伊藤暢人
いとう・ながと
日経BP総研
中堅・中小企業ラボ 所長
広島県出身。1990年に東京外国語大学を卒業し日経BP社に入社。新媒体開発、日経ビジネス、ロンドン支局などを経て、日経トップリーダー編集長に。2017年、中堅・中小企業ラボの設立に携わり所長に就任した。幅広い業界の中小企業経営に詳しく、経済産業省や東京都などが主催する賞の審査員を歴任。
父親から引き継いだ会社の再建がテレビドラマ化されるなど、メディアでも注目を集める、精密金属加工メーカー・ダイヤ精機(東京都大田区)の諏訪社長が、気になる社長を直撃する連載。
今回話を聞いたのは、男子プロバスケットボールチーム「千葉ジェッツふなばし」の島田慎二社長。経営不振の組織を立て直した二人が、経営再建について語り合う。
島田 慎二
しまだ・しんじ
1970年新潟県生まれ。日本大学法学部卒業後、マップインターナショナル(現・エイチ・アイ・エス)に入社。95年、ウエストシップ設立。2001年、ハルインターナショナル設立。10年に全株式を売却し、世界中を旅する。12年にASPE(現・千葉ジェッツふなばし)代表取締役就任。千葉ジェッツふなばしは17、18年と2年連続で天皇杯を制した。動員面でも、Bリーグ発足以来、2年連続で年間観客動員数リーグ1位を達成。人気・実力ともにトップチームに押し上げた。
諏訪貴子社長(以下、諏)もともとそれほど強くないチームで経営状態も悪かった千葉ジェッツが、わずか数年で天皇杯を2連覇したり、観客動員数でリーグ1位に輝いたりしました。あっという間にトップチームに押し上げたように映ります。どのような取り組みをされたのでしょうか。
島田慎二社長(以下、島)何か斬新な取り組みをしたわけではありません。シンプルな取り組みをとことんやる、といったイメージですね。私は普段から、経営理念を実現させるために会社は存在している、と社員たちに言い切っています。それしかないと思うんです。
次に、経営理念を実現させるためには何を達成しなければならないのかを考えて、年度計画、中長期計画に落とし込んでいきます。そこからさらに、個人の数字目標や行動目標を決めていく。これらの仕事はトップダウンで私の仕事としてやっています。一方で、本当に実現させていくには、ボトムアップが必要なので、プロセス管理を細かくして、PDCAをぐるぐる回して、どんどん改善していきます。
PDCAを回すという話では、少しだけこだわりがあります。私はPDCAに、「悲観的に」P(Plan/計画)して「楽観的に」Do(実行)して、「緻密に」C(Check/検証)して、「速やかに」A(Act/改善)する、と枕詞を付けているんです。一番ダメなのが、楽観的にPして悲観的にDoすること。「よし、やるぞ!」と社長が音頭をとって、いざやり始めたら計画通りにならないんじゃないかと不安になって、社員に文句ばっかり言う。そんな社長にはなりたくないですね。
この枕詞いいですね。確かに楽観的にPしたくなる経営者の気持ちも分かります。ところで、島田さんは千葉ジェッツの社長になられる前も、ご自身で起業されていますね。どのようなきっかけで会社をつくられたんですか?
実は、大橋巨泉さんに憧れていたんです。彼は56歳でセミリタイア宣言をして芸能界から退かれました。そのあと、カナダのバンクーバーなどで海外生活をしたり、春は京都でしだれ桜を見たりして過ごしているエピソードを見て、「こういう生き方をしたい!」と思ったんです。大学生の時ですね。
私は昔から、コツコツと何かを積み上げていくというよりも、ゴールを決めて到達方法を逆算していく考え方をします。当時は夢のような目標でしたが、どうしたら大橋巨泉さんみたいな生活ができるかを考えて、まずはお金が必要だ、お金を手にするために経営者になろう。じゃあ、社長になるにはどうしたらいいかと考えていったんです。
大学卒業後は現在のエイチ・アイ・エス(HIS)に入社しました。経営者になる目標があったので、2~3年で辞めると決めており、就職活動では勤め先にはあまりこだわっていませんでした。ただ、いろいろ勉強できるところがいいなと。
大学では芝居をやったり、お笑い芸人を目指したりして、人を楽しませることが好きだったんです。あと、お酒も好きだった。なので、人を楽しませて、お酒が飲めて楽しそうな仕事を想像したときに、ビール業界と旅行業界を思いつきました。あとは石油業界も受けまくりました。石油で当たれば、一攫千金ですぐに世界を旅できるな、と思って。バカですよね(笑)。
この3つの業界に絞って30~40社受けたのですが、唯一受かったのが、HISだったんです。
計画通りに25歳で起業してからは猛烈に働きました。数社を立ち上げて、39歳のときに、当時自分が働いていた会社を売却したんです。起業当初はIPO(新規株式公開)を目指していたのですが、リーマン・ショックで市場環境が激変して難しくなってしまった。それでM&Aで会社を売却し海外に旅に出ました。大橋巨泉さんになる計画を実現したわけです。彼にとってのバンクーバーみたいに、自分に合った場所を探そうと思ったんですけど、2年くらい旅をしていたら飽きてしまいました。
そこで、フィリピンでまた新しい事業を立ち上げようとしていたときに、若い頃から投資家としてお世話になっていた道永幸治会長から、経営不振に陥っている千葉ジェッツの再建を依頼されたんです。
諏訪 貴子
すわ・たかこ
1971年東京都生まれ。成蹊大学工学部卒業。自動車部品メーカーを経て98年ダイヤ精機に入社。以降、経営方針の違いから2回リストラに遭う。2004年父の急逝に伴い、ダイヤ精機社長に就任。経営再建に着手する。近著に『ザ・町工場』(日経BP社)がある。
バスケットボールチームという、これまでとまったく違う業種に携わることに、抵抗や不安はなかったですか?
道永会長にはお世話になっていたので、今度は私が恩を返す番かなという感覚が先に立ちました。どんな業界でも同じように引き受けたと思います。バスケットボールは知らなくても、経営の基本は同じだろうという思いもありました。最初の3カ月はコンサルティングとして入り、その後、社長に就任しました。
経営を立て直すために社長になって、いろいろな戦略を進める上で、古株の社員たちからの反発はありませんでしたか?
もちろんありました。実際、辞めていった社員は結構います。当時の経営陣は総退陣していますし、残った社員も私が就任して3年以内にほとんど会社を去りました。でも、それは仕方のないことですよね。
経営がうまくいっていないから私が社長になったわけです。再建するための方針や方向性を示し行動すればするほど、既存の社員にとっては自分たちを否定されたような気持ちになります。面白くない状況がたくさん出てくるのは当たり前です。
方向性が合わない場合、これからの将来を考えると、辞めていただくほうがお互いにハッピーになれると思うんですよね。
結局、トップが会社をどうしていきたいか、その意思を強く持つことが前提だと思います。ゴールと現在地の点を線で結んだときに、その線から漏れていく人が出たときは、まずは、ゴールを確認します。そこで合意できたら、「ゴールは一緒なのに、アプローチがゴールに向かって直線でいってないよね?」と話します。その気付きを与えてあげれば、自分がずれているという整理はつくと思うんです。その上で、これまでの経験や社内の変な生存競争などで自分を変えられないというなら、それは違う。この会社にいてもお互いにハッピーじゃないよねという話をします。
もともと、バスケットボールが好きな人たちが熱意に動かされて始めた会社です。経営経験がない人たちが脱サラして取り組んでいました。だから夢や希望が先に立ってしまう。実際には、先立つものがないと、いい選手やコーチ陣を招聘できないし、練習環境も整えられません。そのあたりの折り合いがつかなくて話が進まなくなることが頻繁にありました。
社員に納得してもらい、組織をきちんと動かすためには、結果を示すのが一番だと考えていました。そのため、特に過渡期の頃は、大きな成功でなくても、少額でもスポンサーが獲得できたことや、経営指標の改善状況などを社内にきちんと伝えるよう意識していました。
私も、社長に就任したときに、古株の社員をリストラしたんです。そのときは、これにひきずられて全員やめたらどうしようという恐怖がありました。散々悩んだのですが、いくら悩んでも答えが出ないと気付きました。同時に、この人たちが全員辞めても、日本には1億2000万人以上の人がいる。そのうち20人くらいは私の経営方針に賛同してくれる人がいるだろう、と思ったんです。だったら、自分を信じて進めばいい、と。
結局は自分の経営判断を信じること、つまり経営者の覚悟が大事なんだと思います。覚悟がなければ、あのときの決断はできませんでした。
覚悟は絶対に大事ですね。腹をくくったら強いですから。昔からいてくれたからとか、お世話になったからとか、そういった感情にとりつかれると思考がぶれやすくなります。辿り着かなきゃいけないゴールに向かうときに、ネガティブな反応をしたり、チームに悪影響を与えたり、組織風土を壊したりする人には毅然と対峙して、退場してもらうしかないんです。そのあとのほうが会社は必ず良くなります。
この人が辞めたら仕事が回らなくなるかもと不安に思っても、何とかなりますから。最初は怖くてたまらないけれど、何回か経験してそれが経験的に分かると、怖くなくなるんです。今はまったく怖くありません。
私もまったく同じですね。経験値が怖さを取り除いてくれます。
チームとして結果が出ている背景には、経営やチーム運営へのICTの導入もあるのでしょうか?
それはありますね。一般企業ではやらないところですと、選手の体調管理を細かくデータ化しているところでしょうか。選手には食事や体重などの情報を毎日入力してもらっています。
コーチはデータをタブレットで確認します。データを見ると「体調が悪化している」「疲れが溜まっている」といった選手が分かります。そうした選手には通常よりも練習量を減らしたり試合の出場時間を抑えたりします。ほかにもいろいろな取り組みをしているので、データ化のお陰だけとは言えませんが、選手のケガは目に見えて減っています。天皇杯優勝といった大きな成果もチームとして出ていますしね。
素人考えですが、スポーツでそういった科学的な取り組みを導入するのは難しかったのではないでしょうか?
確かに、導入当初は強く反発を受けました。選手にとってはとにかく入力が面倒です。それに、食事内容の入力などはプライベートを監視されているようで気分が悪いと。また、自分のコンディションが悪いと申告することは弱音を吐いているようで嫌だから極力言わない、という選手もいたようです。コーチ側のほうにも、自身の練習プログラムや選手を見抜く力を疑われていると感じていた人がいたかもしれません。
ですが、選手もコーチも、試合での結果に最も重きを置いています。だから、結果が見え始めたあとは積極的に活用してくれています。バスケットボールはもともと、シュートの成功率や、どちらに走り込んでくるかといったデータを集めて攻撃と守備を組み立てる習慣があるので、ほかのスポーツより浸透しやすかったのかもしれません。定着した後に加入してくれた選手やスタッフは、結果を出している千葉ジェッツの決まりだからと、ほとんど抵抗なく受け入れてくれているようです。
ここでも結果を見せることが重要なんですね。ほかにはどんな取り組みをされているんですか?
あとはフロントスタッフでチャットグループをつくっています。「電車が遅れているから遅刻する」といった話から、私が別のスポーツの試合を観戦して気になった演出まで、文字や写真、動画で共有します。メールよりも手軽なコミュニケーション手段なので、やり取りされる情報の量が増えます。もちろんオフィシャルなものや、きちんと整理した情報が必要なときにはメールを使います。大事なのは使い分けです。
SNSでの露出も大事にしています。日本では野球とサッカーがプロスポーツとしてメディアで多く露出します。バスケットボールは大きなニュースがないとなかなか取り上げてもらえません。だからこそ、SNSで私たちについて投稿してくれたファンにはスタッフがコメントを返すなど丁寧に対応します。これが相互交流につながります。地味で手間がかかるけれど、重要なファンサービスです。
ほかにも、ファンクラブの管理システムを構築中です。スポーツチームのファンクラブ管理に適した既製品が見当たらず、数千万円を投資しています。チームを支えてくれるファンをもっとよく知りたいですし、望んでいるものを提供できればみんながハッピーになれますから。
千葉県船橋市を拠点に活動されていますが、地元との関係はどのようにお考えですか?
地元への恩返しはチームにとって重要です。私たちは、「地域密着」を超えた「地域愛着」というキーワードを掲げています。地元のイベントには可能な限り選手や私が参加します。
単純に顔を出すだけでなく、経済的な貢献も重視しています。私たちの試算では、2017~18年のシーズンで千葉県全体に約21億円の経済効果を出せました。県外から試合を観にきてくれるファンが増えればそれだけ地元に人が来てくれるわけですし、チームが勝てば、近くの飲食店で祝杯を上げてから帰る、という人も増えるでしょう。
強いチームであることももちろん大事ですが、経済という地に足のついた貢献ができるチームになれれば、地域愛着が実現できると考えています。
お金の話は経営面では本当に大事ですね。同時に、経営者は孤独だとよく言われますよ。島田さんは孤独をどのように解消されていますか?
私は基本的にこの孤独を解消するのは無理だと思っているので、そもそも解消しようとは思っていないですね。経営者のポジションに就いている間は、逃げも隠れもせず、全部受け入れようと思っています。もしそれに耐え切れなくなった場合は、中途半端なことはせず、退任してリフレッシュします。落ち着いたら、また新しいことを集中してやります。
島田さんはお強いですね。
私は若いときから、25歳で結婚する、30歳までに起業する、40歳までに財産を築くと決めて、実現させてきました。リタイアについても、すでにイメージしています。極端な話、いつ死ぬかもイメージできていますね。70代中盤だと思っていますが、たぶん、そこで私は本当に死ぬでしょう。
私は寿命が70歳だと思っています。太く短くでいいんです。最近は、ご飯を食べるときも、あと何回食べられるかなって考えたりして、終活に入っている感覚です。もっと延ばしたほうがいいですかね?
残された日数が少ないほうが物事を真剣に考えるので、今のままでいいのではないでしょうか。もし寿命を120歳に設定したら、私はかなり不真面目になりますよ。90歳から頑張ればいいや、って。
残り時間を考えると、ビジネスも短いスパンで切っていくようになりますね。千葉ジェッツでは経営再建においては責任を果たせたと思っているので、どこかのタイミングで後継者に代表を譲る時かくるかもしれません。。現在、その予定は一切ありませんが。その後にはリフレッシュ期間を経て、あと2、3回くらいチャレンジしてみてもいいかなと。
どんな分野にチャレンジするのか、具体的な考えはありますか?
それはないんですよ。私がやりたいというより、やるべきことを選択しようと思っています。それは、39歳で会社を売却したときに決めたんです。向き不向きや、面白いかどうかはあまり関係ありません。自分がそれをやるべきだという直感に従って、選択していくんだと思います。とはいえ、千葉ジェッツを辞めたあと、誰にも相手にされず、家で寂しくマンガを読んでいるかもしれませんが。流されていく、そんな人生もいいじゃないでしょうか。
島田さんはこれからもどんどん活躍されると思います! 今日はありがとうございました。
構成:尾越まり恵、写真:菊池一郎
日本でプロバスケットボールが盛り上がりを見せはじめている中で、島田慎二社長が率いる千葉ジェッツふなばしの活躍は注目を集めています。2年連続で天皇杯優勝を遂げて観客動員数もリーグトップ、かつて観客が少なく赤字で苦しんでいたとは思えない躍進ぶりです。
このチームを牽引してきた島田社長の話を聞いていると、経営者として、それ以前に人として長期的な視点で動いていることが分かります。経営においても、人生においても、最適解というのは、どの時間軸で見るかによって異なります。
有名な例では、米国のコダックという会社があります。1880年に創業し世界最大の写真フィルムメーカーとなったコダックは、フィルムの売上高拡大を最優先しました。そしてその高機能化を突き詰めていったのです。短期的に見れば、フィルムの売り上げを伸ばし、競争力を磨くことが会社全体に利益をもたらしたからです。
ところが、デジタルカメラという新しい技術が登場したとき、コダックはそれを知りながらも結局はフィルム事業に固執する形となりました。技術的なパラダイムシフトに直面しながらも、短期的な視点にとらわれて、長期的な最適解を見出すことができなかったのです。
いま、技術や経営環境が大きな変革期を迎えています。その中で、自社にとっての最適解を見つけるためには、経営者は視点を高くし、様々な会社の動きや変化を見ながら自らの進路を切り拓いていくしかありません。
伊藤暢人
いとう・ながと
日経BP総研
中堅・中小企業ラボ 所長
広島県出身。1990年に東京外国語大学を卒業し日経BP社に入社。新媒体開発、日経ビジネス、ロンドン支局などを経て、日経トップリーダー編集長に。2017年、中堅・中小企業ラボの設立に携わり所長に就任した。幅広い業界の中小企業経営に詳しく、経済産業省や東京都などが主催する賞の審査員を歴任。
2017年4月に本格的に稼働した「日経BP総研 中小企業経営研究所」は18年4月に「日経BP総研 中堅・中小企業ラボ」と所名を変更し、中堅・中小企業の成長と経営健全化を支援するために活動を進化させています。これまで培ってきた経営・技術・生活分野での見識を活かし、情報発信や調査、教育、コンサルティングなど様々な形でサポートします。
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