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【特別企画】スペシャルインタビュー「あの有名人が語る!」(第16回)

無印良品をV字回復へ導いた「経験主義」の否定

posted by 小池 晃臣

 業績不振の大ピンチに良品計画の社長に就任し、「負ける構造」から「勝つ構造」へと組織の大改革に着手した松井忠三氏。だが、従来の仕組みを大きく変える松井氏の改革手法には、当初は反対もあったようだ。

 松井氏は、そのような組織をいかにして一つにまとめ、改革を成し遂げたのだろうか。

「経験主義」の企業は守りに弱い

──前回は、松井さんが良品計画の社長に就任するまでの経緯と、「負ける構造」の原因となっていた社風を変え、「足腰の強い組織」にすることを決意するまでの話をうかがいました。この「足腰の強い組織」というのは、具体的にどのようなものだったのでしょうか

 端的に言えば、経験主義を払拭して、組織の根幹となる標準的な「仕組み」をつくることでした。

 かつての良品計画では、経験と勘を重視し続けてきました。その結果、例えば商品企画は担当者の頭の中にあり、店長の数だけ売り場があるといった、まとまりのない状況でした。

 こうした経験主義というのは、“守り”にとても弱いのです。例えば暖冬になって売上計画通りにいかなかった場合、「暖冬対策に失敗した」といったような「手法」のせいにしてしまいがちです。しかし、暖冬でも売上を伸ばす企業もあります。そうした企業は商品をつくる力や、それを売る力が強いからで、経験主義のままではまったく太刀打ちできません。

 そこで、経験主義を無くし、優れた商品をつくる仕組みや、売る仕組み、仕事の効率を向上する仕組み、業務の質を標準化する仕組み、さらには社員のスキルやノウハウを蓄積する仕組みなど、さまざまな仕組みづくりに取り掛かりました。

 その代表的なものが、店舗で使う「MUJIGRAM(ムジグラム)」と、店舗開発部など本部で使う「業務基準書」の2つのマニュアルでした。

 このうちMUJIGRAMというのは、売り場のディスプレイから接客、発注に至るまで、店舗運営に関するありとあらゆる方法をまとめたマニュアルで、「売り場づくり」や「レジ業務・経理」「商品管理」など業務ごとに13冊に分かれています。それら全てを合わせると、総ページ数2,000ページほどにもなります。

 そこには、「それぐらい口で言えばわかるでしょ」と思われるような小さな事柄までが具体的に明文化されています。なぜそこまでしたかと言うと、細かい仕事こそマニュアル化するべきだろうと考えたからです。「細かい部分はいいや」と店任せにしたままでは、各店長の経験や勘によって、店の運営にばらつきが出てしまうでしょう。

──既存のやり方をそこまで変えるとなると、現場からの反対も強かったのではないですか

 もちろん、かなりのものでしたよ。ですが、そもそも改革というのは反対から始まるものだと私は考えています。

 私はそこで、反対派を排除するのではなく、反対派の筆頭だった7人の課長を、敢えてMUJIGRAM作成委員に任命しました。彼らも最初のうちは仕方なくやっていたのだと思いますが、やらねばならない立場となったため、段々と積極的にマニュアルづくりに取り組んでいくようになりました。

 そうやって仕組みをつくって組織で回していくなかで、徐々に効果が表れてきて、売上にも反映するようになると、やがて反対派は少なくなり、MUJIGRAMは無印良品の文化の中にしっかり定着していったのです。

 組織を変えるというのはとても大変なことですが、変えれば必ず効果が出てきます。大切なのは、一度作った仕組みは絶対に投げ出さずに、日々の行動として、組織の変革を続けていくということなのです。

トップが号令をかけただけでは社風は変えられない

──変革のイメージとしては、社長が大号令を掛けるというよりも、社員自身が毎日のひとつひとつの行動を変え、組織を変えていく、ということでしょうか

 その通りです。社風や仕組みを変えるには、社員の価値観を変える必要がありますが、一度に意識を変えようとしても、絶対にうまくはいかないでしょう。まず日々の行動から変えていくしかないのです。

 例えば、残業をなくしましょうと号令をかけたとしても、1週間後には誰も覚えておらず普通に残業していることでしょう。私はそのようなやり方ではなく、毎日会社から帰る頃になると、放送を流して全オフィスを回って、残っている社員を帰し続けるようにしました。

 ですが、夜9時頃になると、またオフィスに戻ってくる社員も出てきます。そこもチェックして追い返します。それでも仕事を家に持ち帰るような社員もいて、今度はそうならないよう、社員の仕事を1割ほど減らしました。私は生産性を上げることと、仕事を無くすことは、同意語だと考えています。

 こうした実行の積み重ねが、少しずつ新しい社風をつくっていきました。行動が変わることで、社員の価値観が変わり、価値観が変わった結果ようやく意識も変わる、つまり「社風」が変わっていったのです。

──トップダウンの大号令では、社風や仕組みは変わらないということでしょうか

 少なくとも私は、変わらないと考えています。経営方針を発表して、部門ごとの会議で指示を下すといったよくあるやり方では、うまくいかないでしょう。そのため私自身、必ず現場に赴いて、(変革が)実行できているか確かめるようにしました。現場のあるべき正しい姿をしっかり見据えて、そこに向けて仕組みと組織と人によって、組織を変えていくことこそが、社長の大切な使命であると私は信じています。

問題は組織にいる人たちが全力で頑張ることでしか解決できない

──結果的に、社長就任後は5期連続で増益を記録し、2006年度には過去最高益(営業・経常利益)を達成するなど、見事にV字回復を成し遂げました。ですが、経営が順風満帆であった2008年、社長職を退きました(会長職に就任)。その理由は何だったのでしょうか

 その頃になると業績も好調で、誰も私の意見に反対しないようになってしまいました。経営者としてはやりたいことができる時期ではありますが、私はそのような状態になったら社長を辞めようと、かねてより心に決めていました。

──一般的な考え方とは逆のような気もしますが……

 そうかもしれませんね。ただ、私は社長にとって居心地のいい組織になった時が最も危険な時であると考えています。オーナー社長は別かもしれませんが、私のようなサラリーマン社長の場合、長期政権というのは確実に弊害が多いものなのです。どうしても長く社長に居座っていると、やがて自分の意見を言わない・言えない、イエスマンばかりの組織になってしまうのですから。

 そんな状況が15年も続いたら、すっかり企業は停滞してしまい、誰かが危機感を抱いて変えようとしたとしても、なかなか変えられないはずです。そのため、会長の職も7年で辞めました。

──現在は無印の経営にどのように関わっていますか

 いちおう良品計画の名誉顧問という肩書はありますが、名刺だけでまったく口は出していません。

──ご自身はそのつもりでも、現場の社員から意見を求められることも多いのでは?

 そういうこともあります。ただ、たとえ求められても、何も言わないほうがいいのだと信じています。何か問題があったとしても、その解決の糸口は、いま組織に残された人たちが全力で頑張ることでしか見つからないのですから。

 

松井 忠三(まつい ただみつ)
1949年、静岡県出身。1973年3月、東京教育大学(現 筑波大学)体育学部卒業後、同年6月に株式会社西友ストアー(現 西友)入社。1991年3月より株式会社 良品計画への出向し、1992年6月に同社へ入社後、1993年5月、同社取締役に就任。2000年5月にムジ・ネット株式会社の代表取締役社長に就任し、 2001年1月に株式会社良品計画 代表取締役社長に就任。2008年3月、代表取締役会長、2010年10月、株式会社T&T(現 株式会社松井オフィス)代表取締役社長(現任)、2015年5月、株式会社 良品計画 名誉顧問 (現任)となった。

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