倒産寸前のはとバス社長に就任し、“古巣”の東京都からV字回復の厳命を受けた宮端清次氏。リストラだけは避けたいという一心から打ち出した「賃金カット」という大胆な合理化策は、社員から厳しい意見も寄せられた。
そんな中、宮端氏はどのように全社員の心を一つにし、V字回復を成し遂げたのか。前編に続き、後編ではより具体的な取り組みに迫る。
「本当にあなたは社員を支えているのか」
──V字回復を果たした4年間では、さまざまな取り組みを実施したと思われます。その中で特にこだわったものは何でしょうか
いろいろとありますが、まず1つが社長室の撤廃です。これは、悪い情報が私の耳に届くようにするためです。
経営危機になったときに重要となるのは悪い情報です。悪い部分を修正していかなければ改善などできませんし、改善できなければ再建など不可能だからです。
2つ目に取り組んだのは、社長専用車をやめて社員の共有車としました。そして私自身も、吉祥寺の自宅から平和島の本社まで、電車とバスで毎日1時間40分かけて通勤するようにしました。
当時既に63歳でしたので、ラッシュの車内で往復3時間以上も揺られるのは正直きついものもありましたが、一緒に乗り合わせた社員たちに私の「本気」を示したかった。「はとバスも変われるかもしれない」と社員に思ってほしかったのです。社長室の撤廃も社用車の廃止も、そう考えた結果の取り組みでした。
3つ目は「おかえり箱」といういわゆる目安箱の設置です。お客さまに言われたことや感想などの中には、社長に訴えて改善すべきこともあるはずだと考えて、乗務員から社長に言いたいことを投書してもらうようにしました。最初の半年は上司や運転士への不満や悪口が目立ちましたが(笑)、それ以降はだんだんと建設的な意見が寄せられるようになっていきました。
4つ目が、組織を“逆ピラミッド”にしたことです。私が打ち出した経営方針の1つである「お客さま第一主義」を目に見えるかたちにするために、組織図をひっくり返してしまいました。一番上にお客さまがいて、お客さまと接する社員ほど上に配置し、社長は一番下で全社員を支えているというかたちです。
ところが、半年ほど経ってある社員が私のところに来てこう言ったんです。「社長は組織図をひっくり返したけれど、これでは“仏作って魂入れず”ではないか。本当にあなたは我々を支えているのか」と。そう言われて、本当に現場の人間を上にしなければいけないのだと気づきました。
そこで、「運輸部」に所属したことのない社員、つまり運転手やガイドなど、はとバスの乗務員経験がない社員を役員にしない、と宣言しました。
すると、それまで運用部で働いたことのない部長クラスが大騒ぎしたのです。しかし「役員になりたければ1年間でいいので運用部長をやりなさい。乗務員を大事にしなければ、我々の仕事は成り立たないのだから」と言い聞かせると、納得してもらえました。
ここで、「お客さま第一主義」とは、「乗務員第一主義」でもあるのだと考えるようになり、バスガイドや運転士の控室を明るく広い空間となるよう建て替えました。こうして「乗務員が一番上」であることを目に見えるかたちにして示したのです。
他にも、毎朝出発前のすべてのバスに乗り込んでお客さまに挨拶したり、全社員の名前を覚えたりと、地味で地道かもしれませんが、少しでも社員と1つになり、会社を改善していけるようにと、いろいろなことを習慣にして取り組んでいました。
こうした小さな行動が、1年目の単年度黒字化達成や、4年での累積欠損金20数億円を一掃できたことにつながっていると思います。
リーダーとは身を削る「ろうそく」のようなもの
──宮端さんはその後、2002年に社長の座を退き、特別顧問に就任しますが、退任時に印象に残っているできごとは何かありますか
私が社長を退任する日、ある運転士が訪ねてきたので、一番やる気が出たのはいつだったのか尋ねました。すると、初年度の黒字化でホッとはしたが、やる気が出たのはその後だったと答えたのです。私が社員たちと交わした約束どおり業績が回復し、一時金をもらい、そのあとに家族全員に宛てた私からの手紙が届いたときだと。
私もすっかり忘れていたのですが、黒字になると、社員や役員の家族に手紙を書いて、せめてもの気持ちとして1万円分の商品券を同封して届けていたんですね。結局4年間手紙を書き続けることになりましたが、その運転士は、私からの手紙と一時金で頑張ることができたのだと言うのです。
その理由を聞くと、1万円というお金が嬉しかったというわけではありませんでした。役員も社員もパートも同じように、1万円で平等にお礼をしてくれたのが嬉しかったのだと言うのです。従業員が約800人なので商品券の総額は800万円程でしたが、800万円が1億円、10億円もの値打ちにもなったのだと、このときに身に沁みました。
──最後に、リーダーに求められる条件とは何でしょうか。
あくまで私の考えるリーダー像に過ぎませんが、1つ目は「仕事ができること」、2つ目が「人間的魅力を持っていること」、そして3つ目は「心身ともに激務に耐え得る体力」ではないでしょうか。ただしこの3つだけではダメで、問題を芽のうちに摘んでしまう「問題発見能力」も必要になるかと思います。
かつて私はリーダーというのは「偉い」存在だと考えていました。ですが、実際にリーダーと呼ばれる仕事に就いて初めてわかったのは、リーダーとは「辛い」ものだということでした。本人は辛いけれど、周りの人にとっては偉いと思わせる、それがリーダーなのではないでしょうか。例えるならリーダーとはろうそくのようなもので、周りを明るく照らすために我が身を削らなければならない──それが私の「リーダー論」です。
インタビュー:小池 晃臣
宮端 清次 (みやばた きよつぐ)
1935年、大阪府まれ。中央大学法学部卒。同大学院法学研究科修了後、東京都庁に入庁。総務局災害対策部長、交通局長を経て、1994年東京都地下鉄建設(株)代表取締役専務。1998年、株式会社はとバス 代表取締役社長に就任。攻めの改革により初年度で黒字化させ、わずか4年で累積損失を一掃し、同社を再建した。
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