日経BP総研 中堅・中小企業経営センターpresents 経営力向上ラボ HISTORY 13 日経BP総研 中堅・中小企業経営センターpresents 経営力向上ラボ HISTORY 13

信長の快挙が脳裏をかすめ
信玄に騙された

徳川家康、
三方ヶ原の大敗北

このコラムでは、人気歴史作家・加来耕三氏が、中小企業経営で失敗しないための教訓を、歴史の断片を切り取って解説します。

今回は、若き日の徳川家康がやらかしてしまった大失敗です。遠江(とおとうみ)浜松城にいたときのこと。家康の重臣たちは、進軍して来る武田信玄に対する慎重論を説きますが、家康は打って出ます。結果は大敗北。

加来氏は、実はこの失敗が、のちの天下統一に大きく役立ったと指摘します。家康は、信玄に負けボロボロになった自分の姿を記憶に留めるため、挿絵の左にある「顰(しかみ)像」を描かせたと言われています。実際、この記憶が石田三成との天下分け目の戦い、関ヶ原にも活きているのだそうです。

今回、織田信長や豊臣秀吉の名も出てきます。加来氏は日頃から、すべては歴史から学べると主張しています。いかに史実を直視し、失敗を成功につなげるか、名だたる歴史人たちが織りなすストーリーの中に加来氏の主張が色濃く繰り広げられます。

中堅・中小企業経営センター長の伊藤暢人からも、若き日の家康の失敗、そしてその後の成功を、現代の経営に置き換えるとどう読み解けるのかについて、ヒントを提示します。

  • 加来耕三のプロフィール画像
  • 加来耕三
    かく・こうぞう

    1958年大阪市生まれ。奈良大学卒。歴史家・作家。『英雄たちの選択』『その時歴史が動いた』(いずれもNHK)、『世紀のワイドショー! ザ・今夜はヒストリー』(TBS)などに出演。著書に『1868──明治が始まった年への旅』(時事通信社)、『加来耕三の戦国武将ここ一番の決断』(つちや書店)など多数。

関ヶ原のモデル

  •  戦国乱世を終息させ、265年に及ぶ泰平の世を保ち得た徳川家康――この人物ほど、何事によらず“学ぶ”姿勢を貫き通した武将も、珍しかったに違いない。
  •  家康は己れの生涯最大の負け戦にすら、多くのものを学んでいた。否、もしも、このもの学び好きな性格――敗北をそのままに終わらせず、勝ちに転換する学びの姿勢がなければ、おそらく彼は天下を取ることができなかったであろう。
  • “天下分け目”の関ヶ原の戦い――慶長5年(1600)9月15日、美濃国関ヶ原(現・岐阜県不破郡関ケ原町)において、戦国史上空前絶後の、一大決戦が行なわれた。東軍を率いた家康が、石田三成を主将とする西軍を一挙に屠(ほふ)り、その後の徳川幕藩体制を瞬時にして成立させたものとして、知られている。
  •  決戦の前日、三成をはじめとする西軍主力は、美濃大垣城に本拠を構え、東軍との決戦に備えていた。この城は東山道(中山道)と美濃路を結ぶ交通の要衝にあり、東海道と東山道の二手から西上してくるであろう東軍を迎え撃つには、戦略上、格好の場所であったといわれている。
  •  この時点では西軍の方が、明らかに東軍に比べて地の利を得ていた。当然、東軍側はこの地政学的なマイナスを、何とか逆転しなければならない。そこで家康は、大垣城の西軍主力をつり出す策戦に出た。
    「大垣城を無視して、まず三成の居城である佐和山を落とし、大坂を衝(つ)く」
     との東軍の偽情報を、西軍陣営に流したのである。
  •  すると、驚嘆した三成は、大垣城を迂回してくる東軍を、地理的に優越した関ヶ原で、待ち構えて迎え撃つ作戦に転じてしまった。
  •  確かに、地の利は三成にあったが、城攻めが苦手な家康にとっては、長期戦を覚悟しなければならない大垣城攻めに比べ、まだ関ヶ原は戦いようがあった。西軍の中にはすでに、不戦を家康に誓ったものも少なくなかったから、なおさらである。
  •  実はこの関ヶ原への誘い、甲斐(現・山梨県)の名将・武田信玄がその死の直前、当の家康を相手に、三方ヶ原(みかたがはら)の合戦において、すでに実践していた戦法であった。
  •  信玄が死ぬ4カ月前に、彼によって行なわれた一大決戦――この戦いは、のちに天下人となる家康が、生涯に一度の、完敗を喫した合戦でもあった。
  •  元亀3年(1572)10月、上洛を決意した信玄は、周到な西上作戦を展開した。京までの途中、その行く手を阻むものは、織田信長とその同盟者・徳川家康の2人のみ。信玄は上洛軍3万を率い、家康方の遠江(現・静岡県西部)二俣城を攻略し、信長方の美濃岩村城を落として、計画通りに進撃した。
  •  そして12月の中旬、信玄は家康の居城・浜松城を横目に西上し、徳川氏の本拠地・三河(現・愛知県東部)を衝く姿勢をみせた。
  •  この決定は当然のごとく、浜松城にも知られるところとなる。
  •  徳川家の重臣・石川数正、内藤信成などは口を揃(そろ)えて、
    「このうえは、城門を閉ざして出撃せぬことが肝要です。敵が通過したあと、その後方を撹乱(かくらん)するにこしたことはありませぬ」
     家康に自重を説いた。が、ひとり家康が納得しない。
  • 「城下を通過する敵に、一矢も報いず見送ったとあっては、武門の名折れじゃ」
     珍しく怒りを露(あらわ)にし、家康は血気の出撃命令を下してしまった。

  • 【徳川家康、三方ヶ原の大敗北】
  • 天下統一を果たし、265年続く江戸時代の礎を築いた家康。死後、東照大権現となった理由にも、彼ならではの思いが…

家康の惨敗

  •  おそらくこの時の家康の脳裏には、自分の先輩ともいうべき信長が、27歳のおりに成し遂げた快挙=桶狭間(おけはざま)の奇襲戦が、かすめたのではあるまいか。
     31歳の家康は慎重に物見を放ちつつ、信玄の軍勢が“一望千里”といわれた三方ヶ原の台地が尽きるあたり、祝田(ほうだ)と呼ばれる狭所で、大挙して食事をとるとの知らせを聞きこむ。
  •  しかし、実はこれこそが信玄の謀略であったことが、その直後に明らかとなる。甲州軍団は食事もとらず、臨戦態勢をとって待ち構えていた。
     奇襲を企てた家康は、逆に罠にかけられ、かえって迎撃される羽目に陥る。
     ——家康の完敗であった。
  •  三方ヶ原の信玄も、関ヶ原の家康も、一番おろそかにしてはならないのが“時間”との勝負であった。対峙(たいじ)の時間が長引けば、味方に動揺が起こり、団結に亀裂が生じないとも限らなかった。
  • 「勝兵は先(ま)ず勝ちて而(しか)る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む」
     と言ったのは、信玄と家康が共に学んだ『孫子』の兵法だが、若き日の大敗北を教訓とした家康は、同じような状況にあった関ヶ原の合戦で、老練な信玄の戦法を見事に真似(まね)ることによって、ひいては天下を取ることができた。
  •  三方ヶ原の合戦のおりの信玄は52歳。関ヶ原の合戦のおりの家康は、59歳であった。
  •  家康が、いかに三方ヶ原の合戦を教訓としたか――この敗戦のあと、家康が命じて描かせたと伝えられる自画像“顰(しかみ)像”が、今日なお徳川美術館(愛知県名古屋市)に残っている。甲冑(かっちゅう)姿で床几(しょうぎ)に腰をかける家康の姿が、そこにあった。
  •  家康の非凡さは、多くの成功者が自身の敗北をひた隠しにしようとしたのとは裏腹に、自らの敗北を、曲げた左足をかかえ込み、左手を顎にあてがい、意気消沈した姿に残して、その大敗北を肝に銘じたところにあったろう。近年、この“顰像”を尾張徳川家の初代・義直が、父・家康の苦難を忘れないように描かせた、との説が出たが、仮にそうであっても、家康の猛省は揺るがない。
  •  だからこそ家康は、その失敗にとらわれることなく、自らを敗北に導いた信玄のその戦法をすすんで学び、活用することができたともいえる。
  • 「同じ石に二度つまずくな」
     とは、古代ローマの政治家であり、哲学者でもあるキケロの言葉だが、家康は、その苦い経験をバネにして自らを鍛えた。ピンチに学び、チャンスに活かしたのである。
  •  過去(歴史)に学び得ない人に、未来を設計することはできない。
     だが、逆に過去にとらわれすぎる人は、決して過去と同じ顔をしては現われない未来に、取り組む資格を持たないものだ。
  •  その後、“大坂の陣”を経て、豊臣政権の基盤そのものを取り去った家康は、その少し前、慶長8年(1603)2月、征夷大将軍となり、2年後にはその地位を、あっさりと嗣子・秀忠に譲ることによって、天下に徳川幕府の世襲制を宣言していた。
  •  元和2年(1616)4月17日、家康は75歳をもってこの世を去った。
     その死後、彼は神となっている。「神君」と称され、「東照大権現」として日光東照宮に祀られたことは周知の通りだが、これも学びによるものであったことを知る人は少ない。
  •  豊臣秀吉がこの世を去ったあと、「豊国大明神」として祀られた豊国神社を真似たのである。真似るから、まねて習う“学(まね)ぶ”が生まれた。家康の天下人としての工夫には、ことごとく前例があった。およそ、この天下人らしからぬ天下人は、死後においても、先輩である秀吉から学んでいたのである。
  •  元来が小心者で、なにごとにつけても周章狼狽(ろうばい)し、それでいながら一面、短気で激越家の家康に、それでもなお天下を取らせたものがあったとすれば、猛省の心、懸命な“学び”の姿勢であったといえる。
     この家康の姿勢にこそ、現代に生きるわれわれも学ぶべきではあるまいか。

挿絵:中村麻美

文中記載の組織名・所属・肩書・数値などは、すべて取材時のものです。

中堅・中小企業経営センター イトー所長の眼

失敗が支える
シリコンバレーのスピードと成長

 電球を開発する途中で失敗を繰り返したトーマス・エジソンは「失敗は成功のもと」という名言を残したという説もありますが、古くから失敗から“学ぶ”ことにより成功につながるとされてきました。

 その考えは、今の米シリコンバレーでも脈々と息づいています。最先端のベンチャーが集まるこの地では、新しいビジネスモデルやテクノロジーを売り物に起業する会社が後を絶ちません。その中で大きく成長する会社もありますが、多くは何らかのカベにぶち当たり撤退や事業の売却を余儀なくされてしまいます。

 ただ、そこで得られた失敗の経験は評価され、転職や、新たな起業につながったりすることもあります。実際の市場で実験して得た知識や経験が、そのまま次の会社で活用されるのです。こうして「PDCA(プラン・ドゥー・チェック・アクション)」を高速で回すことにより、成功する確率を引き上げているのがシリコンバレーで成功するベンチャーが登場する秘訣でもあります。倒産などが起きればノウハウが離散してしまい、同じようなことにゼロから挑戦する会社が後に続き、また失敗してしまうことが珍しくない日本とは、大きな違いです。

 会社を守り成長に導くには、他社の失敗や苦労を知り、それを乗り越えた工夫を理解することが重要です。自社だけでPDCAを回し続けるよりも、危機を回避しやすく、成長のチャンスが広がります。

伊藤暢人のプロフィール画像

伊藤暢人
いとう・ながと

日経BP総研
サステナブル経営ラボ 所長
中堅・中小企業経営センター センター長

広島県出身。1990年に東京外国語大学を卒業し日経BP社に入社。新媒体開発、日経ビジネス、ロンドン支局などを経て、日経トップリーダー編集長に。2017年、中小企業経営研究所(現在の中堅・中小企業経営センター)の設立に携わり所長に就任した。幅広い業界の中小企業経営に詳しく、経済産業省や東京都などが主催する賞の審査員を歴任。

センター概要

2017年4月に本格的に稼働した「日経BP総研 中小企業経営研究所」は19年1月に「日経BP総研 中堅・中小企業経営センター」と所名を変更し、中堅・中小企業の成長と経営健全化を支援するために活動を進化させています。これまで培ってきた経営・技術・生活分野での見識を活かし、情報発信や調査、教育、コンサルティングなど様々な形でサポートします。

中堅・中小企業の課題は、NTT東日本にご相談ください

他社の苦労や工夫を知る
リスクを抑え
成長につなげるにはこちらを

経営の課題解決に向けたコンサルティングから、システム構築、保守・運用まで。
NTT東日本のサービスを実際に導入されたお客さまの課題や成果をご紹介しています。

日経BP総研 中堅・中小企業経営センターpresents
経営力向上ラボ

TOPページへ戻る

経営力向上のヒント中小企業のためのICT活用論

記事一覧を見る

  • OPINION 06 気になる!小さなお店の「キャッシュレス化」
  • OPINION 05 “ひとり情シス”の仕事術(中小企業は過酷なワンオペって本当?)
  • OPINION 04 定型業務はRPAにお任せ! 「デジタルレイバー」と共存する社会へ

諏訪貴子社長が直撃取材働き方改革と働きがい革新の最先端

記事一覧を見る

  • INTERVIEW 05 13社を束ねる持ち株会社で中小製造業の成長モデルをつくる
  • INTERVIEW 04 現場とオフィスの“NC化”で会社を10倍に成長
  • INTERVIEW 03 破綻寸前だったチームが 観客動員数リーグトップを達成

元大リーガー 斎藤 隆氏が迫る“社員力”で勝ち抜く経営のヒント

記事一覧を見る

  • INTERVIEW 11 作り手の思いを乗せて、「日本のいいもの」を世界に発信
  • INTERVIEW 10 忙しい店で働きがいを支えるICT
  • INTERVIEW 09 仮説を立てる「情報編集力」育成が大切に

歴史家 加来 耕三氏が紐解く歴史の失敗学

記事一覧を見る

  • HISTORY 13 徳川家康、三方ヶ原の大敗北
  • HISTORY 12 自ら命を絶った千利休
  • HISTORY 11 勇ましさに流された長岡藩

ホンネ座談会「働き方改革」を流行語で
終わらせない

  • SYMPOSIUM 「働き方改革」を流行語で終わらせない

中堅・中小企業の課題に、
NTT東日本のICTソリューション。

オンラインセミナーで学ぶ

【新講座続々!】 豊富なオンラインセミナーで、
自席に居ながらICT活用について学ぶ

オンラインセミナー

導入事例

様々な事例から課題解決ストーリーをご紹介

導入事例

まずは、情報セキュリティ対策。

迫り来る脅威に対策を!

情報セキュリティ
トータルサポート

メールマガジンで情報力を高める
【Biz Drive】

NTT 東日本が運営するBiz Drive(ビズドライブ)は、皆さまのビジネスを加速し、
快適なスピードで経営を続けていくための、ICT(情報通信技術)を活用した情報をお届けするサイトです。

Biz Drive(ビズドライブ)

働く人に、ICTのチカラを。

NTT 東日本は、「情報セキュリティ強化」「業務効率化」「顧客満足度向上」「事業継続」「コスト見直し」などさまざまな分野で企業の課題解決のサポートをいたします。まずはお気軽にご相談・お問い合わせください。

表示価格は、特に記載がある場合を除きすべて税抜です。

ページ上部へ戻る