1994年に家庭用ゲーム機「PlayStation®」を発売して以来、家庭用ゲーム機の世界をリードしてきたソニー・インタラクティブエンタテインメント。2013年11月に発売を開始した家庭用ゲーム機「PlayStation®4(以下PS4®)」の世界累計実売台数が2017年初に5,340万台を突破し、2016年10月に発売開始したPS 4®と組み合わせて楽しむバーチャルリアリティ(VR)システム「PlayStation®VR(以下PS VR)」は発売後に品切れが続くほどの人気を博している。
いまや“ソニー”というブランドを象徴する存在の1つとなったゲーム事業で、主にゲーム機器などのハードウェア開発を統括し、株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント 取締役 副社長を務める、伊藤雅康氏に話を聞いた。
自動車づくりの夢から一転、オーディオづくりの道へ
──家電メーカーのソニーで、しかも「PlayStation®」などのハードウェア開発をされている、と聞くと生粋のエンジニアというイメージが湧きますが、少年時代からメカ好きだったのでしょうか。
実は子供の頃は野球少年だったんですが、実家が国道沿いにあったこともあってか小さい頃から車が好きでした。いつかは車をつくってみたいという思いが子供の頃からあり、高校では理系コースを選んだのです。
──そんな車づくりに憧れていた少年が、早稲田大学理工学部を卒業し、1986年に家電メーカーのソニーに入社しました。大学で夢が変わったのでしょうか。
大学での専門は熱力学で、研究室で自動車のエンジンについて学んでいたぐらいですから、夢が変わったということはありません。しかも、当時は自動車レースのF1がブームの全盛期でしたから、エンジンづくりには特に魅力を感じていました。
ただ、いざ就職となると、研究室の多くの先輩達が自動車メーカーに就職していたものの、エンジンづくりに携われている人はわずかしかいないことに気づいたのです。エンジンがつくれない可能性があるのなら、自動車メーカーに就職しても仕方がないと考えるようになりました。
そこで他の進路を検討したところ、高校時代から音楽が好きでバンドを組んだりしていたことに改めて思い至って、音楽ならばやはりソニーじゃないかと。ソニーで設計者になろうと決意して、研究室の推薦枠に応募したのです。
──少年時代から好きだった車ともう1つの音楽が、職業選択の決め手になったということですね。ソニー時代はどのような仕事をしていたのですか。
オーディオ事業本部のカーステレオ部門に配属されて、ケースから基板、CDやミニディスクの駆動部と、カーステレオのあらゆる箇所の設計を手がけました。当時のソニーは“動きもの”をつくらせると他の追随を許さないという評判があり、先輩にもそうした設計に長けた人が多かったですね。
カーステレオ部門からゲーム部門への転身
──カーステレオの専門家の道を歩んでいながら、2000年にソニー・インタラクティブエンタテインメントの前身である当事のソニー・コンピュータエンタテインメントへと移ったのは、何がきっかけですか。
現在、副社長を務めている三浦和夫とは入社以来同じ野球チームでプレイする仲だったのですが、彼からソニー・コンピュータエンタテインメントに来ないかと誘われたのが最初のきっかけでした。時期は2000年で、「PlayStation®2」(以下PS2®)発売の直前のことです。
ソニーへ入社してから15年近くの間、カーステレオの設計を担当していましたが、自分の中で新しい大きなビジネスへのチャレンジを考えていた時期と重なりました。1994年に発売された「PlayStation®」はゲームの概念を変えました。そして、後継機であるPS 2®にはさらなる可能性を感じました。それもあり、三浦の誘いに応じゲーム部門へ移ることを決意したのです。
──伊藤氏が信じた可能性の通り、PS2®は世界累計1億5,500万台以上を売り上げるという、家庭用ゲーム機としては史上最大級のヒット商品となりましたね。何がここまで世界中の消費者に受けたのでしょうか。
当時はまだ十分に普及していなかったDVDプレーヤーとしても使えたことは一例にあげられるでしょう。ゲーム機でありながら、発売当時はコストパフォーマンスに優れたDVDプレーヤーでもありましたので、その後のDVDの普及にも大きく貢献したと自負しています。
私が異動してきた時には、PS2®の設計は既にほとんどできあがっていました。しかしソニー・コンピュータエンタテインメントに転籍して、PlayStation®シリーズの“生みの親”である久夛良木 健(くたらぎ けん)氏から、世の中にないものを生み出すことに対する姿勢を学ぶことになりました。
カリスマから学んだ120%を目指すものづくり
──ゲームメーカーといえば任天堂やセガ(当時)といった巨大な“先輩”がいましたが、それらに対しどのような戦略をとったのでしょうか。
他社に対しての戦略というより、当時は久夛良木氏がトップであり、そのカリスマ性でぐいぐい引っ張っていました。正直、彼は競合他社の動向がどうこういったことにはあまりとらわれていませんでしたね。とにかく彼の掲げる“理想”に向けて、我々も邁進したという感じです。その理想を実現すれば、自ずと強いゲーム機器のハードが生まれ、魅力的なゲームソフトがラインアップされます。それが戦略になるのだと、私を含めて皆が信じていました。
──久夛良木氏は社員に対して、戦略であるゲーム機器の開発をどのように示していたのでしょうか。
その後の「PlayStation®3」などもそうですが、設計段階ではかなり突飛な発想に思えるような性能や商品仕様を、久夛良木氏は平気で言ってきました。開発陣からすると、最初は「本当にそんなのできるの?」と疑問を抱くことが多々ありました。しかし1~2年後には彼の言っていた方向に世界がついてくるという経験をしました。先ほどお話した、PS2®へのDVDプレーヤーの搭載などがいい例です。そんなパターンが繰り返されるうちに、彼の掲げる方向性というのは世界の先を行っており正しいのだと、私も心から信じられるようになっていきました。
──そんな久夛良木氏から学んだことや影響を受けたこととは?
いろいろとありますが、最も大きいのはものづくりの思想やその伝え方ですね。
「今の世の中にないものは自分達でつくってしまえ」というのが彼の持論で、私もよく言われたのですが、今では同じことを私が社員に向けて言っています。
まだ世の中に存在しない新しいものをつくる時には、理想をすごく高いところに置くことが必要です。たとえば、目標を掲げる時は100%ではなく120%を目指せと私は言っています。
また、その理想を実現させるためにチームの力を高めるマネジメント手法なども久夛良木氏のものづくりで学びました。チーム全員が120%を実現できればそれに越したことはありませんが、たとえ一人ひとりの力は80%であっても、それぞれの得意分野や持ち味を発揮し掛け合わせることでチーム全体の力を120%まで高めることができれば、理想の実現にグッと近づけるわけです。
そこで重要になるのが、チームとして120%の力を引き出せるような職場環境づくりです。方法はいろいろありますが、たとえば誰のものであろうと意見を吸い上げるようにしたり、褒めたり叱ったりを上手に使い分けるなどですね。
PS4®の開発では、世界のさまざまな地域の人でチームが構成され、彼らの意見をまとめることが私の仕事でした。その開発で「今の世の中にないものは自分達でつくる」という意識をチームで共有し、120%の力を引き出すために、久夛良木氏から学んだマネジメント方法をフル活用したのです。
<後編へ続く>
インタビュー:小池 晃臣
伊藤 雅康(いとう まさやす)
1962年、京都府京都市生まれ。1986年、早稲田大学理工学部を卒業後、ソニー株式会社オーディオ事業本部 AS事業部に入社。2000年、株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメントに入社以降、PlayStation®シリーズの設計・開発を手がけ、「PlayStation®4」や「PlayStation®VR」などのハードウェア開発にも責任者として携わる。2016年より株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント 取締役 副社長 ハードウェアエンジニアリング&オペレーション本部長に就任。
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