最近、多くの書店でぬり絵コーナーを見かけるようになりました。しかも、並べられているのは緻密で芸術性の高い下絵が描かれた作品ばかりで、明らかに大人向けに作られたぬり絵の本であることが分かります。
実は、この大人向けぬり絵の本が最初に注目されたのは、日本ではなく海外なのです。海外では既に大人向けぬり絵の本がミリオンセラーになるなど、出版業界の売上にも大きな影響を与えるまでなっています。
それではなぜ、大人向けのぬり絵が国内外でブームとなっているのでしょうか。
大人向けぬり絵が出版不況の救世主となるか
大人向けぬり絵がブームとなるきっかけを作ったのは、2013年にイギリスで出版されたJohanna Basford作の『Secret Garden』(Laurence King Publishing)です。同年に日本語版としてジョハンナ・バスフォードの『ひみつの花園』(グラフィック社)が発売されており、やはりベストセラーとなっています。
同氏のぬり絵本のうち、特に売れた『Secret Garden』と『Enchanted Forest』はアメリカだけでも約270万部売れており、世界50カ国で出版された累計では1,350万部を超えてるといいます。
日本語版も『ひみつの花園』を筆頭に、『ねむれる森』(2015年4月発売)、『海の楽園』(2015年10月発売)といずれもAmazon.co.jpを確認してみると、本稿執筆時点(2016年4月)で総合ランキング1,000位台、4,000位台、8,000位台を維持していますので、かなり売れ続けていることが分かります。
特に『Secret Garden』は発売後2年で100万部を突破したことで、大人向けのぬり絵の需要が大きいことを強く印象づけることになりました。同書のヒットまでは、大人向けぬり絵がブームになるとは誰も想像していなかったのです。
このヒットをきっかけにして、世界では2,000を超える大人向けぬり絵が出版され、国内でも日本人作家によるベストセラーが登場するなどの現象が起きています。
大人向けぬり絵が出版界の救世主と呼ばれているのは、単に販売部数が伸びていることだけが理由ではありません。ひとつの特徴は、紙に印刷されているからこそ塗ることができること。これにより、電子書籍化されることなく印刷物が売れるというわけです。そしてもっと大きな特徴は、ぬり絵本は消耗品であり、一度塗ってしまったら中古品として転売できないということ。さらに、ぬり絵を気に入った人は、一度塗ってしまったら次々と新しい本を購入したくなることも挙げられます。
これらの特徴により、大人向けぬり絵はデジタル市場や中古市場からも侵害されることなく新品が売れ続けるという、出版業界にとっては望ましい特性を持った本となっています。出版業界にとって、嬉しい驚きだったといえるでしょう。
なぜ、大人がぬり絵を求めているのか
それではなぜ、大人たちから歓迎されたのでしょうか。その理由は、現代人のストレスにあると考えられています。つまり、ぬり絵を行うことが、ストレスを解消してくれるというのです。
複雑なシステムに依存した現代社会での生活では、脳への負荷は左脳に偏るとされており、左右の脳の疲労バランスが崩れているといわれています。そこで、ぬり絵によって知覚や感性を司る右脳が活用されることにより、左右の脳のバランスが保たれるのではないかと考えられているのです。
また、文字や図形をキーボードとマウスで入力することに慣れた現代人が、デジタル機器から解放されて手先を動かすぬり絵に集中することで、右脳が心地よく刺激されることも考えられます。
アメリカ・ニューヨークで活動している心理学者のベン・ミカエリス氏は、ぬり絵がセラピー効果を持つことをカール・ユングの時代から心理学者の間で注目されてきたことに着目し、自身のWebサイトでも、ぬり絵の効能についての情報を積極的に発信しています。
実際に精神科のリハビリテーションとして、ぬり絵が作業療法の一環として取り入れられているところもあります。また、心理テストとしても、ぬり絵が活用されることがあります。
さらに、色は自律神経のバランスにも影響を与えます。暖色系は交感神経を、寒色系は副交感神経を刺激するため、ぬり絵を行う際には無意識に今の自分に必要な色を選ぶことで、自律神経のバランスを取ろうとするのだと考えらます。これは、今日は赤い色の服を着たい気分だな、と服を選ぶときと同じ感覚といえるでしょう。
しかも、ぬり絵には正解がありません。正解がありませんから、心のままに自由に行動できる(好きな色で好きなように塗る)ことで、日常のストレスから解放される効果も期待できます。
メーカーの特需にもなった大人向けぬり絵
塗って使ってしまうというぬり絵の特徴が、出版業界を潤していることについてはすでに述べましたが、このブームは別の業界にも特需をもたらしました。
それは色鉛筆やクレヨンのメーカーです。たとえば大人向けぬり絵ブームとなったブラジルでは、色鉛筆の売り上げが5倍に急増したメーカーもあり、品不足まで起きました。
クレヨンや色鉛筆の製造で有名なドイツのステッドラー社でも、生産が追いつかないほどの注文が入ってきており、嬉しい悲鳴をあげているとのことです。また、同じくドイツの色鉛筆メーカーであるファーバーカステル社も、色鉛筆が在庫不足になっていることを発表しています。
このように、大人向けぬり絵ブームは出版業界だけでなく、色鉛筆やクレヨンのメーカーにも特需をもたらしたのです。
日本でのブーム
世界中でブームとなった大人のぬり絵は、日本でもすでにブームとなっています。日本はヨーロッパほど日常にアートが根付いていませんが、精神的なリラクゼーションや癒しをもたらすぬり絵が、ストレスの多い日本でも受け容れられたのは自然なことかもしれません。
また、日本人は禅など和のイメージに安らぎを見出す傾向があることから、今後はこれらのテーマを扱ったぬり絵も増える可能性があります。
もし、ストレスが溜まっていると感じるようでしたら、一度ぬり絵を試してみてはいかがでしょう。思いの外、癒されるかもしれませんよ。
連載記事一覧
- 第1回 大人向けぬり絵のブームはなぜ起きている? 2016.05.24 (Tue)
- 第2回 大流行「ポケモンGO」のビジネスの仕組みとは 2016.08.31 (Wed)