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2017.10.31 (Tue)

歴史上の人物から学ぶビジネスの神髄(第4回)

歴史上の偉人も実践!食による健康管理

posted by いまだ あすか

 健康診断で、医師から食事や運動などといった生活習慣を見直して、老後の健康へ配慮を始めるようにといったアドバイスが行われることは、よく耳にすることです。じつは長寿といわれる歴史上の偉人は生活習慣に注意を払っていた人が多く、健康管理に関する言い伝えや書物が多く残っています。

 ここでは、日本史に登場する有名な4人の健康管理方法について紹介し、現代の健康管理方法との接点を検証してみます。

豊臣秀吉は麦飯とハチミツで健康を促進させた

 まずは戦国時代の武将である豊臣秀吉の食事による健康管理方法です。秀吉は戦国時代としては長寿といわれる61歳まで生きました。粗食を好み、麦飯をよく食べていたと伝えられています。麦飯は白米と比べて10倍の食物繊維と4倍のカルシウムを含んでおり、また急激に血糖値が上がらないため、高血圧・高コレステロール・便秘などの体質改善に効果のある食物です。

 また、秀吉は疲労回復や免疫力アップのために、肉、にんにく、ハチミツなどを煮込んだ「太閤スープ」を飲んでいたといわれています。ハチミツには疲労回復、免疫力アップ、傷の治癒、動脈硬化の予防といった効果があるとされています。

機能性食品の仙台味噌を出兵でも食した伊達政宗

 豊臣秀吉と同時代を生きた仙台藩初代藩主の伊達政宗には、地元の名産である仙台味噌と水に関する逸話があります。

 仙台味噌とは、米麴と大豆で作られた赤味噌です。宮城県味噌醤油工業協同組合によると、豊臣秀吉が1593年に各藩主へ朝鮮出兵を命じたとき、持ち込んだ食料の中に味噌があったとのこと。他藩の味噌は夏に腐敗してしまいましたが、伊達政宗が持参した仙台味噌だけ変質しなかったため、良質な味噌として評判になったそうです。

 仙台味噌は、アミノ酸と糖のメイラード反応から茶褐色となっています。その茶褐色物質のメラノイジンは、抗酸化作用や代謝アップの効果があるといわれています。味噌汁は脳卒中、認知症、心臓疾患などのリスクを軽減するという研究結果を大妻女子大学の青木宏教授が発表しているほか、前述の宮城県味噌醤油工業協同組合は、味噌汁が体調を整えたり、病気を予防する働きのある機能性食品でもあるとしています。

 また政宗の水に関するエピソードでは、健康文化史に造詣が深い森村宗冬氏の著書『日本史偉人「健康長寿法」』によると、政宗はよく大きな茶碗で水を何度も飲んでいたそうです。

 サントリーのウェブサイトにある「水大辞典」では、水の働きとして「栄養素や代謝物の運搬、体温の調節などが行われ、生命の機能が保たれています。健康を維持するのに毎日水分補給をする必要があるのは、このためです」と紹介しています。この点でも政宗の水に関する習慣は健康維持に即したものといえ、69歳という天寿を全うしたのです。

徳川家康は旬のものばかり食べていた

 日本人の平均寿命が50歳未満だったといわれている江戸時代に、徳川家康は75歳まで生きたということでも知られています。雑誌『徳川家康に学ぶ健康法』によると、家康は折戸ナス、浜納豆、麦飯、イワシ丸干し、八丁味噌といった地元近辺の名産品を好み、旬のものしか食べなかったと記載されています。

 ビタミンとミネラルが豊富な麦飯、脳の活性化に役立つ味噌、血液の流れを良くするイワシなどは、栄養価の高い食事だったといえます。また運動面では、水泳や鷹狩を好み、普段から適度な運動を行っていたようです。適度な運動も、家康の長寿を支えた1つの要因だったのでしょう。

4万kmを60代で歩いた伊能忠敬の健康管理術

 1800年代の江戸時代に、伊能忠敬は北海道から鹿児島県種子島までを網羅する日本地図を作成するために測量の旅に出ました。その旅は16年にも及んでいます。忠敬は50歳代中盤でこの旅に出ていますが、歩いた距離は地球1周分の4万kmだったといわれています。『日本史偉人「健康長寿法」』によると、忠孝は地図を完成させるために、一日十里(約40km)の行程を自らに課していたそうです。夜明けと同時に起床して測量の旅を続けていました。このような生活を続けたときの忠敬の年齢は、50歳代中盤から60歳代だったのです。

 しかも忠敬の身体は健全だったわけではなく、痔とぜんそくを抱えていたとされています。忠敬は地図を完成させる使命感から、食事管理を行なっていたそうです。豆腐や豆類などを中心とした食事を心がけたので、体力維持に繋がったと推測されています。

 現代では、豆や豆腐などは良質なたんぱく質が摂れる理想的な食事ということが知られています。健康管理と体力維持に務めた忠敬は74歳までの生涯のうちに、北海道から鹿児島県種子島までの測量を成し遂げました。この業績によって没後に、精密な日本地図が完成したのです。

歴史上の偉人は長寿傾向?

 今回紹介した戦国時代や江戸時代に偉業を成し遂げた4名は、食生活や運動の面から健康管理に努めていました。いずれの人物も才能や能力に加えて、長寿だったから歴史にのこるような偉業を成し遂げられたとも考えられます。

 歴史上の偉人に関する健康管理術を紹介しましたが、現代のビジネスパーソンにとっても大いに学べる点があるものばかりです。

【参考文献】
雑誌『徳川家康に学ぶ健康法』メディアソフト
森村宗冬『日本史偉人「健康長寿法」』講談社

【関連記事】
http://www.omiso.sakura.ne.jp/misohistory/misohistory.html
http://www.suntory.co.jp/eco/teigen/jiten/life/01/

いまだ あすか

いまだ あすか

アメリカ合衆国オレゴン州立大学卒。専攻はビジネス管理。私立中学受験塾の社会科講師、証券会社勤務を経てライターに転身。「歴女」としてビジネスに活かせる日本史の紹介記事などを多数執筆中。

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