日産自動車はバブル崩壊後の1990年以降、販売不振による経営危機に陥りました。1999年には6,844億円の赤字を計上。上場企業としては当時のワーストの赤字額であり、世間の注目を集めました。
同年、フランスの自動車メーカー、ルノーの副社長であったカルロス・ゴーン氏が、同社に最高経営責任者として就任。ゴーン氏は就任から短期間でV字回復を成し遂げます。その評判は世界にも発信され、2003年にはアメリカのビジネス誌「フォーチュン」にて、「アメリカ国外にいる10人の最強の事業家の1人」として取り上げられたほどでした。
なぜ日産はこのような劇的な業績の改善ができたのか。その鍵となったゴーン氏の経営戦略に迫ります。
ゴーン氏は日産の危機に対し、まず何から取り組んだのか
1990年代は日産だけでなく、他の企業も含めて自動車業界全体が低迷していた時代でした。特に1999年は、軽自動車の躍進があったものの、軽自動車以外の新車登録台数は399万台となり、14年ぶりに400万台を下回りました。加えて、携帯電話などIT機器の普及が重なり、消費者の支出が自動車業界から離れる流れができていました。
そんな中で、日産は2兆円という高額の有利子負債を抱えており、いつ倒産してもおかしくない経営危機を迎えていたのです。
同社はこの危機の打開策として、フランスの自動車メーカー、ルノーと資本提携を結びます。それにより、同社がルノーの傘下に入ると同時に、当時ルノーの副社長であったゴーン氏が最高執行責任者(COO)に就任します。
ゴーン氏は同社に就任した直後、「日産リバイバルプラン」を発表します。その中には、3年間で20%のコスト削減、そして最適生産効率と最適コストの達成が掲げられました。この目標を達成するためゴーン氏は、新商品の開発と販売、グループ人員の削減を実施。さらに下請企業の整理を行い、部品の一括購買によるコストの最適化を実施しました。
結果、この「日産リバイバルプラン」は、短期間で目標を達成することに成功しましたが、ゴーン氏はさらなる目標として、
2002年4月に新たな計画「日産180」を発表します。その内容は、3年間でグローバルでの販売台数を百万台まで増やすこと、8%の連結売上高営業利益率を達成すること、そして負債を無くすことでした。これも、2004年度達成しています。
ゴーン氏は明確な数値目標を掲げ、それを短期に達成し続けることで、同社を復活へと導いたのです。
社員それぞれに目的意識を持たせた、ゴーン氏の現場主義とは
同社がV字回復できた要因のひとつに、ゴーン氏の「現場主義」があります。
1990年代の日産は、決して明るい状況ではありませんでした。バブル崩壊の影響で売り上げが低迷。部品調達コストの削減にも度々失敗し、さらにデザイン部門もリストラを断行したことで、新車開発能力が弱体化していました。
しかしその状況は、ゴーン氏の就任により一変します。
ゴーン氏は人材や資産の大規模な再編、下請け企業の整理を断行する判断材料として、社員との対話を重視しました。社員との対話から、各部署の問題点をまとめあげ、明確な数値目標を設定したのです。そしてその目標を、管理職だけではなく、全社員に徹底して周知しました。数値目標によって社員1人ひとりが明確な目的意識を持つことができ、社内は団結して1つの方向を向くことになったのです。
ゴーン氏はさらに、こうした目標を周知するだけではなく、自ら生産・開発の現場に何度も足を運び、スタッフの声に耳を傾けました。このような現場主義により、末端の社員にも目的意識が生まれ、改革が進んだのです。
さらにもう一点、ゴーン氏の取り組みとして参考にすべきことがあります。それは自社製品への愛着です。ゴーン氏は愛車を日産車として、私生活でも自社製品への愛着を忘れることはありませんでした。また各メディアにも積極的に露出して同社への思いを語ることで、顧客や従業員からの信頼を獲得していきました。
V字回復のヒントは現場にある
どれだけ優れた経営手法も、机上の空論では意味がありません。組織を根本的に立て直すには、全社員が一丸となることが重要となります。ゴーン氏は組織を一丸とするため現場に赴き、日産への愛を語りつつ、そして現場で得た意見や着想を活用することで、V字回復へとつなげていきました。
2017年2月、日産はゴーン氏が社長兼CEOから退任し、引き続き会長職を務めることを発表しました。すでにルノー・三菱自動車の会長も務めているゴーン氏ですが、この役員体制の変更によって、3社のアライアンスの拡大と経営に集中する狙いがあるといいます。
この3月で63歳となったゴーン氏はいま、かつて瀕死の状態だった日産を含む、販売台数で世界第4位の自動車グループを、トップ3に押し上げるという大仕事に臨もうとしています。
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