2017.05.17 (Wed)

地方振興の事例から、ビジネスのヒントを学ぶ(第2回)

真珠養殖は“世界”を制したイノベーションだった

posted by 味志 和彦

 明治から昭和にかけて、日本は世界トップクラスの真珠生産国として君臨していました。しかし真珠産業は、政府の指導などで創生されたものではありません。地方の一企業が生み出したイノベーションから、世界を制する産業が創り上げられたのです。

 そのイノベーションとは、養殖による「大量生産システム」を確立したことです。

生産体制の構築により世界市場で優位を占めた

 真珠はアコヤ貝などの中から採取されるもので、天然のアコヤ貝から採取される確率は貝1万個に対して真珠1つといわれるぐらいに低く、貴重なものです。養殖技術が確立する前は、世界各国でアコヤ貝を乱獲するという非効率的な生産体制を取っていました。

 真珠の採取を目的としたアコヤ貝養殖は、日本でも古代から行われていましたが、技術は不確実なものでした。その技術を研究していた御木本幸吉(御木本真珠店〈現・ミキモト〉創業者)が、1893(明治26)年に三重県の鳥羽市で半円の真珠の養殖に成功したことにより、日本の真珠産業のイノベーションが始まります。

 その後、御木本は娘婿と協力し1905(明治38)年には世界初の完全な球形の養殖真珠に成功。その後日本では真珠養殖技術の研究が盛んになり、安定して採取できる養殖技術が確立します。

 日本の真珠産業は養殖技術によって業績を伸ばし、世界市場でも頭角を現してきます。量と価格面で太刀打ちできないと察した欧米の国々は「日本で養殖された真珠は人工による偽造品」だと裁判で訴えて、市場から締め出そうとします。しかし天然ものと養殖ものに差異はないことが分かると、論争は終結。日本の養殖真珠は世界へ広まり、御木本は世界から「真珠王」と呼ばれるまでの存在になります。

地方産業でも世界の最先端をリードできる

 世界市場でトップクラスの地位を築いた日本の真珠産業は、三重県の英虞湾、長崎県の大村湾、愛媛県の宇和海などで発展しました。真珠産業は養殖に適した海が必要だったため、自然豊かな地方に生産拠点を構えたのです。そのような地方産業が世界の市場勢力図を塗り替え、日本へ莫大な外貨をもたらしました。

 真珠産業は、第二次世界大戦によりほとんどの産業が壊滅状態だった日本で、外貨を稼ぐのに一役買ったとされます。日本の真珠は米軍関係者にも知られており大人気でした。進駐する米軍基地内売店への納入金額の4割を真珠が占め、帝国ホテルにある御木本の店舗には開店前から米兵が列をなし午前中に完売ということもあったそうです。

 また、世界中に名前が轟いていた御木本に対して、養殖地を見せて欲しいという海外からの来客が引きも切りませんでした。マッカーサー夫人やリッジウェイ最高司令官夫妻など米軍高官をはじめ、多い時は1日に数百人の米軍関係者が訪問し、時には軍艦やヘリに乗ってまでやってきたそうです。英国のエリザベス女王やアレクサンドラ王女、オランダのベアトリクス王女など、世界の貴顕までもが訪問しています。

 技術などのイノベーションによる成功から、一地域に産業が根付くことは他でも見られます。たとえばIT産業が集まるシリコンバレーは、アメリカのカリフォルニア州サンフランシスコの南岸の渓谷地帯でした。スタンフォード大学が半導体の研究所を設立したのと、学生に起業を呼びかけたことを契機に、PC機器メーカーのヒューレット・パッカードが創業。PCやIT技術でイノベーションを起こし、IT企業が次々とシリコンバレーで創業し、海外からもエンジニアが集まるほどの産業へと発展しました。

 日本の真珠産業は、諸外国が確立できなかった「養殖による大量生産」というイノベーションを先んじて確立することで、世界市場を制しました。たとえ距離や人口で都会とギャップがあっても、技術によるイノベーションを確立すれば、地方から世界の最先端をリードする道が開けることを日本の真珠産業の歴史は示しているのです。

参考文献
・杉山二郎他『真珠の博物誌』研成社
・松井佳一『真珠の事典』北隆館
・山田篤美『真珠の世界史』中公新書

味志 和彦

味志 和彦

佐賀県生まれ。産業技術の研究者を経て雑誌記者など。現在コラムニスト、シナリオライター。

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