家族経営による「民宿」は、地域経済の衰退や、競合の増加、後継者不足などによって経営不振や廃業という苦境に立たされています。しかし、日本海に浮かぶ隠岐諸島の島根県海士町(あまちょう)は、島ぐるみで民宿を支援することにより、大入り宿へと変貌させました。海士町はどのような取り組みで客足を取り戻したのでしょうか。
地方の民宿に吹き付ける3つの「逆風」
厚生労働省が毎年取りまとめている「衛生行政報告例」によると、2016年の旅館業は、民宿や旅館などの旅館営業の施設数が3万9,489件で、前年度比マイナス2.9%となっています。さらに旅館営業の施設は、平成元年の1989年には8万件近く営業していたのが、平成の間で半数近くまで減少してしまったそうです。逆にホテル営業は2016年度に初めて1万件を突破し、ゲストハウスなどの簡易宿泊営業も2万9,000件を超え、両者は年々増加しています。このように旅館業においては、旅館営業のみが衰退を辿っています。
旅館営業の中でも特に地方の民宿が衰退し、苦境に立たされています。その衰退に拍車をかけているのは、地域経済の衰退、競合の増加、そして後継者不足という3つの点です。
1つ目の地域経済の衰退の原因は、現在の地方では人口の減少と高齢化が並行に進んでいます。それによって働き手が不足し、地域経済の主力であった産業が弱体化して、経済規模が縮小しているとされています。観光が主力産業の1つである地域の民宿は、その影響を被りやすいのです。
2つ目の逆風が、ホテルやゲストハウスといった競合の増加です。リゾートなどの観光目的ならば、清潔感や食事などといったサービス面で、一定レベル以上が期待できるホテルというように宿泊客の嗜好が変化しました。さらにゲストハウスなどのルームキーなしで大部屋、相部屋などの条件で宿泊をさせる「簡易宿所」では、スタッフが友人感覚で接する、外国人観光客に対応するといった新規参入が増加。これら競合が民宿離れを加速させる一因となっています。
3つ目が、後継者不足という深刻な問題です。厚生労働省のデータによると、ホテルや簡易宿所も含む旅館業全体の半数以上の経営者は60歳以上となっています。さらに60~69歳の4割近く、70歳以上の3割近くは「後継者なし」と回答しています。これは旅館や民宿のみのデータではありませんが、民宿の多くは家族経営のため親子間での継承が多いです。しかし子の世代は、地域経済の衰退から地方を離れる、他業種に就くなどしています。そのため後継者が確保できないのです。
これらの理由により、民宿は年々数を減らしています。そんな状況において、島根県海士町はどのような取り組みを行っているのでしょうか。
離島の特色を活かした地方創生で民宿も
島根県海士町は、民宿のような観光業に限らず、漁業や畜産などの産業振興で地方創生を達成した自治体として、しばしば名前の挙がるような存在ですが、2000年ころの海士町は違っていました。ほかの地方自治体と同様に地域経済が衰退し、財政難に苦しんでいたのです。また、政令都市が誕生した平成の大合併においても、海士町は島内の他町村との合併にメリットがないと判断し、独立した道を歩むことを選択したため、財政に大きな改善がありませんでした。
そして、2003年に大きな危機が訪れます。自治体の重要な財源であった地方交付税が削減されたことにより、海士町の経済の中心であった建築による公共事業が立ち行かなくなったのです。海士町は地域経済を存続させるために、新しい産業の創生という政策転換を行います。
漁業や畜産業などの名産を全国にPRすることで、地域に新しい経済を創生しました。新しい経済の創出は波及効果を生み、海士町への働き手となるIターン、Uターン移住者が増加します。その移住者たちから、民宿に関する取り組みが始まったのです。
始まりは、2009年の移住者の中に、島の民宿を利用した人がいたことでした。民宿で名産や郷土料理を楽しめる良さを実感しながらも、水回りなどの施設に清潔感が欠けていることを残念に思ったそうです。そのことを民宿の経営者たちに質問すると、高齢化や人手不足によって手が回らないという事実を知ります。
それを知った移住者たちは海士町の観光協会職員となり、民宿を支援する取り組みを始めたのです。
民宿は島の「宝物」
海士町は、隠岐諸島の中でも面積の小さな中ノ島にあります。大規模なリゾートホテルなどの建設は望むべくもないため、現存する民宿を維持することが観光客受入数を減らさないための第一の策でした。
海士町の民宿は、良くも悪くも生活感がにじみ出ており、宿泊者にとっては清潔感という面で不満がありました。それを改善するためには、施設の清掃やリネン類の洗濯の質を上げるという重労働が必要となります。しかし高齢となった経営者1人では、体力面などで解決が難しく、町には清掃や洗濯を引き受けてくれる業者が存在しませんでした。
この人手不足という課題を解決するために動いたのが、島にIターンで移住し、海士町観光協会の職員となった若者たちです。
観光協会は民宿の業務をサポートするために、株式会社島ファクトリーという子会社を設立します。その業務は清掃から始まりましたが、宿泊客をフェリー港へ送迎することや、リネン類のクリーニング、インターネット販売の商品管理といったようなサポート業務を拡大させることによって、海士町の民宿の質を向上させます。
これにより、海士町にある4軒の民宿は、隠岐諸島の他の村にある民宿が廃業や客数の減少に苦戦するのとは対象的に、客数を増加させることができました。現在では、島ファクトリーが行う民宿のサポート業務を、マルチワーカー事業と名付けて継続するに至っています。
観光協会はマルチワーカー事業だけではなく、全国から料理人、民宿後継者を募って養成するという、民宿を継承・存続させるための新たな取り組みも始めています。
民宿の抱える課題は、地域の人口や経済とも噛み合った複雑なものであり、個々の民宿経営者単独では解決が難しいものです。しかし、海士町のように民宿を個人経営の資本として捉えるのではなく、町の観光資源と捉え、地域ぐるみで支援することが街全体のプラスとなったのです。
海士町では2015年に、地域の維持と発展に向けた「海士町創生総合戦略・人口ビジョン(海士チャレンジプラン)」というものを策定しました。次世代のまちづくりとして「だれもが地域に愛着を持ち、生き生きと暮らせる交流盛んなまちづくり」「魅力ある海士をつくるために挑戦するひとづくり」「地域の資源を生かし自立を目指すしごとづくり」を掲げています。観光分野で見ると、観光客のリピーター数の増加、海士町観光協会の取扱い宿泊数を2020年には10,000泊へ増やす(2014年に3,000泊)などの目標数値が挙げられています。
海士町の民宿が大入りになった理由は、企業や個人経営という物差しではなく、自治体などが企業目線を持って、地域経済の活性化を目指したことで成功した事例です。名産物だけに頼りきりでは、地域経済の活性化は容易ではありません。だからこそ、自治体と企業・個人といった個々の力を集約させるといった海士町の取り組みが注目されているのです。
※掲載している情報は、記事執筆時点(2017年11月27日)のものです。
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http://toyokeizai.net/articles/-/128101
http://oki-ama.org/
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