将棋界において、1年のうちに7大タイトルを同時制覇や、6タイトルで連続制覇による永世六冠獲得など前人未踏の記録を残し、今もなおトップ棋士として活躍し続けている羽生善治氏。小学生のときにプロ棋士の登竜門である奨励会の入会試験に合格し、史上3人目の中学生棋士となった羽生氏は、デビュー後も順調に勝利を重ねて昇級し、4年目で初タイトルを獲得した。
以後、数々の記録を打ち立ててきた羽生氏は、これまで困難な局面においてどのように対処し、厳しい戦いを勝ち抜いてきたのだろうか。長年にわたって将棋界のトップの座を維持し続けてきた経験から勝負の哲学を聞くと、その心構えにはビジスネ・シーンに活きるヒントが多くあった。
最初の3カ月はまったく勝てなかった
――将棋に出会ったのは小学校1年生のときとお聞きしましたが、どのような点に面白さを感じたのでしょうか。
初めて将棋の大会に出たのは小学校2年生の夏休みの大会でした。1勝2敗で負けて予選落ちしてしまったのですが、その楽しさに魅せられて、将棋の道場に通い始めました。当時はほかにも色々な遊びをしていましたが、将棋だけは「こういう風にやればうまくなる」という方法論がよくわからなくて、そこに面白さを感じていました。
将棋道場に通い始めてからも、最初の3カ月は1回も勝てませんでした。普通は10級くらいのクラスから始めるのに、あまりにも弱すぎるので15級からスタートして、それでも勝てない。でも、たとえ勝てなくても道場に行くのはとても楽しみにしていました。どんどん勝てるようになってきたのは1年くらい経ってからですね。それからは大会に参加するのが楽しくなってきました。
その後、小学校5年生のときに師匠(二上達也氏)に入門して、6年生の春のときに小学生大会で全国チャンピオンになったのですが、それを師匠に報告したら「アマチュアとプロは違うので油断しないように」と言われて、その年の秋に奨励会の入会試験を受けることにしました。
奨励会の在籍期間は3年で、割とスムーズにプロになることができましたが、これは現在と制度が少し違っていて、当時は一定の成績さえ取れれば何人でも昇段できるシステムだったからです。今は昇段できるのが1年に4人までと制限されているので、昔よりもはるかに厳しいと思います。
――プロになってから、タイトルに挑戦できるA級に上がるまでは7年かかっていますね。
順位戦は、B級とC級が2クラス、A級が1クラスと計5つのクラスに分かれていて、最も下のC級2組からスタートしました。昇級できるのは各級で年に3人または2人です。
10回対局して、だいたい9勝1敗だと昇級可能で、8勝2敗だと「運が良ければ上がれる」という感じです。一手ミスするとそこで1年が終わってしまうわけですから、一手一手に緊張感があります。
勝負では「経験」が必ずしもプラスにはならない
――順位戦において、一敗して「もう負けられない」という状況もあったと思いますが、若い頃からプレッシャーには強いほうだったのですか?
最初からプレッシャーに強かったわけではなく、場数を踏むうちに慣れていったという感じです。たとえば「もう負けられない」という状況のほうが、意外と迷いがないということもあるのです。
総当りによる順位戦なら「自分の負け数よりも、競争相手の負け数が多ければ、昇級できるかもしれない」とか、自分の力とは関係ない状況が混ざったほうが気持ちの迷いは生じやすい。「あとがない」という状況のほうがシンプルで、あまり深く考えなくて済むからだと思います。
――デビューから4年後に竜王戦で初のタイトル獲得となりましたが、このときもかなり緊張したのでしょうか?
それまでタイトル戦というのは見学したことがなかったので、対局を取り巻く雰囲気などを想像できませんでした。ほとんどの予選は、東京・将棋会館か関西将棋会館で行うのですが、タイトル戦の決勝は地方の旅館や料亭で行われ、前日にはレセプションでスピーチを行うこともあります。対局場も豪華な場所だし、メディアも多いので、いつもとは全く違う雰囲気に慣れるまではかなり緊張しました。
このようなときは、できるだけ普段通りに、自然体で対局に臨むようにしています。どんなに頑張っても自分が持っている力以上は出せないので、いつもの力をいかに本番で発揮するかを心がけています。
――大事な場面において普段通りの力を発揮するために必要なのはどんなことでしょうか?
将棋の場合、本当に微妙なところで、じっと辛抱しなければいけないときもあるし、逆に思い切り攻めなければいけないときもあるので、そのようなときに落ち着いて考えられるかどうかが大事です。
あとは、対局の時間が長いので、根気も必要です。根気よく、粘り強く指していくことが求められる。そして、それができるようになるまでは、ある程度、経験を積む必要があります。たとえ大変な局面を迎えても、過去に似たようなケースを経験していれば、必要以上に恐れたり、心配したりすることがなくなるからです。私の場合、それができるようになったのは、30歳を過ぎてからですね。
――困難なことを乗り越えるのに有効なのは、今まで培った経験ということですね。
チャンスを掴むときというのは若さの勢いというのがけっこう大事で、ときには危ない橋を渡ることも必要です。
一方で、将棋ではピンチをしのがなければならないときもあります。ピンチをしのぐときというのは、それまで積み重ねてきた経験が問われることが多いと考えています。
ただし、ここが難しいところなのですが、経験が必ずしもプラスにはならないこともあるのです。多くのことを経験したからといって、過去のケースと今のケースが同一であるわけではないので、過去のやり方をそっくり真似てしまうと、無難なやり方を選んでしまうことになりかねません。そのあたりのバランスには気を付ける必要があります。
リスクで変わるアクセルとブレーキの「加減」
――場合によっては、今までの経験をリセットして判断する必要もあるということでしょうか?
経験をどこまで活かすかは、どこまでリスクを取るかによって違ってきますが、そのさじ加減は本当に難しい問題です。
たとえば将棋の対局で最もリスクが低いのは、自分が得意としている作戦を行うことですが、10年後の視点から同じ対局を見ると、古いやり方を続けているということになるので、それは一番リスクの高いやり方となってしまうかもしれない。
ではどこまでリスクを取るかというところの、アクセルとブレーキの踏み加減がリスクマネジメントだと思います。
――リスクマネジメントを的確に行うために、どんなことに注意していますか?
若く経験が浅いときは、知らないうちにアクセルをたくさん踏んでスピードが出ているので、いつのまにか多くのリスクを取りながら前に進んでいる状態になるものです。
でも、年を重ねるごとに次第にそれができなくなり、知らず知らずのうちに減速していることがすごく多いので、ある程度、経験年数が増えてきたら、意図的に冒険をすることも大事ではないかと思っています。
あとは、そのときの時代とのマッチングも考える必要があります。プロ棋士というのは、それほど個々の能力に差があるわけではなく、それならどこで差が付くかというと、そのときの流行や最先端のものと、今の自分自身とのスタイルがどれほどマッチしているかということに大きく左右されます。
ただし、時代の流れにあまりにも合わせてしまうと、自分の個性やカラーが死んでしまうということもあるので、独自性を殺さないようにしながら、同時に現状の大きな流れを捉えていくことが大事だと思います。
――対局中にどのように指すべきか迷ってしまったときは、どう対処していますか?
序盤のうちに迷ったときは、最初からの流れを総括することにしています。自分側と相手側の両方から、それまでの流れを振り返ります。その上で、どの手を選ぶのが最も自然か、そして最も無理がないかという視点で考えます。
終盤で迷った場合は、終わりの局面をイメージすることが多いですね。具体的な手順ではなくて、「最後はこんな形で終わるのではないか」というおぼろげな青写真を想像して、それと今の局面をつなげる作業をしています。
それでも指す手に迷った場合は、最後は自分の好き嫌いで選ぶことにしています。好き嫌いというのは個人的な主観になります。迷ったときにこそ自分の好きなスタイルを貫いていれば、後悔はありませんから。
<後編へ続く>
インタビュー:片岡 義明
羽生 善治(はぶ よしはる)
1970年、埼玉県所沢市生まれ。幼稚園時代に東京都八王子市へと移り住む。1981年に二上達也(ふたかみ たつや)氏に弟子入りし、1982年に奨励会へ入会。1985年にプロに昇格し、史上3人目の中学生棋士となる。1989年、竜王戦で初のタイトルを獲得。1996年には史上初となる竜王・名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖という将棋界の主要タイトルすべてで優勝し、七冠独占を達成した。2008年には、名人戦を通算で5期獲得したことにより永世名人の資格を得たことで、史上初となる永世六冠(名人・王位・名誉・棋王・王将・棋聖のそれぞれで、通算もしくは連続で5~10期獲得したものに与えられる称号)を達成。2012年にはNHK杯でも通算優勝回数10回を達成して将棋界では初の“名誉NHK杯選手権者”の称号も獲得した。2016年には、25年連続の年度複数冠も達成している。2017年7月現在の保持タイトルは王位・王座・棋聖の三冠。
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