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2017.08.30 (Wed)

元気な企業はどこが違う?成功企業の戦略とは(第36回)

“脱”孫請けを実現した中小企業から学ぶ成功の秘訣

posted by 津山 角雄/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

 高い技術力を持った中小企業であっても下請けの下請けである孫請け業務が多いと、取引先や業界の盛衰に影響を受けやすい企業体質になりがちです。金属の精密切削加工事業を行なっていたスズキプレシオンも、1990年代までは孫請け業務が主を占めていたため、経営が不安定な中小企業の1つでした。

 同社はこれまでの経営状況を鑑みて、景気に左右されにくい業界、医療分野への参入を決断します。同時に孫受けからの脱却する経営体質の変革を試みます。新規参入と孫受けからの脱却には多くの障壁がありました。それでもスズキプレシオンは、自社の技術力や外部機関との連携で見事に障壁を克服し、現在は医療機器の分野で成功を収めています。

高い技術力が経営に反映されなかった孫請け時代

 スズキプレシオンは1961年に創業した、金属の精密切削加工を得意とする企業です。栃木県の中部に位置する鹿沼市にある同社は、1990年代までハードディスクドライブ部品や半導体製造装置、自動車部品などの金属部品生産の孫受けが事業の中心でした。

 チタンやステンレスといった切削加工が難しい素材にも対応できる高い技術力を持っていたため、半導体製造装置や自動車レースのF1カーの部品といった特殊な依頼も受けていました。どのような依頼であっても、断ることなく取り組むという姿勢や、元請けの思った通りの製品を作る技術力で高い評価が集まっていた企業です。

 しかし評価とは裏腹に、同社の業績は安定しませんでした。まずは1990年代のバブル崩壊から、大手製造業は人件費の安い国への生産拠点の移転を加速。これにより、同社の受注量は減少。特に事業の大部分を占めていたハードディスクドライブ関連は、業績が大きく落ち込みました。

 さらに追い打ちをかけるように、2001年には大口取引先の倒産により、負債を抱えてしまったのです。このような孫受け体質のため、経営は外部環境次第という不安定な状況が続いていました。

 このころから同社は、孫請け体質からの脱却を模索し始めていました。そこで景気に左右されにくい業界である医療分野への参入を決意します。あわせて孫請けから大手メーカーとの直接取引に転換するため、2005年から人材や設備などの体制を整え始めました。

法改正をチャンスと捉えて、新規参入を決断

 スズキプレシオンは医療分野においては、1990年代から歯のインプラント用の部品加工などを孫請けしており、技術面の経験はゼロではありませんでした。さらに、2005年に薬事法改正があり、製造や安全対策、製品流通に関する医療機器等製造販売業・製造業・修理業に関する規制が改正されたことも参入を決意させる後押しになりました。ここで早期参入すれば、他社との差別化や優位なポジションを得られるチャンスと見たからです。

 しかしメーカーとの直接取引を目指す同社の前には、さまざまな障壁が立ちふさがります。その1つが、孫請けとして部品を納入するときには必要なかった医療機器等製造業許可の取得です。自社製品を医療機器メーカーと直接取引する場合には、まず許可を取得しなくてはなりません。

 許可取得のためには、人材や設備への大きな投資が必要でした。人材面では2005年に新設した設計開発部門へ、設計担当顧問や医療機器の専門職を新規雇用します。

 同時に、医療機器機の工場として認可されるのに必要な基準をクリアするために、レイアウトや空調などの設備の改修を、3年間かけて行いました。

新規参入を成功させた鍵は、産官学のネットワーク

 スズキプレシオンが、直接取引ができる医療機器等製造業の許可を3年で取得したことは、異業種からの新規参入ではスムーズな部類だといわれています。このように同社が新規参入への障害を短期間で乗り越えられたのは、外部との連携という大きな助けがあったからです。

 連携の始まりは、同社を含めた地元鹿沼市の中小企業12社で組織した「モノづくり研究会」が、その技術力を、2006年に自治医科大学へプレゼンテーションしたことが始まりでした。そのことから自治医科大学との連携が始まり、同社は自治医大学との連携を手始めに、医療機器に関する情報を集めるネットワークを作り始めます。

 工場設備や許可申請、製品の特許出願といった医療機器部品の製造で障壁に遭遇すると、同社は大学などの研究機関に加え、大手医療機器メーカーのOBや医療機器専門の商社からの助言を集めることを積極的に行います。さらに、この医療機器に関するネットワークを拡大させたのが、2008年から参加した、経済産業省の「医療機器分野への参入・部材供給の活性化に向けた研究会」でした。研究会では、行政機関や企業、大学、研究機関といった産官学の専門家たちとのつながりを持つことができたのです。

 さらにそのネットワークから、提携は共同研究や試作品開発まで発展しました。その共同研究や試作品開発などを行う中で、自社ブランドで医療機器の製造と販売が可能となる第一種医療機器製造販売業の許可を、同社は2010年に取得します。そして2015年には内視鏡用手術器具の自社開発に成功し、医療機器部品メーカーとして一歩を刻むことになったのです。

 これらの医療機器関連への進出により、同社の2015年2月期の決算の売上構成比は、医療機器関連が50%、自社開発の工作機械が20%、その他(自動車部品、半導体製造部品など)が30%という構成になっています。医療機器関連と自社開発の工作機器においては他社製品よりも高品質な機能を搭載したことで、差別化に成功。この差別化により孫請け体質で難しかった自社製品の付加価値を高められるようになり、利益率の高い事業を創出できました。同時にメーカーに加えて、直接取引や孫請けと事業を多様化させることで、リスク分散型の経営も実現しています。

 売上で孫請けの比率が高いと、元請企業や景気の影響を受けやすくなります。そこからの脱却を考えている企業は多いでしょう。しかし、自社の技術力を転用できる業界への参入を思いついても、その業界のネットワークを知らないと、参入へのハードルは高くなります。

 スズキプレシオンは医療機器への参入の経験から、技術面だけでなく、変革に必要な情報を収集するネットワークの重要性を実感したそうです。また、そのネットワークに頼るということではなく、自らが得意とすることを発信することによって、同社には共同研究や試作品開発の依頼も届くようになりました。このようにスズキプレシオンが新規参入で成功したのは、単なる技術転用だけではなく、経営体質の変革を求めたことと、それに必要な情報収集を積極的に行ったことです。スズキプレシオンはネットワークを活用しながら、今も経営の変革を続行しているそうです。

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http://www.smrj.go.jp/keiei/dbps_data/_material_/b_0_keiei/chosa/pdf/suplyerhonbun3.pdf

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津山 角雄/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

三重県の山間地から様々な情報を発信するマルチなライター。2005年から7年間、農業をしながらエッセイを寄稿(雑誌「地上」(家の光協会 刊))。現在はWEBメディアを中心に、パソコン関連、住宅関連など数多くのテーマを手がける。また、地元の地域ボランティアに20年在籍し、リーダーも努めている。

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