廃校を酒蔵として再生し、酒造りの他、学びや交流の場としても活用する「学校蔵プロジェクト」。
東京から新幹線と高速船を乗り継いで約4時間かかる佐渡島で行われている学校蔵の酒造り体験には、国内にとどまらず、アメリカやスペインからも参加者が訪れるなど、地域の中でさまざまな波及効果をもたらしています。
発案者は、地元の酒造会社・尾畑酒造の平島健社長。東京で生まれ、角川書店で「東京ウォーカー」などの編集をしていた平島社長は、もともと佐渡島とは縁もゆかりもありませんでした。そんな平島社長が、なぜ「学校蔵」を始めることになったのか。その思いをたどることで、多くの“応援団”を引き付けてやまない「学校蔵」の魅力の一端を垣間見ることができそうです。
吉本興業も活用 廃校に秘められた無限の可能性
学校蔵の話の前に、廃校の現状を見ておきましょう。
文部科学省が1月に公表した「廃校施設活用状況実態調査」によると、毎年500前後の廃校が発生。2002年度から2015年度に発生した廃校6,811校のうち、施設が現存しているのは5,943校で、その約7割が教育・文化施設や福祉・医療施設、体験学習・宿泊施設など、さまざまな用途に活用されています。
あの吉本興業も2008年から、新宿の廃校を東京本部の社屋として活用。「笑いは、人の触れ合いや思い出といった『人の情』を芸に昇華するもの。小学校は人間の触れ合いが形成される場所であり、人材を養成する場所としてとても良い環境」だとして、2014年までスタッフ養成校「よしもとクリエイティブカレッジ」も併設していました。
山梨県の中学校はドローン(小型無人航空機)の製造工場として活用されています。ドローンのテストフライトには無風の大型空間が必要ですが、体育館は理想的な環境なのだそうです。
廃校活用のメリットとして、文部科学省は「同規模の建物を建設する場合と比べて費用の節約が期待できる」「地域に密着した事業を展開する際に学校施設を拠点とすることで、地域の理解が得られやすい」「『学校施設の再利用』という形の地域貢献が達成できる」ことなどを挙げており、地方創生にも大きな役割を果たすと期待されています。
多感な時代を過ごした学校は、誰にとっても“心のふるさと”ともいえ、たとえ自身が通った校舎ではなくても、どことなく懐かしさを感じさせる不思議な魅力があります。冒頭で紹介した調査によると、活用の用途が決まっていない廃校は1,260校あり、少子化の流れの中で今後も増えていくとみられています。アイデア次第でさまざまなビジネスチャンスが広がっていく可能性がありそうです。
しかし、学校蔵の発案者である尾畑酒造の平島社長の発想は、もっとピュアな思いから生まれたものでした。
「見せたいものがある」と連れ出された廃校で打ち明けられた構想
角川書店で雑誌の編集者をしていた平島社長は、就職して間もなく、後に妻となる尾畑留美子さん(現・尾畑酒造専務)と知り合います。
1892(明治25)年創業の尾畑酒造の次女として生まれた尾畑専務は、東京の大学を卒業後、日本ヘラルド映画(当時)に入社。宣伝プロデューサーとして華やかな日々を送っていました。
「『うちの母方の実家も造り酒屋なんだ』といった話をしながら、どちらかというとビールを飲んでましたね(笑)。そのうち彼女が『尾畑酒造を継ぐため佐渡に帰る』と言い出し、それから結婚話に。私は雑誌作りも酒造りも、ものづくりの1つだと思いました。なおかつ、子どもの頃は長期の休みにはずっと造り酒屋にいたので、自分のDNAというか、酒屋も面白そうだと考え、2人で佐渡に移り住んだのです」(平島社長)。1995年のことでした。
平島社長が西三川小学校のことを知るのはその9年後の2004年。小中学校の統廃合などを検討する佐渡市の委員会の民間委員に委嘱され、全島の小学校を視察した時のことです。「島の自然を一望できる素晴らしいロケーションに、素敵な木造校舎。ある意味、一目ぼれでしたね」
しかしその時、既に西三川小は廃校の方針が固まっていました。「この小学校が朽ち果てていくのは残念でならない。何とかできないものかと漠然と思っていました」
それから4年が過ぎ、平島社長は長女が通っていた真野小学校のPTA会長を拝命。西三川小の統合に向けた会議などで同校を訪れる機会が何度かあり、廃校後も利活用の予定がないことを知った平島社長は「何とかしたい」との思いを強くします。
以前から「いずれは酒造りを多くの人に教えたい」という夢を描いていた平島社長。その夢と西三川小が結び付き、「学校で酒を造って、酒造りも学んでいただける場にしよう」という「学校蔵プロジェクト」の基本コンセプトが生まれたのです。
尾畑専務が平島社長から構想を聞いたのはその2年後の2010年。「見せたいものがある」と連れ出された車の中で、「廃校を仕込み蔵として再生させようと思う」と打ち明けられます。
当時の日本酒市場は縮小傾向が続いており、新しく蔵を構えることにリスクを感じた尾畑専務でしたが、西三川小を目にして考えが一変。「自分の生まれた島をこんなに美しいと感じたのは、初めての経験」であり、「これは、やらねばならぬ」との言葉が思わず口をついて出たそうです。
「酒」「ブランド」「佐渡」の3つのファンづくり
準備期間を経て2014年に始まった学校蔵では、仕込みの期間中に、酒造りを学びたい人たちを受け入れています。「これには3つの目的があります。酒のファンづくり、私たちのブランドのファンづくり、そして佐渡のファンづくりです」(平島社長)
酒造り体験は、製麹から三段仕込みまでの期間をじっくりと体験してもらうため、1週間にわたり学校蔵に通うスタイル。酒造りは早朝を中心に行われるため、空き時間に佐渡の魅力にも触れることができます。1週間の長期滞在となれば、島内のさまざまな地域を訪れることになり、島の人々との交流や、観光・経済への効果も期待できます。
海外輸出にも力を注ぐ尾畑専務は、海外出張を重ねる中で「生産地の魅力」に着目し、「酒を語るときは佐渡島そのものが一番大切なストーリー」と気付いたそうです。海外に飛び出すようになって「故郷が持っている価値」に気付き、それは世界に通用するのだと実感。田舎と呼ばれる地方にこそ、大きな可能性があると考えるようになりました。そして、佐渡島ならではの「ここにしかないもの」の一つが、「日本で一番夕日のきれいな小学校」といわれた西三川小の木造校舎だったのです。
だからこそ、学校蔵では、酒造りのノウハウを学ぶだけでなく、長期滞在により、酒を生んだ生産地・佐渡の魅力も知ってもらうことで、「酒と佐渡の伝道師」を育てたいのだといいます。そして、学校蔵を第二の母校、佐渡を第二の故郷と感じてもらい、たびたび戻ってきてほしいとの願いを込めています。
酒造り体験の希望者は国内にとどまらず、アメリカやスペインからも。「酒造りに対する関心が国際的にも少しずつ高まっていることをあらためて感じました」と言う平島社長ですが、「いっぺんに多くのファンづくりができることは決してありません。効果が出てきたなと思えるのは10年、20年後でしょう。ただ、少しずつ積み重ねていくことで、3つのファンづくりにつなげることができれば」と、身の丈にあった取り組みを地道に継続していくことを大切にしています。
尾畑専務も「映画の宣伝ではマーケティングやターゲティングを重視していましたが、私たちがしたいのはブランディングです。私たちの目指していることを形にして、伝えていく。そうしたことに思いを馳せながら、酒造り、そしてこうした“場づくり”を続けています」。
酒造りにICTを活用する試みも
酒造り体験の他、企業などがタンク1本を丸ごと買い切り、オーダーメードで酒を製造することも可能で、新たな企業との出会いを創出する場にもなっています。これまでに産経新聞社をはじめ、百貨店や居酒屋チェーンなどとのコラボレーションが実現しています。
地域活性化や地方創生の事例として取り上げられることの多い学校蔵ですが、尾畑専務は「地域活性化のためにというより、『この学校が朽ち果てていくのは見たくない』というのが正直な気持ちです。ただ、地域が楽しい場所になればいいなと思っているので、これからも楽しいことを生み出していきたいですね」と笑顔で語ります。
学校蔵では、「酒造りの場」「学びの場」に加えて、さまざまな人が集い意見を交わす「交流の場」、佐渡の美しい自然環境を“見える化”する「環境の場」にも力を注いでいます。さらに、今年からは酒造りにICTを活用する新たな試みもスタートしました。こうした取り組みは連載の後半で紹介していきます。
連載記事一覧
- 第1回 50年で人口半減の佐渡 盆踊りとICTで地域再生 2017.08.10 (Thu)
- 第2回 なぜ廃校が地方創生の核になり得るのか 2017.08.24 (Thu)
- 第3回 日本酒の輸出戦略から探るグローバル展開のヒント 2017.09.08 (Fri)
- 第4回 築62年の木造校舎で挑戦する伝統の酒造り×ICT×RT 2017.09.14 (Thu)
- 第5回 佐渡で出会った東大教授が語る地方創生とは 2017.09.21 (Thu)
- 第6回 ライフネット生命会長らと考える「幸せを産む働き方」 2017.10.20 (Fri)