2017年8月、自動車メーカーのトヨタとマツダの資本提携が発表されました。年間販売台数で世界1位を争うトヨタが、中堅企業のマツダを支援したようにも見える提携ですが、マツダのモノづくりに対する姿勢に、豊田章男社長が一目をおいたことがきっかけともいわれています。
現在は一目を置かれるマツダですが、数度の経営難を経験してきました。1979年に最初の経営難からフォードと資本提携し、その傘下に入りました。しかし2009年のリーマンショックによりフォードが経営難に陥り、マツダとの提携を解消。フォードという後ろ盾を失ったマツダは窮地となります。そこからマツダは、「コモンアーキテクチャー」という開発体制と、「フレキシブル生産構想」という生産体制で、商品の魅力と利益率を向上させることにより経営を立て直したのです。
多品種大量生産が経営を悪化させた
1970年代の石油ショックにより、マツダは経営不振に陥り、フォードとの資本提携を始めました。しかし1980年代後半からのバブル経済崩壊のときに、マツダは多品種大量生産の落とし穴に嵌まります。バブル期に、国内の販売店を5つグループに細分化し、カーラインナップを30車種以上に広げるという拡大路線を取ります。しかし、バブルが崩壊すると大量の在庫を抱えてしまったのです。それが原因で、マツダは1993年から3期連続の大赤字となります。その窮地を、フォードが出資比率を増加させるという救済で凌ぎました。
フォードの傘下に入るということは、大量生産しても在庫を捌ける世界的な販売チャンネルに加わったことになります。またフォードと共同で部品や材料を大量購入するので、コスト削減も図れます。コストだけではなく、開発費用もフォードとの協業や委託により潤沢な資金を確保できるようになりました。
同時にマツダの独自性は薄れることになります。商品開発ではフォードグループ全体の経営戦略が重視されるようになり、マツダ独自のものが強く反映される機会は減少します。
生産体制においても、フォードフループの規格に準じた部品を使って生産したほうがコストを抑えられるので、それに頼ることが前提となっていました。生産ラインも開発のように協業や委託が進み、同じ部品・車種を「大量」に生産する効率が追求されます。
ところが、2008年のリーマンショックがフォードの経営に大きな影響を与えます。フォードは経営を立て直すため、マツダの株式を売却。36年間続いた資本提携が解消されました。
この解消により、マツダはフォードの商品開発・生産体制からの転換を余儀なくされます。同時にマツダにもリーマンショックの余波が襲いかかりました。マツダの株価は下落し、またしても経営難を迎えます。
多種少量生産を実現する「コモンアーキテクチャー」
マツダは、フォード抜きで商品ラインナップ・販売体制を支える開発・生産体制の転換に取り組みます。
まず商品ラインナップの検討を行いました。販売網はフォードとの提携により全世界へ広がり、扱う車種は増えていました。その中で注力すべき車種を8種に絞ります。それでもフォード無しで、目標台数を供給する体制の確立は難題だったのです。大きな障壁は生産ラインの不足と、開発における人材と費用の不足でした。
マツダには、8車種の需要を賄えるだけの工場の敷地や生産ラインの数がありません。フォード傘下での生産方式では、できるだけラインを休ませずに稼働させる大量生産に主眼が置かれていました。それは車やエンジンを移動させるための台座やクレーンなどの設備は、大量生産する車種に特化したものになっていたのです。違う車種を生産するには生産ラインを休止して、それらの入れ替えが必要でした。その方式だと1車種だけが過剰供給となり、他の車種は品薄となります。
また8車種に必要なエンジン、トランスミッション、サスペンションといった重要で費用もかかる部品の開発を単独で行うには、人材と費用が不足していました。
このような生産と開発に関する課題は、フォード傘下で「当たり前」だったことが逆効果となり、マツダにとって根深い課題としてのしかかっていました。
そこで開発は考え方を、部品を共通化して大量生産という考えから、作業を共通化して多種生産に切り替えます。台座などの設備入れ替えや、車種が違っても工員の作業が共通となるように、エンジンやシャシー、トランスミッション、サスペンションなどの形状や取り付け方を決めていきます。
これにより車種という視点で分業されていた開発体制は、生産ラインという視点に置き換わり、従来の枠組みを縦断するような体制へと移行します。スタッフ間の協業は多くなり、人材不足を補う効果や、車種ごとで重複していた作業が統一されることで人件費などのコストが節約されました。
バックオーダーや在庫に縛られない生産を実現
開発体制の変更により、生産体制も徐々に多種少量生産へと移行します。その体制を完成させたのが、2012年に発売されたSUVのCX-5でした。現在では、この体制を普通乗用車などの他の車種にまで広げることにより、受注状況に応じた柔軟な対応が可能となっています。
これらの改革を示唆した取締役の1人だった藤原清志専務は、部下に「全部品を共用化しなければ多様少量生産は無理だ」と言われたとき、「部品の共用化じゃない。同じ生産ラインで造れることを、特性を揃えるように考えるんだ」と答えたと、インタビュー記事では述べています。特性とは台座などの設備や部品の取り付け時間などのことで、それが揃えば違う車種でも同じ生産ラインでローコストに生産できると考えていたのです。
それが「コモンアーキテクチャー」(共通基本骨格)という思想の開発体制でした。
コモンアーキテクチャーによって生産体制も工場の都合から、受注の都合へと変化したのです。違う車種・仕様を同じラインで生産できるので、お客さまの受注順にあわせて生産することが可能になります。
従来は、バックオーダーがある程度集まったら生産するか、販売台数を予想して生産し、在庫を持つというものでした。このような制約を少なくするのが、マツダの多種少量生産である「フレキシブル生産構想」の狙いでもありました。
トヨタがマツダのモノづくりに一目を置く理由
コモンアーキテクチャーとフレキシブル生産体制によりマツダは窮地を脱しました。しかし、まだ足りない点がありました。それは開発費用のかかるハイブリッドなどの先進技術を後送りにしていたことです。
販売店からは、エコカー減税などで買い替え需要が増えているハイブリッド車を求める声が多く寄せられていました。そこでトヨタにハイブリッド技術協力を受けて新車種を発売します。それによってマツダのモノづくりに関する評価が高まることになったのです。
その車に試乗したトヨタ技術人と取締役は、乗り心地に驚いたそうです。なぜなら自分たちの技術を使いながらも、それ以上と感じられたからです。それを契機にマツダのコモンアーキテクチャーや、フレキシブル生産構想などのモノづくりに対する姿勢を知ったトヨタの社長は、マツダに一目を置くようになります。そして海外工場の新設や先進技術開発を含んだ前述の資本提携へ至ったといわれています。
フォードとの資本提携解消という窮地に陥ったことで、マツダはモノづくりの基本を見直して再建を果たしました。企業は、規模によって経営戦略が違ってきます。自分たちが、どのような商品を、どれくらい規模で販売するかというビジョンを明確にすれば、経営戦略が見えてくるということを、マツダの再建は示しているのではないでしょうか。
【関連記事】
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