伊藤暢人
いとう・ながと
日経BP 総合研究所
中堅・中小企業ラボ 所長
広島県出身。1990年に東京外国語大学を卒業し日経BP社に入社。新媒体開発、日経ビジネス、ロンドン支局などを経て、日経トップリーダー編集長に。2017年、中堅・中小企業ラボの設立に携わり所長に就任した。幅広い業界の中小企業経営に詳しく、経済産業省や東京都などが主催する賞の審査員を歴任。
父親から引き継いだ会社を再建した物語『町工場の娘』がテレビドラマ化されるなど、メディアでも注目を集める、精密金属加工メーカー・ダイヤ精機(東京都大田区)の諏訪貴子社長が、個性的な経営で会社を引っ張る中小企業経営者を直撃する新連載の第1回。
今回話を聞いたのは、バネを開発・製造する中里スプリング製作所(群馬県高崎市)の2代目社長、中里良一氏。「嫌な取引先は切る」「係長以下の役職は立候補制」など、ユニークな手法で会社を経営する中里社長と、2代目社長ならではの苦悩や町工場の経営について語り合う。
中里 良一
なかざと・りょういち
1952年群馬県生まれ。
大学卒業後、商社勤務を経て、中里スプリング製作所に入社。父から経営を引き継ぎ、社長となる。「日本一楽しい町工場をめざす」がキャッチフレーズで、その「非常識経営」が注目を集める。一方で、全国47都道府県、1900社以上の取引先を持つ優良企業としても知られる。
諏訪貴子社長(以下、諏)中里社長は確固とした信念を持って経営されていますよね。少し社内を見せていただくだけでも、会社が楽しい空間になっているのを感じます。
中里良一社長(以下、中)ほとんどの会社が無駄を省く経営をされているでしょう。でもうちは経営者が無駄遣いをするんです。当社はバネを作っている会社ですが、絶対に必要なものではなく、「あれば便利なもの」です。あれば便利なものを生み出すには、気持ちの豊かさが必要だと思っています。その気持ちの豊かさは、たくさん無駄をすることで見えてくるのではないかと考えているんです。それに、余分なことをいっぱいすると、かえって本当に必要なものが見えてきます。
「嫌いな取引先は切ってもいい」と社員に伝えているそうですね。驚きました。
多くの会社は判断基準の99.9%が儲かるか儲からないかの損得だと感じます。でも当社の判断基準は「好きか嫌いか」です。だから、嫌いな取引先は切る権利を頑張った社員には与えています。30年以上前から採用している制度で、これまでに49社(2018年4月1日現在)に適用してきました。
これは僕の持論ですが、損得勘定で行ったことは、必ず最後には損をするようにできています。みんな、好きな学校に行き、好きな人と結婚するでしょう。それなのに、どうして仕事をするときだけ損得で考えるのかなと。僕は好きなお客様、好きな仕入れ先、好きな社員とだけ関わればいいと思っています。
自分の好きな仕事をするといっても、何が好きかを言えない社員が多くないですか? かなり自発的な働き方が求められるような気がするのですが。
当社には「夢会議」という、月に1回、社員全員で夢を語り合う会議があります。
この会議も、きっかけは入社した頃になります。私が入社してすぐ、工場で機械加工をしていたときに、隣の社員に「どういう夢を持って働いている?」と聞いたら、黙ってしまった。また他の社員に同じ質問をしたら、「夢じゃ食えない」と言われた。冷めていますよね(笑)。夢がないのは、生きがいがないのと同じことです。「夢がないなら今考えよう」といって、仕事の手を止めてみんなで話し合いました。これが夢会議のスタートです。
「子供が生まれたのでマンションを買いたい」「憧れの車に乗りたい」など、プライベートな夢でも何でも語り合います。最初の数年間は、社員の発言を引き出すのに苦労しましたが、今では誰もが自分の夢を語れます。この会議があるおかげで、私は社員のことをよく知ることができています。
社員の採用はどのようにされていますか? 何か独自の面接の方法などはあるのでしょうか? 自発的な社員を採用するのは難しいことだと思うのですが。
特別なことはしていません。笑顔で仕事ができることなどを見ています。あとは、同じ名字の人が社内にいる場合は採用しません。お客様から問い合わせていただいた際に、下の名前まで覚えていただかないといけないのはストレスだと考えています。
それと、僕は会社を大きくしないと決めています。仕事が忙しくなったからといって募集はしません。もし今の人数で回らないなら、仕事を断ればいい。
中小企業の従業員の数って、経営者が幸せにしてやりたい人間の数だと思っているんです。僕は26歳のときに、28人と決めました。それ以上には増やしません。
28人と決めたのには理由が3つあります。1つは私の好きなアニメが『鉄人28号』だから。そして、清水次郎長が好きで、次郎長には「清水二十八人衆」と呼ばれる子分がいるから。
最初の2つは、半分冗談です(笑)。3つ目が最も大事な理由です。当時、僕の欠点を社員の前で全部書き出したら、28個あった。「社員には僕の欠点を補ってほしい。1人に1つの欠点を補ってもらえればいいから、うちは28人が必要だ」と言いました。現在はまだ21人ですが。
ところで、これも中小企業では特に難しいと感じているのですが、社員の評価はどのようにされていますか?
年に1回、会社に対して今自分がどんな社員なのか、6つのタイプに分けて、社員自身に選んでもらいます。
諏訪 貴子
すわ・たかこ
1971年東京都生まれ。
成蹊大学工学部卒業。自動車部品メーカーを経て98年ダイヤ精機に入社。以降、経営方針の違いから2回リストラに遭う。2004年父の急逝に伴い、ダイヤ精機社長に就任。経営再建に着手する。近著に『ザ・町工場』(日経BP社)がある。
「人災」
自分ができないのは上司の教え方が悪い、みんなが協力してくれない、私にはこの仕事は向かないなど、責任転嫁をする通称「くれない族」。他の人に災いを起こすことから「人災」
「人罪」
10のことを教えても10のことすらできないタイプ。やる気もなく、「あの人には困ったものだ」と評価される人。他に迷惑をかける罪深い人であり、給料分の仕事すらできない「月給泥棒」だから「人罪」
「人在」
与えられた仕事は何とかこなせるが、それ以上に「頭」や「気」を働かせることをしないタイプ。会社の中で比較的多いとされる「指示待ち族」のレベルで、いるだけましということで「人在」
「人済」
過去には確かに会社に貢献し活躍したのだが、今はもうその気もなく、過去の栄光におぼれていばり散らしているだけ。新しいものを受け入れようとせず、何の価値もない持論を押し通すタイプ。もうご用済みということで「人済」
「人材」
潜在能力を持ちうる状態で、他のどの「人ザイ」にもなりうる可能性がある。料理でいえば材料段階で、今後の指導や環境により、おいしい料理に仕上がっていく
「人財」
まさに職場にいなくては困るタイプ。10のことを頼むと10以上の成果を生み出す人。専門能力もどんどん身につけ、豊かな人間性を持ち、やる気も十分で自己啓発を怠らない。まさに職場にとっての財産という意味で「人財」
この6つの「人ザイ」のうち、8~9割の社員がいるだけましという意味の「人在」や、まだ材料の段階である「人材」を選びます。
「人在」を選んだ人には、「いるだけましの人に会社はいくら給与を払えばいい?」と聞きます。「人材」の人には、「材料には賞味期限があるけど、あなたはいつまで?」と聞きます。
ここで一度想像してほしいのは、もし経営者が社員に対して「あなたはいるだけましの『人在』だ」と評価したら、社員は100%不満を持つでしょう。自己評価が「人在」の人でも、です。みんな他人から評価されることに慣れていないからです。だから、他人に評価される訓練をするために、自己チェックから始めるんです。
いいですね。真似していいですか?
どうぞ、どうぞ。ほとんどすべての会社で活用できる方法だと自負しています。
役職も立候補制なんですよね。
役職については、係長以下は社員に希望をとります。係長になりたいと言った人には、「係長ってどんな人?」と聞いて、思ったことを書かせます。そしてそのまま係長にします。1年後に自分が書いた通りにできたかを問う。できたと言えば係長を継続させますし、うまくいかなかったと答えた人は、平社員に戻るだけです。
役職には手当がつきますから、社員には「車検代くらいにはなるから、3年に1回でいいから立候補した方がいいよ」と伝えています。
ところで、中里社長はどうしてお父様の会社を継ごうと思われたんですか?
僕は東京で大学を卒業して、商社マンをしていたんです。社会人になって2年くらいたったときに父親から連絡が来て「会社がダメかもしれない」と言われました。それまでは、町工場なんて興味がなかったんです。自分に向いているとも思わなかった。でも、父親にそれを言われたときに「俺が立て直してやる」と言ってしまったんです。
そう言える勇気ってすごいですよね。
ただ、思っていた以上に内情はひどかった。
会社は借金だらけで、信頼していた幹部が会社を去ったり、お得意さんが倒産したりして自信をなくしていました。私が試行錯誤しながら経営するしかない状態でした。
私も父が急逝して、会社を引き継ぎました。ただ、社員のためを思って一生懸命やっても反発を受けて、孤独感や寂しさを抱いて苦しみました。
僕も入ったその日から、いっぱい嫌な思いをしましたよ。
名前が「良一」だから古株の社員に「りょうちゃん」と呼ばれていたんだけど、「りょうちゃんは俺らが働いたおかげで学校を出られたんだ」と言われました。
他の社員からは「りょうちゃんの改革に協力してやってもいいけど、俺に頑張る費用として先に100万円くれ」なんて言われました。
5人のスタッフが働いていた部署では、僕を困らせようとして上から3人が同じ日に辞めたこともありました。
ホントですか!
いつか見返してやると思いましたね。そのときに勝てなくても、勝てるように持っていけばいい。
諏訪社長もそうだと思いますが、2代目、3代目経営者って、何をしても周りからよく言われないんですよ。結果を出しても、「あそこは創業者に基礎をつくってもらったから結果を出せて当たり前」と言われる。結果を出せないと、今度は「親父はまともだったけど息子は道楽者でダメだ」と陰口をたたかれる。
そう言いたくなる理由も分かります。親の会社を継ぐ経営者は、いわば裏口入学生みたいに捉えられる。たまたま親が経営者だったから、入社試験さえ受けずに入社して、最初から常務や専務といった役職に就く。本当の意味で後継者として認められていないんです。
すごくよく分かります。
中里社長は、お父様から引き継いだものはありますか?
後継者が創業者から引き継ぐものって、よく親の信用とか財産と言いますが、そうではなくて、親がやり残した思い、無念さを引き継ぐのが僕は後継者だと思っています。
よく後継者の悩み相談を受けるのですが、みんないい会社を引き継ごうという意識が強すぎますよね。いい経営状態の会社に入って、自分ができることあるの? と聞くんです。ほとんどないですよね(笑)。
私は社長になって15年目になりました。社員も入れ替わり、ようやくスタートラインに立てたような気がしています。
10年くらいは試行錯誤ですよね。僕も24歳で会社に入って、1年間くらいは頭でっかちのまま仕事をしていました。うまくいかなくて、人を変えるのは難しいから自分を変えようと思ったんです。僕もそこから5年くらいかかりましたね。
後継者については、どのようにお考えですか?
金融機関で15年ほど働いていた息子が、2017年から常務として働いています。僕は会社を継いでほしいなんて言ったことはなかったけど、息子の方から「入りたい」と言われたんです。
そのときに、「会社は絶対大きくするな。社員28人は守ってほしい。そして今年で創業から68周年なので、100周年までは続けてほしい。101年以降はおまえが決めろ。廃業してもいい」と伝えました。
あと、息子に引き継いでほしい夢が1つだけあります。
昭和から平成に年号が変わるときに、「こんな瞬間を経験できるのは一生に一度くらいだから、大きな夢を見よう!」と言って、全国47都道府県にお客様をつくる目標を立てました。24年かかって、2012年にようやく達成したんです。
それで、今度は813ある市区すべてを開拓しようという目標を立てました。現在432社とお取引させていただいているので、あと381市区ですね。それも100周年までに達成してくれと常務に伝えています。
そもそも、この規模で、全国の1900社以上と取引を続けていくということも大変だと感じるのですが、どんな工夫をされていらっしゃるのでしょうか?
まず手を着けたのは、バネの規格化でした。もともとはお客様の要望に応じてバネを開発するオーダーメード型で事業を展開してきていたのですが、それでは間に合わないからです。多くの種類を用意してカタログにまとめて、お客様にお配りしました。最初は他の取り組みと同じく、いろんなところから反対されましたが、徐々に受け入れてもらえるようになりました。
ただ、製品の数が増えていくと印刷物にするのも大変です。そこで、今はウェブ上で確認して注文いただけるようにしました。最初は209種類から始めて、今は1万2000種を超えています。つまり、早い段階から独自でEC(電子取引)に取り組んできたのです。同時に社内の体制を整えて、15時までの注文なら当日に出荷できるようになりました。
社員の数が少ないですから、お客様の満足度を効率的に引き上げていくにはICTの活用は不可欠です。注文の取り間違いなども抑えることができます。こうした取り組みを評価いただいて、群馬県から「IT推進モデル企業」に選んでいただいたこともあります。
経営者はストレスがたまると思います。中里社長はどのように発散していますか?
唯一の趣味が将棋なんですよ。強くはないのですが、休みの日に東京の将棋道場に行って、トーナメント戦に出たりしています。そこでは、私を知っている人は誰もいません。私も誰も知りません。それが大事で東京まで出かけています。
将棋は人間観察にはもってこいだと感じます。初めて相対した人の、駒の並べ方を見ると、この人は受け将棋なのか攻め将棋なのか、我流か理論派かよく分かるんです。月に1回程度ですが、ストレス発散になっていますね。
将棋で人間観察力を養われているのですね。
日々多くの人と会われていますが、その中で継続してお付き合いをする人はどのように決めていますか?
人間って、自分の実力と前後2割の違いの人しか認められないんです。あとの人とは話が合わない。だから、下の2割の人を捨てて、上の2割に上がれるように持っていく。その集団のてっぺんに到達すると、また未知の2割の人と話が合うようになります。その繰り返しによって、自分を高めていけるんだと思います。
見極め方はたった1つです。自分より頑張っている人と付き合うんです。自分が優越感を覚える人と付き合っていてはダメ。僕は劣等感を覚える人としかお付き合いしないようにしています。
悔しいと思う人と話すと、成長しようと思えますよね。
社長のお話を聞くと、元気になります。ありがとうございました。
構成:尾越まり恵、写真:菊池一郎
※肩書や数字は取材当時のものです
今回から始まりました諏訪貴子さんによるインタビューシリーズは、いかがでしたでしょうか。直前の打ち合わせで、諏訪さんは「いつもはインタビューをされる側ですが、今回は珍しく聞き役になるので」と少し緊張気味に笑顔で話していました。事前にかなり熱心に中里スプリング製作所のことを研究し「どんな人材を採用し、どのように育てているのでしょう。社内はどんな仕組みになっているんでしょう」と、経営者ならではの視点で臨みました。結果的にインタビューは2時間を超え、予定の新幹線に乗り遅れるほど盛り上がりましたが、その熱気が伝わりましたでしょうか?
社内の人数を増やさない方針を掲げている中里スプリング製作所は、一方で取引先を全国に拡大するという目標を掲げています。一見、相反する2つの道筋を実現できた背景にあるのは、製品を販売するECサイトです。B to Bの中小企業としてはかなり早い段階である、1998年に自社運営でスタートしました。2003年に群馬県からIT推進モデル企業として表彰を受けるほど、先進的だったと言えるでしょう。
今ではサイトを自ら開発し運用する中小企業も珍しくなくなりました。むしろ、ブランディングや情報発信の面からもサイトは必要不可欠になっています。しかし、セキュリティなどのリスクが高まる中、その運用にも細心の注意が必要です。万が一、改ざん、顧客情報の漏えいなどがあった場合、「うちは会社の規模が小さいので」という言い訳では許されません。ICTの活用とセキュリティ対策はセットで考えることが大切です。ICTをもっと使ってみたいけれど、社内に詳しい人材がいない、忙しくて人員が回せないなどの悩みをお持ちの方は、まずはどのような使い方があるのか、ICTの導入事例から見てみませんか?
伊藤暢人
いとう・ながと
日経BP 総合研究所
中堅・中小企業ラボ 所長
広島県出身。1990年に東京外国語大学を卒業し日経BP社に入社。新媒体開発、日経ビジネス、ロンドン支局などを経て、日経トップリーダー編集長に。2017年、中堅・中小企業ラボの設立に携わり所長に就任した。幅広い業界の中小企業経営に詳しく、経済産業省や東京都などが主催する賞の審査員を歴任。
2017年4月に本格的に稼働した「日経BP 総合研究所 中小企業経営研究所」は18年4月に「日経BP 総合研究所 中堅・中小企業ラボ」と所名を変更し、中堅・中小企業の成長と経営健全化を支援するために活動を進化させています。これまで培ってきた経営・技術・生活分野での見識を活かし、情報発信や調査、教育、コンサルティングなど様々な形でサポートします。
中堅・中小企業の課題は、NTT東日本にご相談ください
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