巨額な資産運用やプロスポーツなど、現実ではなかなか体験できないことを疑似体験できるボードゲームには、さまざまな種類があります。そのようなボードゲームの中でも、1958(昭和33)年に日本のエポック社が発売した「野球盤」は、当時、娯楽の王様と呼ばれるほど人気だった野球を題材とすることで大ヒットを生みました。
しかしエポック社の「野球盤」が発売される以前にも、野球を題材としたボードゲームやピンボールマシン、カードゲームなどが多数存在しました。それらと比べ「野球盤」が画期的だったのは、野球の「駆け引き」という醍醐味をリアルに味わえる対戦型ゲームであることでした。
今までにない「駆け引き」がヒットに
テレビゲームが登場する前は、ゲームといえば盤上(ボード)で複数の人が楽しむのが主流でした。友人と盛り上がるためのツールだったボードゲームには、さまざまなヒット商品やロングセラー商品があります。その1つがエポック社の「野球盤」です。
「野球盤」が登場する以前より登場していた初期の野球ボードゲームは、盤面にグランドやスコアボードが記され、サイコロやカードで結果を決めるというスタイルでした。中には指などで球をはじき、止まった場所で結果を判定するというものありました。
次に投げる、打つという対戦型のアクションが加わります。金属球を転がし、ばね仕掛けで回転するバットで打ち、その球が入った穴で結果判定という現在に通ずるスタイルも「野球盤」発売前に登場していました。
ジグソーパズル事業で成功していた出版社の前田竹虎氏は、過去に海外製の野球ボードゲームで遊んだ経験や当時の野球ブームから、より野球の醍醐味を楽しめる野球ゲームを作ろうと思い立ちます。
まず野球場という舞台を忠実に再現しようとします。それまで野球ゲームの盤面は立体感に乏しいものでした。そこで家具職人の手によって作られたバックスクリーンを設置し、選手の人形はこけし職人による手作りで立体的という凝った製品を開発します。
この造形により製品は58cm四方という当時では大型な玩具となり、さらに大卒の初任給の約1割である1,750円という高額な価格だったため、問屋からは難色を示されます。
そこで前田氏は、この商品を発売するために、出版社から独立してエポック社を創業します。そして「野球盤」を1958(昭和33)年に発売したのです。「野球盤」は高額にも関わらず生産が追いつかないほどのヒット商品となりました。
「消える魔球」などの変化球が人気を加速
造形で野球場の臨場感を演出した前田氏ですが、それだけにとどまりませんでした。初期の野球盤の球は直線的に転がるだけで、それを打つという単調なものでした。本物のように変化球を使って「かわす」という駆け引きは存在しなかったのです。
そこでエポック社は、カーブとシュートが可能な変化球機能を搭載した商品を1959(昭和34)年に発売します。盤の下にある磁石を操作して変化させるもので、これによりピッチャーとバッターの駆け引きが多彩となります。これにより「野球盤」は、さらなるヒットを生みます。
2010年代になると球は盤上を転がるのではなく、実際の野球のように空中を飛ぶ3Dピッチング機能となり、変化球機能も9種類に増えています。投げるのに合わせ、打つのも3Dバッティング機能を搭載。打球が弧を描きスタンドインするホームランが飛ばせるようになっています。
他の機能も多彩となり、バッターが左右の打席を選べるスイッチヒッター機能、「王シフト」「松井シフト」のように野手の守備位置を変える、ランナーが盗塁するなど、攻守とも実際の野球のように多様な駆け引きができるようになりました。
このような機能によりエポック社の「野球盤」は、それまでの盤面で球をはじくという野球ゲームとはもはや別ジャンルのゲームへと進化しました。
さらにエポック社がユニークなのは、スポ根マンガ「巨人の星」の「消える魔球」を再現したことです。盤の下に球を沈ませることで「消える魔球」を再現した工夫は大評判になりました。野球盤といえば「消える魔球」を連想する人は多く、それほどのインパクトがあったのです。
球場の造形は、人工芝球場が増えるとグラウンドに人工芝を貼る、ドーム球場が注目を浴びると透明なプラスチックでドームを再現する、メジャーリーグで日本人選手が活躍するようになればメジャー風のデザインにするなど、当時のトレンドに沿った演出を施します。近年ではカラー電光掲示板や場内中継まで再現するという凝りようです。
長嶋茂雄の起用から玩具界初のテレビCMに
機能に加えて、タイアップ商品も多数発売されています。読売ジャイアンツの長嶋茂雄選手や原辰徳選手、阪神タイガースなどの大物選手やチームの名を冠したものに加え、「巨人の星」「鉄腕アトム」「ディズニー」「ドラえもん」などの人気マンガ・アニメのコラボ商品まで実現しました。「野球盤」の機能だけでなく、プロモーションなどの話題作りにも努めていたのです。
エポック社がいかにプロモーションを重視していたかは、長嶋茂雄選手を起用した時の逸話にも現れています。当時絶大な人気を誇っていた長嶋選手をCMに起用できるのは一部の企業のみで、エポック社のような新興企業は門前払いでした。しかし前田氏はアポ無しで寮まで押しかけ、強引に寮長と話をつけて直談判に成功したのです。長嶋選手を起用したプロモーションは、1960(昭和35)年に玩具業界としては初のテレビCMまで発展しました。
臨場感ある疑似体験で半世紀のロングセラー
このようにエポック社の「野球盤」は大ヒット後も、新機能追加やコラボレーションなどのプロモーションを行い続けています。それにより「野球盤」は気が付けば半世紀以上も続くロングセラー商品となりました。
しかし新機能やプロモーションが効果を発揮するのは、「野球盤」に投げる・打つという野球の醍醐味が根本にあるからです。ボードゲーム上の疑似体験ながら、臨場感ある駆け引きが子どもたちを熱中させたのです。
■参考文献
・串間努『少年ブーム―昭和レトロの流行(はやり)もの』晶文社
・藤木TDC『昭和遺産探訪』宝島社
・『懐かしホビー大全集』エイ出版社
・過去の野球盤の特許
http://oukajinsugawa.hatenadiary.jp/entry/2016/04/21/060000
・野球盤ミュージアム
http://www.yakyuban-museum.com/
・エポック社野球盤公式サイト
http://epoch.jp/ty/yakyuban/
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