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京都大学大学院人間・環境学研究科 東郷 雄二 教授

vol.31
京都大学大学院人間・環境学研究科

東郷 雄二 教授

「すぐに解答を欲しがる」「問題を発見するのが不得手」──。こうした最近の大学生たちの気になる傾向を「知的に打たれ弱い症候群」と名付け、知的生産のためのスキルを高める必要性を指摘する京都大学大学院人間・環境学研究科の東郷雄二教授に、最近の学生の実態や研究活動におけるICTの活用法について伺 いました。

読み書きのスキルを訓練することの意味

「問題を発見するのが不得手」「考えを論理的に述べる言語能力の不足」といった学生たちの傾向をどうみていますか。

東郷

この二十数年間、2回生の学生が第二外国語として履修しているフランス語の講義を担当していますが、講義の度に短いエッセーや評論を翻訳する宿題を出してきました。ところが、その宿題の出来具合を昔と今の学生で比較すると、残念ながら少しずつ悪くなっているように思えてなりません。私は大学生の学力を統計的に調査している教育学者ではありませんから、経験的にしか言えませんが、文章を読み解く力、文章の意味をくみ取る力がやはり落ちている印象があります。いわゆる「ゆとり教育」と関係があるかもしれません。たとえ、高校までの学習量が教育指導要領によって減らされても、京都大学や東京大学の学生の質には関係ないという見方もありますが、こうした時代の雰囲気は、陰に陽に影響しているのではないでしょうか。

東郷 雄二 教授 東郷 雄二 教授

では、こうした学力の問題にどう対応すればいいのか。やはり、読み書きのスキルから訓練する必要があるでしょう。「大学に入って、今さら読み書きについて教わることは何もない」と言う学生がいるかもしれませんが、そんなことはありません。日本の学校教育では、本の読み方について、ほとんど教えていないのです。例えば、小学校では、課題図書を読んで感想文を書きますが、これは一種の情操教育です。主人公がどういう気持ちになったか考えてみましょう、というような読み方です。その後、成長して高校生から大学生ぐらいになると、人間関係の問題などを抱え、社会の矛盾に怒りを覚え、慰めや解決を求めて本を読むようにもなるでしょう。

ところが、さらにその先に進んで、知のレベルやスキルを高めるため、本の内容を吸収して再利用していくという、私が考える本当の意味での読書の方法を学ぶ機会がないのです。ですから、教科書に書いてあることはすべて本当のことだと思い込んでいるような学生が少なくないのです。また、書くことについても同じようなことが言えます。論理的に構成された論文の書き方を学ぶ機会もありません。アメリカの大学が、「アカデミック・ライティング」という文章技術の教育に力を入れているように、専門レベルの文章を書くには訓練が必要なのです。

大学に入学してから半年間ぐらいの期間、集中的に読み書きを訓練するようなカリキュラムがあってもいいのかもしれません。難しめの論文や哲学書を読むことを課題に出し、学生にレポートを書かせて、内容について少人数でディスカッションしたり、内容をよく吟味させる。単に、読んで、書くだけではなく、考えさせるためです。つまり、読み書きを訓練する究極の目標は、他人の言ったことを鵜呑みにせず、自分の頭で考えるという習慣やスキルを身に付けさせることなのです。

一般の社会人にとっても、「知的に打たれ弱い症候群」というご指摘は耳の痛いものなのかもしれません。

東郷

社会人の読書傾向に関する調査がありますが、どんな本を読むかというと、趣味や健康、料理に関する実用書を読むと答える人が大半を占めています。私は、読むのに時間と努力が必要とされ、理解するのに思考力と想像力が必要とされる「ホネのある本」を読むことが、本当の意味での読書であると考えていますが、そうした読書を実践している人は、日本国民のうち、わずか5、6百万人にすぎないという見方もあります。社会人の方ですと、自分の専門スキルを高めるために専門書を読んでスキルを高めることはもちろん必要でしょうが、知的な面で自分を鍛えるような読書にも取り組んでいただきたいと思います。例えば、ICTの分野で働く方でしたら、文化人類学や天体物理学の本を読んでみてはどうでしょう。自分の生きる世界とは異なる知的世界で遊ぶといった経験は、自分の世界を広げるためには非常に重要なことだと思います。

自分の世界を広げるための読書と言っても、どのように本を選べばよいのでしょうか。漫然と図書館に行って書架を探しても、なかなか良い本には出会えません。本の世界は、とてつもなく広いからです。信頼できる読書の水先案内人を見つけることが大切でしょう。そうしたウェブサイトやブックガイドはたくさんあります。例えば、松岡正剛さんのサイト「千夜千冊」は、ずいぶん幅広い分野から本を選び、独自の視点からの書評が掲載されています。東京大学の先生がたが選んだ『東大教官が新入生にすすめる本』、広島大学の関係者による『大学新入生に薦める101冊の本』は、社会人にも活用していただきたいガイドブックです。

自分なりの知的生産のスタイルを身に付ける

ICTによって、研究環境はどのように変化しているのでしょうか。

東郷

私が専攻する言語学の研究環境は、ICTの普及によって劇的に変化しました。例えば、話し言葉や書き言葉が現実の社会でどのように使われているかということを分析するため、コンピューターを駆使したコーパスと呼ばれるデータベースが利用されるようになっています。この分野で最も進んでいる言語が英語なのですが、日本で販売されている英和辞書などでも、言語学者が自分で考えた用例などではなく、現実に多用されている用例を掲載するといった目的でコーパスが使われています。最近では、ICTの進展を背景に、日本語でも大規模コーパスの研究が盛んになってきています。独立行政法人国立国語研究所が、講演や対話、朗読など膨大な音声データを集めた「日本語話し言葉コーパス」を公開しており、今後の展開に期待が高まっています。このほかにも、世界中の言語学者が研究情報を共有するために登録しているメーリングリストや、各国の学術文献を集めた大規模なデータベースも、良質で幅広い学術情報を得るために、もはや欠かせない存在となっています。

東郷 雄二 教授

また、文献から得られた情報を記録、整理する目的で、個人的にデータベースソフトを活用しています。こうした情報の管理には、10年ほど前まで手書きの「情報カード」を使っていたのですが、これをパソコンで管理するようにしたわけです。「情報カード」は、京都大学名誉教授の梅棹忠夫氏が研究生活のテクニックなどをまとめた著書『知的生産の技術』の中で紹介されています。私も学生時代から実践してきたのですが、カードが1万枚にも増えてしまい、いくら分類して整理しても、必要なときに目当てのカードがなかなか見つからないようになっていました。そこで、パソコンでの管理に切り替えたのですが、手書きのカードを1枚ずつパソコンに取り込むには膨大な手間がかかるので、断念せざるを得ませんでした。データベースが紙とパソコンに分断されてしまう状況はあまり好ましくはないのですが、慣れ親しんだカードはそのまま保管しています。しかし、「情報カード」はやはりパソコンで作った方が楽ですし、管理もしやすい。夜寝ているときに思い付いたことを枕元の裏紙に走り書きしたり、文献を読みながら大切な部分を抜き書きしたりして集めたアイデアの中から、「なんじゃこりゃ」というものは破り捨て、「これはいけそうだ」というものを登録していますが、早くも1万件に届きそうなハイペースで増えています。

最後に、一般の社会人の方へのメッセージをお願いします。

東郷

こうしたデータベースソフトの活用といった知的生産のスタイルは、私が長年、試行錯誤してたどり着いたスタイルであるわけですが、研究者に限らず、社会人の方であっても、大事なのは、自分なりの知的生産のスタイルをつくり上げていただくことだと思います。人生は有限です。出会える本の数や知的な活動に費やすことのできる時間にも限りがあります。また、活躍する分野や環境が違えば、求められる知的生産のスタイルも自ずと変わってくるでしょう。でも、こうすれば一番仕事がやりやすい、一番うまくいくという方法があるはずです。そうしたスタイルを、「ホネのある本」を読みこなすといった自分の知的能力を高めるような経験の中から練り上げていただくことが重要だと思います。

東郷 雄二(とうごう ゆうじ)

京都大学大学院人間・環境学研究科教授。1951年京都生まれ。京都大学文学部卒。同大大学院文学研究科フランス語フランス文学専攻修士課程修了。パリ第4大学に留学し、一般言語学の博士号を取得。2003年から現職。書著に『独学の技術』(筑摩書房)、『打たれ強くなるための読書術』(同)、『新版文科系必修研究生活術』(同)などがある。

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