国内旅行の定番の1つである温泉旅行ですが、すべての温泉街が盛況というわけではありません。なかには寂れてしまったところもあります。
熊本県の阿蘇山北部の山間部にある小さな温泉郷、黒川温泉は1960年代の開業時は盛況でしたが、一度寂れます。ところが現在は旅行雑誌『九州発じゃらん』の「行ってよかった観光地」で6年連続1位に選ばれ、2009年版『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』では二つ星を受けるほどのV字回復を見せています。
一度は客足が遠のいた黒川温泉が、再び盛況を取り戻した復活劇とはどのようなものだったのでしょうか。
道路開通で賑わうも数年で下火に
黒川温泉は、1964年にやまなみハイウェイという有料道路(現在は無料)の開通に伴い、山間部の湯治場から旅館の建ち並ぶ温泉街へと変わります。しかし、これといった特徴のない温泉街は、目新しさが失われると1960年代後半からは客は減少し、寂れはじめました。
そのことに危機感を覚えた同地の温泉旅館「山の宿 新明館」当主の後藤哲也氏は、まずは自分の旅館から改革を行います。当初、後藤氏の改革は周囲から奇異の目で見られましたが、成功を重ね次第に温泉街全体を巻き込むものへと発展。現在、黒川温泉は国内だけではなく外国人観光客にも知られているほどの人気温泉までに回復しています。
黒川温泉の回復は、温泉街の「魅力」や自分たちの「個性」を考え抜き、それを温泉街全体に徹底させたことにあります。
V字回復をさせた「魅力」や「個性」とは
当時の黒川温泉は、大分県の別府や静岡県の熱海のような全国区の知名度や、豪華な設備の旅館はありません。さらには山間部という立地から公共交通機関が整っておらず、そのため黒川温泉の旅館当主たちは寂れ始めると「こんな交通の便が悪いところでは」と嘆く人がほとんどでした。
しかし新明館当主の後藤氏は逆に、その「立地」が魅力になると考えていたのです。
黒川温泉が寂れ始めたころに出かけた京都観光で、後藤氏はあることに気づきます。人の手で木々や砂利までもが整然と配置された日本庭園より、自然を活かしたレイアウトの庭園が人を惹きつけるようになっていたのです。整然とした景観より、自然を生かしたもののほうが、仕事や多忙な生活のストレスから解消される「憩い」を感じられるという考えに至ります。
後藤氏は黒川温泉を整然とした景観ではなく、自然が感じられる「日本のふるさと」をイメージさせるものに変えようと動き出します。露天風呂の周りには雑木を植樹し、コンクリートで固めるのではなく石を配置しました。温泉街も、あちこちに雑木林を作り、街並みも薪小屋や地蔵をしつらえ、農作物をつるします。さらに囲炉裏で料理をするところまで用意し、ふるさとの懐かしい雰囲気を整えます。
また後藤氏は各地の観光地を観察し、小さな看板1つが街全体の雰囲気を壊すことに気付きます。たとえば、歴史を感じる街並みなのに、原色に彩られた看板があったり、ひどい場合には、星空の名所なのに近くでネオンサインが煌々と瞬いています。
そこで黒川温泉は、雰囲気にそぐわない数百の看板などを風景と調和する木製や黒を基調としたものに変え、建物外観の色まで塗り変えました。
加えて行政に道路や街並みを整備する際は、整然と街路樹を植える、橋をどぎつい色で塗装するなど温泉街の景観を損なう整備を変更するように申し入れました。
後藤氏は、黒川温泉全体を徹底して「日本のふるさと」に変えていったのです。
温泉街全体を1つの宿に
街並みの整備を行うと同時に、露天風呂を黒川温泉の売りにする案が浮上します。当初は露天風呂を全旅館に建設するという案でしたが、建設不可能な旅館があることがわかりました。その代わりとして1983年、各旅館の露天風呂巡りができる入浴手形がスタートします。実施してみると、利用客は温泉街を散策するようになり、別の旅館の魅力を知ってもらえる機会となりました。すると次回は別の旅館に宿泊して黒川温泉を楽しもうというリピーターになったのです。
入浴手形は各旅館の経営方針にも変化を起こしました。それまでは館内にカラオケやレストランなどを設け、個々が利用客を囲い込むとう方針でした。しかし入浴手形の登場で、温泉街を散策してもらい、利用客を温泉街で共有しようという方針に変わります。
その方針転換から「黒川温泉が1つの旅館」というコンセプトが生まれます。さらに「街全体が1つの宿、通りは廊下、旅館は客室」というキャッチフレーズを掲げるようになりました。黒川温泉は自然を生かした景観と懐かしさを感じる街並み、入浴手形などのサービスによって、お客さまに「もう一度行ってみたい」と思わせるようになったのです。
「いいところに来た」という心の満足感を
黒川温泉の回復劇は、観光の魅力の本質を妥協なく追求した結果だといえます。人はくたくたに疲れることがわかっていても、山や海、果ては遠く地球の裏側まで出かけていきます。これは利便や得失の問題ではなく、実体験を通じた「心の満足感」を求めるからです。
黒川温泉を改革した後藤氏は、一般社団法人日本旅行業協会が2003年に行なった現地ヒアリング報告で「都会の人が田舎に来て何を求めているのか。そのような人たちの心を打つものを提供しなければならない。(中略)雰囲気が伝わるものを作らなくては意味がないし、お客さまの心に届かない。(中略)結局はお客さまから「いいところに来た」という言葉をいただけるかどうかである」と述べています。黒川温泉は、心の満足感に届くものを妥協なく追求したからこそ、V字回復を成し得たのです。
参考文献
・後藤哲也『黒川温泉のドン 後藤哲也の「再生」の法則』朝日新聞社
・後藤哲也 松田忠徳『黒川温泉 観光経営講座』光文社新書
・松田忠徳『黒川と由布院』熊日出版
・川北義則『「ない」といわれたところに市場はあった』PHP研究所
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