格式高いエントランスで迎えるのは、ブルーの燕尾服を着たドアマン。チェックインのときに最近のゴルフの成績はいかがですかと気さくに聞かれ、あなたは愉快な気分で好調ですと答える。予約時に、ゴルフが趣味であると話した記憶がないのに…。高いホスピタリティが神秘的とさえいわれるリッツカールトンでは、ユーザーの趣味思考の把握はもちろん、いかなる要望に対しても「NO」といわない対応が有名です。にもかかわらずスタッフの笑顔に曇りがなく、過剰な顧客中心主義による疲れを一切感じさせません。
その秘密は、全従業員がポケットに忍ばせている小さなカードにあります。
NOといわないサービスはどのようなものか
一般庶民の目からすると、世界最上級のサービスを提供するホテルやレストランは敷居が高く感じます。予約をして「どなたのご紹介ですか」と聞かれ、やんわりと一見さんを断るようなイメージです。なるほど上質なサービスは、提供する側の手順やこだわりに基づいており、それを担保するためにお客さまを選ぶこともあるだろうと、腑に落ちないものの納得します。
しかしリッツのサービスはまったく逆で、お客さまからなんらかの要望があると、NOという返事をしません。本当にそんなことがあり得るのかを、有名なエピソードを参照しながら疑似体験してみましょう。
「明後日の来日が突然決まった賓客の宿泊先を確保しろ」。そう上司からいわれたあなたは、無理を承知でリッツに予約の電話を入れます。すると案の定返ってきた言葉は「予約でいっぱいです」のひと言。ため息をついて受話器を置こうとすると、思いもよらない提案をされます。「あいにく私たちはいっぱいですが、近くのホテルの空き状況と料金を調べて、のちほどお電話いたしましょうか?」。このように、むずかしい依頼が来ても、誠意のこもった対案を示してくれるのが、NOといわない秘密なのです。
誠意ある紳士的なサービスに対しては、客としても良識ある品位で応えたくなるもの。いつの間にか日本は的をはずした顧客至上主義によって、一部クレーマーの大声がまかりとおる社会になってしまいましたが、サービスをする側・される側が、互いの敬意を信頼する意義深さをリッツは感じさせてくれます。
代案はその場でスタッフが考えるしかない
NOといわない代わりに、なんらかの対案を示す接客を可能にしているのは、個々のスタッフの意識の高さです。マニュアルや上役に頼りきりにならず、自分の頭で考えるサービスをよしとする考え方が、高い意識をはぐくむ土壌となっています。やってはいけないことをマニュアルに列挙するのではなく、スタッフに責任と権利を託すことで、能動的にサービスをする心構えが浸透したのです。
急いでいるお客さまからお願いをされたときに、いちいち上司に承諾を確認、上司がさらに上の許可を確認する時間感覚では、上質なサービスを作り出せません。お客さまを目の前にして会話をしている本人が、そのときその場で判断を下す必要があります。
素直に考えると接客をするうえで当たり前に思えますが、巨大なホテルになればなるほど、言い換えると事業規模が拡大する企業になるほど、顔が見える者同士による当たり前がむずかしい。若いころは現場に出ることができても、年齢を重ねて部下が増えれば、それが許されなくなります。将が最前線に出てしまうのは通常愚策であるのでしかたありませんが、たまには事務所を飛び出して、外へ出てみるのもよいことでしょう。
ポケットにサービスの極意が記されたカードを忍ばせる
リッツのスタッフは「クレド」と呼ばれる小さなカードを、常に制服に忍ばせながら働いています。クレド(Credo)のもとは、「信条」「志」「約束」を意味するラテン語。転じて現在では、企業の理念・価値観・行動指針を平易・簡潔に示した文言、およびその文言が書かれたツールを表す言葉として使われます。日本風にいえば社訓に相当するものです。
高度なホスピタリティを実現するサービスは、マニュアルに頼らず、スタッフに権利を委譲する取り組みが大きく関係していますが、そうした考え方の根幹となるサービスの極意・社訓を小さなカードに印刷して全スタッフが持っているのです。
いったいそこにはなにが書いてあるのでしょうか? 極意というと企業秘密のような気がしますが、多くの企業と同じ様にウェブ上で公開されています。記されているのは「サービスの3ステップ」「モットー」「従業員への約束」といった項目です。ここですべてを紹介すると長くなるので、特徴が端的に表れているモットーを以下に抜粋します。
“We are Ladies and Gentlemen serving Ladies and Gentlemen”
(紳士淑女をおもてなしする私たちも紳士淑女です)
深読みすると、顧客満足と従業員満足はイコールであることが解釈できる、わかりやすいながら重たい言葉です。社訓を朝礼で唱えたり、額縁に入れて奉ったりするのではなく、カードという手にとって触れるかたちにして全スタッフに配り、業務中は常に携帯してもらう。社訓の重みを文字どおり、カードの物理的な重さと質感で感じられるというわけです。比較的導入しやすい取り組みかと思いますので、あなたの会社でも検討してはいかがでしょうか。
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