四重苦を解消させたのは新製品の開発中止!?
リーマン・ショックが起きたとき、柳氏は国内外の生産体制を統括する生産本部長に就いていました。リーマン・ショックで先進国の需要が急激に減少すると、それまでの成長戦略をベースにした生産体制では過剰となり、在庫が膨らみます。柳氏は統括者として構造改革チームを編成し、対策をまとめる指揮を取りました。チームの課題は、生産設備などをスリム化して数百億円単位のコストダウンを実現させることです。この構造改革チームで対策を練って実践、というタイミングで、柳氏は社長に就任となります。
社長となった柳氏は、2つのテーマを掲げて対策の実践を始めました。1つは売上よりも利益を重視した損益分岐点型経営を目指す。2つめは「ヤマハらしさ」を再定義して、もの作りで存在感のある企業にすることです。
1つ目のテーマを達成するため、工場の集約化と製品のプラットフォーム化でコスト削減を図ります。まず工場の集約化としては、リーマン・ショック前は10カ月分の在庫を抱えることを前提としていた生産設備を、6カ月分の前提に切り替えて工場のラインや工員の配置などを整理します。あわせて新製品開発の一切を中止しました。
リーマン・ショック前の新製品開発は、製品ごとに開発や部品調達を行っており、多種多様な工数を経ていたため高コスト体質となっていたのです。そこで工数を集約するために、従来の体制で行われていた新製品開発をいったん中止します。工場だけを集約化しても目標とする数百億単位のコストダウンは難しく、開発体制も刷新しないと損益分岐点型経営を実現できないと柳氏は考えていたのです。
ヤマハらしさとプラットフォーム化のジレンマ
開発のコストダウンを図る施策が、製品のプラットフォーム化でした。製品のプラットフォーム化とは、エンジンや車体の骨格であるフレームを、複数の製品で共通化することです。エンジンとフレームを共通としながらも、タイヤやライト、ハンドル、シートなどの部品を変えることで、多種類の製品ラインアップが可能となる開発になります。この製品のプラットフォーム化を行えば、エンジン・フレームを開発する回数を削減できるわけです。またエンジン、フレームの生産ライン数や、全製品ラインアップで必要な部品の種類なども集約されて、工場の集約化への波及効果も期待できます。
ところが製品のプラットフォーム化には、バイクならではのジレンマがありました。バイクは、4輪に比べて実用より趣味やレジャーという部分を前面に打ち出している乗り物です。そのためエンジンやフレームが共通化=画一化されれば、性能やデザイン面で個性を打ち出す際の制約になることが考えられます。また、同社のバイク市場は世界規模だったため、新興国では実用性、先進国では趣味性というように異なる需要が混在していたため、プラットフォーム化を行いながら異なる需要にこたえるのは一筋縄ではいきません。
このジレンマを解消するために、柳氏はそれまで別々だった設計・実験・製造技術・コスト開発の各部門を統合したデザイン本部を創設します。それまで異なる部門にいたメンバーたちが同じ部署に集まることで、さまざまな要求を満たせるプラットフォーム化を前提とした開発を協議できるようになったのです。これにより新製品開発が再開されました。
デザイン本部の創設はプラットフォーム化の協議と同時に、社内で漠然としたイメージだった「ヤマハらしさ」という製品像を議論し、言語化する場にもなりました。デザイン本部は部署間の垣根を取り払うだけでなく、2つ目のテーマである「ヤマハらしさ」を再定義して、もの作りで存在感のある企業にする場でもあったのです。
その一貫として2016年末には、総工費21億円を投じてデザイン本部の拠点となる、さまざまな開発設備を集約したイノベーションセンターを建築。「ヤマハらしさ」を体現するデザインづくりの強化を行います。そして生み出された製品たちは、プラットフォーム化と「ヤマハらしさ」の両方を実現して、市場の需要にも応え、柳氏が幸運と評していた1年目のV字回復を現実のものにしました。
困難なときこそ守りだけでなく攻めにもチャレンジ
柳氏は四重苦を乗り越えられた理由として、社員たちが絶望的な状況だった先進国市場を諦めなかったことも重要だったと述べています。先進国市場では、高性能で高級なフラッグシップモデルと呼ばれるメーカーの技術力やブランドイメージを体現するような商品が売れます。先進国市場を諦めることは、開発コストの削減には繋がりますが、技術成長の鈍化や、ブランドイメージの低下にもつながりかねません。だからこそ社員は、先進国市場を諦めなかったのです。
在庫削減や新製品開発の一時中止といったコストダウンだけでなく、先進国市場を諦めない、デザイン本部のイノベーションセンター建設といった投資も行ったヤマハ発動機からは、困難なときこそ守りと同時に、攻める改革にも挑戦できるタフさがV字回復には必要だということを学べます。その攻めには「ヤマハらしさ」というテーマがあったからこそ、社員も諦めずに挑戦を行えたのでしょう。
※掲載している情報は、記事執筆時点(2018年4月4日)のものです。
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