IT小売企業。もちろん造語だが、そんな会社像を社内外に打ち出すのが、ホームセンター大手のカインズだ。広い店内で目的の商品の置き場所がすぐ分かる、ネットで注文し店頭でピックアップ──。品ぞろえ豊富なホームセンターでの買いものを、手のひらにあるスマートフォンのアプリで新しい顧客体験へと変えていく。営業時間外のピックアップ可能店舗もあるというからなお便利だ。無人店舗も視野に入る。デジタル戦略本部長の池照直樹氏が進めるのは、小売り店舗のDX(デジタルトランスフォーメーション)。そこではリアルとネットという区別すら意味を持たない。主役となるITエンジニアを積極採用し、快適に働いてもらうため、別会社まで作ってみせた。小売りの未来がここにある。
カインズ
執行役員 CDO 兼 デジタル戦略本部長
池照 直樹氏
ともすれば、買いものというのはわずらわしい作業なのかもしれない。広い店内、それはそれなりに開放感もあるが、ほしい商品がどこにあるのか分かりづらい。ショッピングカートを押して動き回るのもなかなか面倒だ。30分ほどかけてクルマで来店したのに、欲しい商品は売り切れていた。そんな経験をした読者の方々も少なくなかろう。
「2周も、3周も遅れていますね」
日経BP 総合研究所 主席研究員
杉山 俊幸
わずらわしさの解消から、エモーショナルな体験の創造へ──。デジタル技術を使って、そんな変革を進めるのが、ホームセンター大手のカインズ執行役員、池照直樹氏である。CDO(最高デジタル責任者)兼デジタル戦略本部長の職にある。文字通り、カインズ店舗のデジタル化に責任を持つ。
「2周も、3周も遅れていますね、日本は」
池照氏は、カインズ社長だった土屋裕雅氏(現会長)から、こんなことを言われた。2017年、米ラスベガスで開かれた、アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)のグローバルカンファレンス「AWS re:Invent 2017」に参加したときのことである。米国で進化する小売りのデジタル化に舌を巻いた。2泊4日のタイトなスケジュール、最後の夜のことだった。
なにもしないことが最大のリスク。それが土屋氏の危機感だった。当時の池照氏は、カインズの顧問。19年7月にデジタル戦略本部が立ち上がるのと同時に、カインズに入社し、その本部長に就いた。
まず、顧客戦略
「さあ、何から手をつけようかな」。池照氏が着任して、最初の感想だ。ここから店舗のIT化、そしてデジタルトランスフォーメーション(DX)を進めていくわけだが、池照氏がまず手をつけたのは伝統的なマーケティング、顧客戦略を作ることからだった。
19年3月には土屋氏が会長となり、高家正行氏が社長となるカインズの新体制が始まっていた。同時に掲げたのが、3カ年中期経営計画「PROJECT KINDNESS(プロジェクト・カインドネス)」だ。少し引用しておこう。
まずSBU戦略として、新たな顧客価値を創造する大胆なカテゴリーの拡縮だ。SBUは戦略事業単位の略である。次にデジタル戦略として、先に触れた、わずらわしさ解消からエモーショナルな体験の創造。そして空間戦略として、店舗空間でのカインズブランド演出とエンジニアリング。それを下支えするのがメンバー(従業員)へのカインドネスとして、誇りに思える働きたい会社へ、である。
池照氏は、どんな顧客にどんな手段でアプローチしていったのだろう。店舗から、例えば5キロ圏内なら販促チラシなど従来型の媒体が有効。これを10キロ圏内まで範囲を広げてしまうと、単純計算で4倍の費用がかかる。しかも遠いと来店頻度も高くない。だからウェブマーケティングが有効になる。
さらに安いのが会員への販促だ。こちらは、ほとんど費用はかからない。ところが池照氏がカインズに参画した当時、デジタルを介してやり取りできる会員は13万人しかいなかった。
3時間も雨が降れば…
オンラインにてインタビューを実施(池照氏は表参道のCAINZ INNOVATION HUBから参加)
カインズ全店で年間に買いものをする人(レジ通過する人)は1億人以上。会員の人たちが年に10回買いものをしてくれたとしても、130万レジ通過。全体の1%にも満たない。デジタルマーケティングの施策を打って、このうちの1割が反応しても、全体の0.1%にすぎない。
「3時間も雨が降れば、デジタルマーケティングの効果は“行って来い”だな」
池照氏は思わずつぶやいた。デジタルを介した会員とのやり取りの受け皿としてアプリ開発を優先させる。ただそもそもカインズにはアプリ開発などができるITエンジニアがほとんどいない。池照氏はITエンジニア採用に奔走する。
ITエンジニア確保、別会社まで作ってしまう
東京の表参道にある「CAINZ INNOVATION HUB」。カインズブランドの情報やR&D(研究開発)のデジタル拠点として、多種多様な人や情報が集まるハブの役割を担っている
「ホームセンターの店舗で働く人たちとITエンジニアでは、働き方は全く異なります。就業規則を変えてもらうことも考えたが、メンバーの2万人の人たちに影響を与えてしまう。出した答えが、別会社を作ることでした」と池照氏。
そして19年8月に、カインズテクノロジーズという新会社を設立する。同社がITエンジニアを採用し、カインズ本体へ出向してもらう。アプリ開発や店舗のバックエンドのシステム化ができる人であれば、性別はもとより国籍も関係ない。「最初は半分の方が外国籍。ダイバーシティを絵に書いたような会社だった」と池照氏は言う。
かくしてできたCAINZアプリ。現在では会員数が250万を超えている。エンジニアたちの拠点として東京の表参道に「CAINZ INNOVATION HUB(カインズ・イノベーション・ハブ)」を開設した。エンジニアの多くはテレワークなど自由な働き方。表参道の拠点は働くというより「名前の通り‟ハブ“となっている」(池照氏)。いろんな人と出会う場所だ。
わずらわしさ解消でアプリに機能追加
わずらわしさ解消のために、アプリに追加した機能もある。「CAINZ PickUp(カインズ・ピックアップ)」である。池照氏は言う。
「クルマで30分かけてカインズ店舗に着いて、買いたい商品を探して、広い店内を歩き回った末に、在庫はありませんとかなったら、いやでしょ?」。
こうした事態を避けるのがカインズ・ピックアップだ。ネットで注文して店舗で受け取る。忙しくて営業時間に間に合わないときもある。そんなときは、時間外でも受け取ることができる専用ロッカーの設置店舗も拡大中である。
店外(駐車場内)ロッカーまたは、PickUpパーキング(専用駐車場受け取り)にて、商品を受け取ることができる。パーキングは営業時間内での受け取りとなるが、店外ロッカーは一部店舗では24時間いつでも受け取り可能
探している商品を店内地図に表示する
広さが特長のカインズ店舗は、ときに欲しいものがどこにあるのか分からない。そんなわずらわしさには、「Find in CAINZ(ファインド・イン・カインズ)」が有効だ。最初は、店舗メンバー向けのシステムとして開発した。欲しい商品を検索すれば、店内の地図上の商品がある場所に印がつく。
この機能を顧客にも展開した。CAINZアプリの機能として、検索に連動するかたちで店内地図上に、検索対象の商品が示される。
アプリで注文して店舗へ取りに行ったり、また店内にいる時に探したいものが出てきたら手元のアプリで商品の場所を探したり。そう、デジタルの世界とリアル店舗の世界を、無意識のうちに行ったり来たりする。
来店してもらって、いわゆるついで買いを促す施策も忘れない。20年11月にオープンした「カインズ朝霞店」。そこには、スマートドックランと呼ぶものを用意した。ペットの犬を遊ばせることで人気のドッグラン。その予約をアプリで取ることができる。「大型犬が多い時間帯を教えてほしい」。そんな問い合わせもあるらしい。ペットが小型犬の場合、その時間帯を避けてアプリで予約。そして、その間にお買いものというわけだ。
カインズ朝霞店。買い物をより便利にするためのデジタル施策を多数導入している。ドッグランは、カインズのスマホアプリで使用予約ができ、設備の入り口ドアもスマホをかざすだけで解錠できる仕組みになっている
「この機能はまだ使っていませんけどね」
インタビューの最後、災害時の社会インフラとしてのカインズの存在意義を聞いてみた。すると災害時の対応もデジタルで実践するというから驚いた。
店舗も豪雨などで被災することももちろんある。困ることの一つが決済だ。レジが使えないときに備えて、スマートフォンに決済機能をつけて対応する準備が進んでいる。
「災害のとき、店舗はまさに地域を支える社会インフラ。そこが機能しないのでは近隣住民の方々も困りますよね。だからスマホで決済。体制は整えましたけど、まだ実際には使っていませんね」と池照氏。このデジタル機能だけは、使う場面が訪れないことを祈りたいものである。