カーボンニュートラルなど持続的社会の実現、既存事業の深掘り、新規事業を収益の太い柱にしていく──。多くの会社が取り組むべき課題だ。AGCは、デジタルトランスフォーメーション(DX)を進め、データサイエンスを重視し、製造現場の知識との相乗効果を図る「二刀流人財」を育成する。AI(人工知能)を使い、環境負荷の低い冷媒・溶剤を開発。またオフィスビルや自動車、スマートフォンなどあらゆる場所に存在するガラスを基盤に、最先端技術を組み込むことに積極的だ。技術で社会をいかに変えていくのか。取締役兼 常務執行役員の倉田英之CTO(最高技術責任者)に聞いた。
AGC
取締役 兼 常務執行役員 CTO 技術本部長
倉田 英之氏
オフィス街に立ってみると、たしかにガラスは一等地なのかもしれない。すぐ横には自動車の窓ガラスがあるし、見上げればオフィスビルの全面ガラス、そして手元にはスマートフォンのディスプレイだ。気がつけば、私たちはガラスに囲まれながら生活している。
ローイーというガラス、ご存知ですか?
日経BP 総合研究所 主席研究員
杉山 俊幸
日本で最初に板ガラスの工業生産に成功したAGC(当時は旭硝子)にとって、多くのビジネスチャンスがそこに潜んでいる。Low-E(ローイー)と呼ばれるガラスがある。Low Emissivityの略で、このガラスの内側と外側で、熱の出入りが少ない特長がある。断熱、遮熱に効果的でエコガラスとも言われる。
Low-E(ローイー)複層ガラスは1枚ガラスと比較して約78%の熱移動を抑制する
高速通信規格の5Gに対応した「窓を基地局化するガラスアンテナ」
優れた点が多いLow-E複層ガラスだが、一方で電波を通しづらい。課題解決のため自動車用ガラスなどで培った技術が応用できないか、考えてみる。「幅広い領域の技術があるのがAGCの強み。そうした相乗効果を図っていくのです」。取締役兼常務執行役員の倉田英之CTO(最高技術責任者)はそう語る。
NTTドコモなどと共同でAGCは、高速通信規格の5Gに対応したガラス一体型のアンテナを開発している。これら技術なども活用しながら、オフィスビル向けなど、環境配慮と使い勝手の良さやデザイン性を兼ね備えた、素材とソリューションを同時に提供できる開発につなげていく。
ありたい姿に向けてDX
こうした戦略は、AGCがまとめた「2030年のありたい姿」に表れている。そこにこうある。
独自の素材・ソリューションの提供を通じて、サステナブルな社会の実現に貢献するとともに、継続的に成長・進化するエクセレントカンパニーでありたい。
現在AGCは「2030年のありたい姿に向け、3つの方針を掲げています。両利きの経営、サステナブルな経営の推進、そしてDX(デジタルトランスフォーメーション)の加速による競争力の強化です」(倉田氏)。
ガラスや化学品、セラミックスなどのコア事業は継続して深掘りし、磨き続ける。同時に戦略事業を育て、それをもう一つの成長の柱に据えていくのが両利きの経営だ。戦略事業としてはエレクトロニクス、ライフサイエンス、モビリティといった領域がポイントになる。
AGCが2030年に向け掲げる方針の一つ、「両利きの経営」のあり方
マテリアルズ・インフォマティクスで持続社会へ
戦略事業を育てながら、一方でサステナブル社会への貢献を果たすため、DXを推進していく──。これらを具体的な形で表現できる商品あるいは事業は一つとしてないものか。強いて挙げれば、マテリアルズ・インフォマティクス(MI)による環境対応型冷媒・溶剤の開発が挙げられよう。
新しい素材を開発する際、AI(人工知能)を使って、狙った機能を発揮する化合物や組成を選んでいくのがMIだ。一から実験による試行錯誤を積み重ねるより、効率的な開発が期待できる。
「アモレア」シリーズは地球温暖化係数(GWP)の大幅な低減を実現
オンラインにてインタビューを実施(倉田氏は丸の内のAGC本社オフィスから参加)
この手法を使って地球温暖化係数(GWP)が小さな「アモレア」シリーズという冷媒・溶剤を開発した。エアコンなどで空気を冷やしたり温めたりする際に使う冷媒は、その機能とGWP低減を同時に実現するのが難しかったが、アモレアシリーズはGWPを通常の1000分の1ほどに収めるのに成功した。デジタル技術を使ったDXによって、サステナブル社会を構築する一助になっている事例ではないだろうか。
匠KIBITでAIが“自分”で熟練者に質問していく
デジタルを活用して、独自の技術を伝承させる取り組みも進めている。「匠KIBIT」というナレッジデータベースを使った技能伝承で、そこにAIをたくみに使っているというから興味深い。
入社から日の浅い若手社員が、ガラスなどの素材製造の現場で聞きたいことが出てきた時、恐らく先輩技術者に尋ねるだろう。極めて専門性が高い内容なら、知識や経験などナレッジが豊富な熟練者に質問したくもなるだろう。ただ、そうした方々に聞くのは、やや敷居も高い。さらに技術を伝えるべき熟練者の高齢化という問題もある。
困った若手社員は、聞きたい内容を匠KIBITに入力する。するとAIがその内容を判断して返答してくる。ただ、それが的を射たものでない場合もある。すると、質問に適した熟練者を自動でAIが選んで、メールなどで尋ね、返ってきた内容を質問者へ戻す。
AIの自然言語処理を使ったもので、質問と回答が繰り返され、AIは学習を重ねて、次第に賢くなっていく。熟練者が持つ暗黙知を形式知に変換して、技能の伝承を確かなものにしていく考えだ。
匠KIBITの概要図。熟練者から若手社員への技術継承をAIで推進する
協創空間「AO(アオ)」、社内のコラボも推進へ
技能伝承の一方で、最先端の技術を協創するのがAGC横浜テクニカルセンターである。21年6月にフルオープンした。その中に設けた「AO」が社内外とのコラボレーションの場となる。AGC OPEN SQUAREの略称で、アオと読む。
AO(AGC OPEN SQUARE)ギャラリー風景
「こんなデザインを実現できるガラスはありますか」。そう自動車メーカーのデザイナーから尋ねられれば、AGCにとって顧客ニーズが把握できる。「こんな新しいガラスも開発しているところです」。そうデザイナーに伝えれば、新たなデザインの着想につながるかもしれない。
AOの活用で倉田氏が想定するのは、東京の京橋で手がけたJAID(ジャイド)との協創だろうか。トヨタ自動車やホンダなど自動車メーカーのデザイナーとコラボレーションをして、京橋にあるAGC Studioで共同の展示会を開いた。これをAOでも実施していく想定ではなかろうか。
「JAID展」の様子
AGC横浜テクニカルセンター
より興味深いのは社内の協創の場でもある点だ。倉田氏は言う。「全社の技術を把握する“技術のソムリエ”がAOのメンバーにはいて、そのメンバーが社内に点在する技術の橋渡し役になって協創を促進するのです」。
このAGC横浜テクニカルセンターは、中央研究所と旧京浜工場に分かれていた研究開発拠点を統合し、素材、プロセス、生産技術のシームレスな開発体制を整えた。技術のソムリエがこれらをベースに、かけ合わせたり、バランスを整えたりするのだろう。
現場の技術×データサイエンス=二刀流人財
こうした「素材などに関する技術、そこにデータサイエンスの知識をかけ合わせた人材の育成に、いま全社で取り組んでいるのです」と倉田氏。AGCでは「二刀流人財」と呼ぶらしい。「Data Science Plus」というカリキュラムが体系化されており、現在初級と中級で1600人、上級が40人いるという。25年にはそれぞれ5000人と100人まで増やしていく。
これまでは現場の見える化、デジタル化を進めてきた。これからは、それらデジタル化されたものを現場で活用し、サプライチェーンをつなげる価値を創造する段階に入る。だから現場そしてデータも分かる二刀流人財が必要になるというわけだ。彼らが全社のDX推進の一端を担う。
デジタル技術活用、“人財”育成の両面からAGCは競争力を強化する
2030年のありたい姿に向け、企業変革を推し進めるAGC。変わらないことを最も恐れ、DXによって企業価値を高めようとしている。