近年、小売業界は長くデフレが続いたことによる売上の低迷や、インターネットの普及による消費者の購買行動の変化など、さまざまな課題を抱えており、各小売企業には経営面での抜本的な変革が求められています。このような背景のもと、小売業界の喫緊の経営課題が「DX(デジタルトランスフォーメーション)」の実現です。本記事では、小売業界でDXの推進が求められている背景や、デジタル技術の戦略的活用によって得られるメリットなどを解説し、企業の成功事例も紹介します。
小売業界にDXが必要な理由とは
DXとはDigital Transformationの略称で、「デジタル技術の活用で人々の生活をよりよいものに変革する」ことを意味する概念です。DXという言葉の誕生は2004年で、スウェーデンのウメオ大学教授エリック・ストルターマン氏によって提唱されました。本来、DXはデジタル技術によって人々の生活をよりよいものに変革することを示していましたが、近年はAIやIoTといったデジタル技術の戦略的活用によって企業風土や経営体制を変革する取り組みとして認識されています。
国内の小売業界は、EC市場の急激な拡大やスマートフォンの普及による消費者の購買行動の変化、国内市場の成熟化にともなう顧客ニーズの多様化、商品やサービスのコモディティ化など、さまざまな変化にさらされています。たとえば消費者が何かを購入するときは、まず商品やサービスの詳細をWebサイトやSNSなどで検索し、さまざま要素を比較した上で最適なECサイトで購入するという購買行動が一般化しつつあります。一方で商品のトレンドサイクルや技術のライフサイクルは短くなり、小売企業は競合他社との差別化が困難になりつつあります。
さまざまな課題を抱える小売企業が持続的に発展するには、これまでのアナログな販売体制から脱却し、デジタル技術を事業領域に活用することが不可欠です。その結果として新しい時代に即したビジネスモデルの確立や、競合他社にはない顧客体験価値(カスタマーエクスペリエンス:CX)の提供が得られます。
小売業界がDXで得られるメリット
小売業界がDXを推進することで得られる主なメリットは、おもに以下の3点です。
メリット1. 効率よく作業ができる
自社のビジネスモデルに適したデジタル技術の導入は、既存業務の大幅な合理化・効率化につながります。たとえば、社内の書類をペーパーレス化するだけでも、情報管理や文書検索の効率が向上し、用紙代や印刷代、保管スペースを削減できるといったメリットを享受できます。書類のデジタル化によって顧客情報やナレッジの共有が容易になり、関係者同士のコミュニケーション活性化が期待できる点も大きなメリットです。DXの推進によって既存の業務を効率化できれば、社内全体の生産性が向上し、少人数による店舗運営が容易になります。
メリット2. 顧客満足度アップが期待できる
消費者と直接触れ合う機会が多い小売業にとって重要な経営課題のひとつは、「いかに顧客応対品質を向上させるか」です。DXの推進によって定型業務を自動化できれば、従業員は接客対応により多くのリソースが割けるため、顧客満足度の向上が期待できます。現代の消費傾向は、機能的価値を求める「モノ消費」に加え、情緒的価値を求める「コト消費」も重視されるため、優れた顧客体験価値の創出は消費者に大きなインパクトを与えられます。非接触型決済を導入してレジの待ち時間を短縮したり、どの店舗でも在庫を確認できるシステムを構築したりといった施策で、新しい時代に即した購買体験を提供できれば、最終的に顧客満足度の向上へとつながります。
メリット3. 費用の節約に繋がる
コストの削減も、DXの推進によって得られる大きなメリットのひとつです。既存業務にデジタル技術を導入することで、定型業務やルーティンワークなどが効率化し、人件費や事務消耗品費などの費用節約が期待できます。コスト削減で捻出した資金を新システムの導入や成長分野への投資に投下すれば、さらなる事業の拡大も実現できるでしょう。定型業務の自動化で従業員の業務負荷を軽減できれば、空いた人的資源を企業価値の向上に直結するコア業務に集中的に投入できる点も見逃せないメリットです。
小売業界でDXを活用する際の注意点
小売業界に携わる企業がDXの推進に取り組む場合、注意すべき点がいくつかあります。社内業務のDX化にはシステムの刷新や業務プロセスの変革などが求められますが、実現には相応のコストが必要です。さらにDXの推進に必要なソリューションは、組織の企業規模やビジネスモデル、人材のICTリテラシー、主なターゲット層などによって大きく異なります。したがって、DXを推進する際には自社の状況を考慮して、導入するソリューションや踏むべきプロセスを決定する必要があります。いきなり大きな変革に取り組むのではなく、スモールスタートを意識して小さなプロセスを段階的に踏破していく意識が大切です。
小売業界にDXを取り入れる際のステップ
DX化を実現するための詳細なプロセスは企業の組織体制や事業形態によって異なりますが、大きな流れとしては以下に挙げる3ステップで導入するのが一般的です。
ステップ1. 基本的な理念をハッキリさせる
デジタル技術の活用によって企業風土を変革するには、DXを推進する目的を明確にしなくてはなりません。DX化とは単なるICT化ではなく、デジタル技術の戦略的活用によって企業風土を変革し、企業の体制をよくしていくことが本質的な目的です。DX戦略の「Mission(使命)」「Vision(理念)」「Value(行動指針)」を明確にし、経営層だけでなく社内全体でDX推進の目的を共有することが大切です。目的を達成するためにはどのような戦略が必要なのかを踏まえながら、組織体制を整備することも忘れてはいけません。
ステップ2. デジタル分野への知識がある人材を確保・育成する
社内のDX化を推進するためには、デジタル技術に造詣の深い人材が欠かせません。デジタル技術を導入してDXを推進する一方、デジタル技術を深く理解した、専門的な人材を育成するための環境整備も必要です。自社にDXを推進するのための人材が不足している場合は、外部からの登用も検討しなければなりません。
ステップ3. 少しずつ段階的に進める
DXの推進はスモールスタートを意識することが大切です。たとえば社内システムのクラウド移行は重要課題のひとつですが、移行の際にはデータの消失などのリスクがともないます。システムの規模が大きければ、移行がうまくいかなかった場合のリスクも大きくなるため、コストを抑えつつ、即座にアプローチできる小規模な要素から段階的にDXを推進することが重要です。万が一移行時に障害が発生しても、リカバーのための時間もコストも小さく済みます。
小売業界におけるDXの成功事例
小売業界では、すでにDXの導入に成功した企業がいくつかあります。ここではDXに成功した企業と、各企業が具体的にどのような施策を行ったのかを紹介します。
成功事例1. 株式会社ニトリホールディングス
株式会社ニトリホールディングスは、グループ全体でサプライチェーンをプロデュースする「製造物流IT小売業」というビジネスモデルを確立しており、2032年までに3,000店舗の展開と売上高3兆円を達成するという長期目標を掲げていました。しかし、このビジョンを実現するためにはICT分野に特化した人材が不足していました。そこでニトリグループ全体のデジタル分野を担う関連会社「ニトリデジタルベース」を設立します。
しかし、ニトリデジタルベース設立の目的は、単にグループのデジタル活用を推進することだけではありません。ニトリグループがICT分野へ注力していることを広く社会に認知してもらうことも、設立の大きな理由です。ニトリデジタルベースを設立することで、ICT分野に特化した優秀な人材が集まり、ニトリグループが掲げるビジョンの実現に近づけるという目論見がありました。同社はフレックスタイムやテレワークといった先進的な働き方を積極的に導入して、ワークライフバランスの実現を図り、組織体制の抜本的な変革を推進しています。
成功事例2. 株式会社ビックカメラ
家電量販チェーンの株式会社ビックカメラは、2022年6月に「DX宣言」を発表し、同年9月にはグループ全体のDXを推進する新会社「ビックデジタルファーム」を設立しました。
DX宣言の柱は、実店舗とECサイトのシームレスな融合を通じて新たな顧客体験を提供する「OMO(Online Merges with Offline)戦略」の推進と、システム開発の内製化およびコストダウンの実現のふたつです。OMO戦略の一環として、店頭で電子棚卸を試みたり、オンラインの取り置きサービスを実施したりなど、実店舗とECサイトの特性を活かした販売促進戦略を実現しています。システム開発の内製化を実現するためには、Salesforceの「Salesforce Lightning Platform」や、RPAテクノロジーズ株式会社の定型業務自動化サービス「BizRobo!」、クラウド市場で世界トップシェアを誇る「Amazon Web Services(AWS)」を採用しました。
成功事例3. 株式会社ローソン
コンビニエンスストアをチェーン展開する株式会社ローソンは、デジタル技術を駆使して業務の効率化と省人化を図り、経営体制の変革を推進している企業です。
「Microsoft Azure」をプラットフォームに採用し、AIを活用した店舗運営支援も実施しています。機械学習をベースとするシステム環境を構築して、店舗の孤立化防止および他店との連携強化を実現しました。さらに2020年2月から5月まで「富士通新川崎TSレジレス店」をオープンし、レジを通り過ぎるだけで決済が完了するウォークスルー決済システムの実証実験を行ったほか、生体認証によるレジなしの店舗システムや、リアルタイム在庫管理システムも実店舗で実験を行うなど、次世代コンビニエンスストアのあり方を追求しています。
成功事例4. 株式会社カインズ
関東地方を中心にホームセンターを展開する株式会社カインズは「IT小売企業宣言」と呼ばれるDX戦略を提唱し、従来スタイルのホームセンターから脱却し、ICT小売企業への生まれ変わりを図ろうとしています。小売業に携わる企業がDXを推進するためには、ECサイトの展開が欠かせません。しかし、同社は単にEC市場に参入するだけでなく、実店舗とオンライン上のチャネルを連携させた購買体験の創出に取り組みます。
まず、同社が検討したのが労働環境の変革でした。新しい就業規則の導入を検討したものの、系列会社を含め、約2万人の従業員が就業する企業グループで人事制度を変革するには相応の時間を要します。そこで同社は、ICT小売企業宣言を実現するために設立した新組織「カインズテクノロジーズ」で、まず小さな働き方改革を開始しました。同社は、こうした取り組みで新しい時代に即した労働環境を創出し、小売業界を牽引する企業としての立ち位置を確立しています。
成功事例5. 株式会社三越伊勢丹ホールディングス
株式会社三越伊勢丹ホールディングスが展開するDX戦略の要は、仮想空間プラットフォームに開設したバーチャルショップです。仮想新宿が舞台の三次元仮想世界内で伊勢丹新宿本店が「REV WORLDS(レヴワールズ)」として再現され、従来の小売業界にはない新しい顧客体験価値を提供しています。REV WORLDSではアバターを通じて商品を購入できるのはもちろん、ユーザー同士のコミュニケーションを楽しむことも可能です。
このリモートショッピングアプリを用いたオンライン接客により、ユーザーはチャットとビデオを組み合わせた売り場を介して、商品を映像でチェックしたり、スタッフの説明を聞いたりできます。24時間いつでもどこからでも仮想都市にアクセスでき、時間や場所の制約を受けることなくショッピングを楽しめることが大きな特徴です。実店舗とECサイトとを融合した革新的な顧客体験の提供は、まさに小売業界におけるDXの代表的な成功事例です。
このような成功事例から学びを得る上で大切なことは、各企業が採用した手法自体にとらわれないことです。つまり「What(何をするのか)」ではなく、「Why(なぜやるのか)」という、行動の奥にある本質的な目的を捉えることが重要です。本質を理解した上で自社の企業理念や経営ビジョンをすべての従業員で共有し、DXを推進しましょう。
まとめ
DX(Digital Transformation)とは、デジタル技術の活用による変革を意味する概念です。ビジネスにおいてはデジタル技術を活用して企業風土に変革をもたらし、市場の競争優位性を確立することと定義されています。小売業界はEC市場の拡大や国内市場の成熟化にともなう顧客ニーズの多様化といった課題を抱えており、アナログな販売体制からの脱却が必要です。DXの推進は既存業務の効率化によるコスト削減や新たな顧客体験価値の創出に寄与し、新しい時代に即した経営基盤を構築する一助となるはずです。
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小売DXは「経営陣の心構え」で成功する
政府による後押しもあり、各業界でデジタルトランスフォーメーション(DX)への取り組みが加速しています。その中ではデータ活用が重要となりますが、業界によってはデータの活用度合いに開きが見られます。小売業ではどうなのでしょうか。本ホワイトペーパーでは、「小売DX大全」の編集者である神奈川大学 経営学部 国際経営学科 准教授 中見真也氏の意見を基に、小売業DXの進捗や日本の小売事業者が抱える課題を整理した上で、小売業DXを成功に導くポイントについて解説します。
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