日経BP総研 中堅・中小企業経営センターpresents 経営力向上ラボ HISTORY 12 日経BP総研 中堅・中小企業経営センターpresents 経営力向上ラボ HISTORY 12

時勢の転換期に示した最後の答え
自ら命を絶った
千利休

このコラムでは、人気歴史作家・加来耕三氏が、中小企業経営で失敗しないための教訓を、歴史の断片を切り取って解説します。

今回は、織豊政権に仕えた茶人・千利休の失敗です。利休は、侘(わ)び寂(さ)びの茶道という文化を広めつつ、政権内では為政者の側近として権勢を振るいました。ところが、その勢いは突然失われます。

なぜ、そうなってしまったのか。その原因には諸説あって未だに真相は突き止められていませんが、今回も加来氏が大胆に一つの解を導いてくれています。利休が生きた戦国から天下統一への転換期、なんと、利休の茶道は時代遅れに。このような時代の変化に直面して、人はどう振る舞うべきか、考えさせられます。

中堅・中小企業ラボ所長の伊藤暢人からも、千利休の失敗から経営のために何を見いだすべきか、そのヒントを提示します。

  • 加来耕三のプロフィール画像
  • 加来耕三
    かく・こうぞう

    1958年大阪市生まれ。奈良大学卒。歴史家・作家。『英雄たちの選択』『その時歴史が動いた』(いずれもNHK)、『世紀のワイドショー! ザ・今夜はヒストリー』(TBS)、『教えてもらう前と後』(MBS・TBS系)などに出演。著書に『1868──明治が始まった年への旅』(時事通信社)、『利休と戦国武将 十五人の「利休七哲」』(淡交社)など多数。

信長の茶頭として
歴史に登場

  •  ――横合いから、始めたい。
  •  幕末、黒船来航後の多難な政局に、大老として登場したのが、彦根35万石の藩主・井伊直弼(なおすけ)であった。
     44歳で大老となった彼は、混迷する時勢に歯止めをかけるべく、反対派の公家や藩主・諸藩士や浪人を“安政の大獄”という大弾圧で締め上げた。
  •  人々は井伊を、“井伊の赤鬼”と呼んで憎悪し、恐れたが、事の良否は置くとして、このおりの井伊の精神状態はどうであったのか、と気になったことがある。
  • 「張り詰めた弦は切れやすい」
  •  多忙であればあるほど、井伊もさぞや、「心の不健康(メンタル・イルヘルス)」に悩んでいたのではあるまいか、と推量してみたのだが、意外なことに彼には、これという抑圧を受けたり、症候群にかかった形跡がなかった。なぜであったのだろうか。
  •  井伊は日々の激務のかたわら、“宗観”と号して、茶の湯に没入する時間を持っていた。茶の湯には緊張した現実から心を解放する、俗世に相反する“聖(せい)”の作用があったことをうかがわせる。茶道が井伊の激務を緩和させ、心の平穏を保たせていたのである。
  •  この茶の湯を完成させた人物こそが、“茶聖”と後世に呼ばれた千利休であった。
  •  なにぶんにも、利休が生まれ育った時代は、未曾有の“乱世”であり、人々は忍びよる死神の影に怯えながら、日常生活では飢えや合戦に身をさらしつつ、我が身を磨り減らす思いで生きていた。
     茶の湯はこうした時代に、堺の商人を中心に育まれ、成長した“芸”であったといえる。
  •  戦国時代、まだ心を開放する「自由」という単語は、我が国一般には通用しなかった。わずかに、禅の中にのみ「自由」は存在した。利休や同時代の人々は、今日の「自由」を、少し違った角度から「数寄(すき)」と呼んだ。
  •  だが、数寄者・利休の真姿を捉えるのは至って難しい。
     なぜならばこの茶人は、自刃という尋常ならざる最期を遂げていたからだ。なぜ彼は、切腹しなければならなかったのか。
  •  そればかりか、利休にはその出生にすら疑問があった。通説に従えば、彼は大永2年(1522)、和泉国(現・大阪府南西部)堺・今市町に、魚屋(ととや)与兵衛の子として生まれ、幼名を与四郎と称したという。
  •  長じて堺の茶人・北向(きたむき)道陳らに師事して、茶の湯の古法を学び、武野紹鷗(じょうおう)には侘び茶の道を修学、京の大徳寺、堺の南宗寺に参禅して、茶の湯の道を極めたという。利休の号は、宗易であった。
  • “茶歴”については諸説あるが、確かなことは戦国の覇王・織田信長にその茶頭(さどう)として仕え、召し抱えられたことで、利休は歴史の表舞台に登場した。このとき彼は、すでに50歳を超えている。
  •  天正10年(1582)6月2日、茶の湯をもって仕えていた信長が、本能寺で横死。利休はその家臣として交際のあった羽柴秀吉が、主殺しの明智光秀を山崎の合戦で一蹴したことにより、秀吉のもとへ。さらに、己れの立場を上昇させることとなる。
  •  10月に亡君信長の葬儀を、京都・紫野の大徳寺で盛大に営んだ秀吉は、11月7日、同じ山崎に利休、今井宗久、津田宗及、山上宗二らの四茶匠を招いて、茶会を催している。
     この茶会には、極めて政治的な意味合いがあった。なぜならば、信長の茶頭たちをそのまま秀吉が召し抱えることで、信長公の後継者は自分である、と秀吉は宣言したことになったからである。
  •  信長に仕えていた頃の利休は、秀吉から「宗易公」と呼ばれていたが、自身は第三者への書状などで、秀吉を「筑州」「秀吉」と呼び捨てるのを常としていた。
     それだけに、新しく主君となった秀吉に、利休の胸奥はきわめて複雑であったに違いない。山崎の茶会に招かれたとき、利休は61歳になっていた。ときに、秀吉は46歳。
  •  してみれば、利休が秀吉に仕えて、賜死(しし)をもって自刃するまで、わずか10年に満たなかったことになる。
     換言すれば、この間に利休の茶の湯は完成し、世に広まったといえなくもなかった。彼は茶の湯に斬新さを求め、“侘び数寄”の理念と美意識の昂揚に励んだ。

  • 【自ら命を絶った千利休】
  • 木像が不遜? 諸説ある利休切腹の真相は、利休の茶道が現代にまで受け継がれていることに隠されていた

茶頭から政治顧問へ

  •  天正13年(1585)――この年は茶頭利休にとって、生涯における画期的な年となる。
  •  2月、利休は宗及、宗二らとともに、秀吉の実弟・羽柴美濃守秀長の茶会に招かれ、運命的ともいえる終生の保護者・秀長の知遇を得た。さらに同年9月、秀吉が宮中で催した茶会において、それまでの宗易は「利休居士」の号を勅賜されている。朝廷に利休は、認められたのだ。
  •  余談ながら、日本の伝統的芸事は、天皇の御前で披露することによって、天下の公認となるのが恒例であった。茶の湯はこの時、日本の芸事となったのである。
  •  加えて利休は、豊臣家における茶事=社交を司る不動の茶頭の立場となったが、それは一面、秀吉の政治顧問、側近としての色彩を強めていくことにつながる。
  •  政治や軍事上の機密にもたずさわり、庇護者の秀長すらが、
    「内々の儀は宗易に、公儀の事は宰相(秀長)存じ候」
     といい、豊後の太守・大友宗麟(そうりん)をして、
    「宗易ならでは、関白(秀吉)さまへ一言も申し上ぐる人なし」
     と驚嘆させるまでの、隠然たる権勢を誇るまでになっていた。
  •  だが、これは茶頭利休の偉大な栄光であると同時に、後年の悲劇の源ともなった感は否めない。
  •  天正19年(1591)正月23日、大和大納言秀長が病没すると、利休を取り巻く環境は一変する。それも天国から地獄へ、文字通り自刃へと急転直下した。
     2月13日、秀吉は突如として利休を京都から堺へ退去させると、同月26日、再び京都へ呼び出して切腹を命じている。
  •  いったい何が、かくも急激に利休の立場を破局ヘと導いたのだろうか。
     握っていた彼の権力はなぜ、これほど急速に失われてしまったのか。
  •  秀吉は利休の処断理由を、父の五十回忌法要のために修造した大徳寺山門に、利休が己れの木像を掲げたのを、「不遜僭上(ふそんせんじょう)の所行」としたが、秀吉の真意のほどはいまもって定かではない。
  •  茶の湯の門人たちの周旋もあり、助命の道も開かれていたのに、利休はそれをあえて拒絶、進んで死への道を選んだ。
  •  なぜか、それまでの側近政治から、時勢は集団政治への移行となり、前者の利休と後者の五奉行の石田三成とが確執を構えこと南征(呂宋攻略)と北伐(朝鮮出兵)の、外交方針の対立における敗北――利休切腹の理由は、幾つか挙げられているものの――おそらく、真の原因は、彼が己れの創り上げた茶の湯を、鮮烈に後世に残そうとしたところにあったのではあるまいか。
  • 「利休めはとかく冥加(みょうが)ものぞかし 菅丞相(かんしょうじょう)になるぞとおもへば」
  •  彼は、自分が死ぬことで菅丞相=菅原道真――すなわち、“神になれる”といい、同月28日、最期の茶の湯を堪能すると、悠然と切腹の座についた。
     利休はそもそも、武士ではない。その彼が自刃した。享年は70であったという。
  •  すでに利休の茶道は、時代と合わなくなっていた。一期一会、乱世の中で茶を一服して、戦場へと向かう時代は去り、世の中は泰平に向かって明るさを増していた。
     そうした時勢の中で、どうすれば己れの茶道が後世に残り得るのか、利休の死は彼が自らに書いた、解答のように思われてならない。

挿絵:中村麻美

中堅・中小企業ラボ イトー所長の眼

人生100年時代に
経営者にも必要な「学び直し」

 450年の歴史を持つ茶道の礎を築いたとされる千利休は、織田信長に召し抱えられたとき、既に50歳を超えていたそうです。正確なデータはありませんが、この頃の平均寿命が30~40歳だったと推定されることから考えると、かなりのベテランが登場したことになります。当時、まだ新しい芸事であった「お茶」の形を整え、広めていくという大事業に対して、千利休はどんな思いで取り組んでいたのでしょうか。今の日本企業でいえば、80歳を過ぎて新規事業の立ち上げを担当するというイメージかもしれません。

 「中小企業経営者には定年はない」とよく言われます。実際に、60代、70代の社長は多く、80代、時に90代でも経営の最前線に立っておられる方にお目にかかることがあります。

 人生100年時代を迎えて「リカレント教育」が注目を集めています。分かりやすく言えば、大人の学び直しです。市場環境が大きく変化しICT(情報通信技術)などの技術が急速に発達する中で、社会に出て何十年もたった後で学び直すことにより、新たな技術や知識を身に付けるなどして、自らの市場価値を守り引き上げていくことが求められているのです。

 中小企業経営者は自らが会社を引っ張っていく役割であるだけに、新たな知識の習得は不可欠です。トップが学ぶことを諦めてしまえば、その組織に入ってくる新たな情報は減り、ここぞというところでの意思決定が難しくなってしまいます。実績を残した経営者の多くは、様々な人に会ったり、書籍を読んだりして何らかの形で学び続けているのです。

伊藤暢人のプロフィール画像

伊藤暢人
いとう・ながと

日経BP総研
中堅・中小企業ラボ 所長

広島県出身。1990年に東京外国語大学を卒業し日経BP社に入社。新媒体開発、日経ビジネス、ロンドン支局などを経て、日経トップリーダー編集長に。2017年、中堅・中小企業ラボの設立に携わり所長に就任した。幅広い業界の中小企業経営に詳しく、経済産業省や東京都などが主催する賞の審査員を歴任。

ラボ概要

2017年4月に本格的に稼働した「日経BP総研 中小企業経営研究所」は18年4月に「日経BP総研 中堅・中小企業ラボ」と所名を変更し、中堅・中小企業の成長と経営健全化を支援するために活動を進化させています。これまで培ってきた経営・技術・生活分野での見識を活かし、情報発信や調査、教育、コンサルティングなど様々な形でサポートします。

中堅・中小企業の課題は、NTT東日本にご相談ください

様々な事例から
変化への対応を学ぶにはこちら

経営の課題解決に向けたコンサルティングから、システム構築、保守・運用まで。
NTT東日本のサービスを実際に導入されたお客さまの課題や成果をご紹介しています。

日経BP総研 中堅・中小企業経営センターpresents
経営力向上ラボ

TOPページへ戻る

経営力向上のヒント中小企業のためのICT活用論

  • OPINION 02 中小企業の“残業問題”はこうして解消する
  • OPINION 01 『残業学』の著者に聞く、長時間労働の原因と解決策

諏訪貴子社長が直撃取材働き方改革と働きがい革新の最先端

記事一覧を見る

  • INTERVIEW 05 13社を束ねる持ち株会社で中小製造業の成長モデルをつくる
  • INTERVIEW 04 現場とオフィスの“NC化”で会社を10倍に成長
  • INTERVIEW 03 破綻寸前だったチームが 観客動員数リーグトップを達成

元大リーガー 斎藤 隆氏が迫る“社員力”で勝ち抜く経営のヒント

記事一覧を見る

  • INTERVIEW 11 作り手の思いを乗せて、「日本のいいもの」を世界に発信
  • INTERVIEW 10 忙しい店で働きがいを支えるICT
  • INTERVIEW 09 仮説を立てる「情報編集力」育成が大切に

歴史家 加来 耕三氏が紐解く歴史の失敗学

記事一覧を見る

  • HISTORY 13 徳川家康、三方ヶ原の大敗北
  • HISTORY 12 自ら命を絶った千利休
  • HISTORY 11 勇ましさに流された長岡藩

ホンネ座談会「働き方改革」を流行語で
終わらせない

  • SYMPOSIUM 「働き方改革」を流行語で終わらせない

中堅・中小企業の課題に、
NTT東日本のICTソリューション。

オンラインセミナーで学ぶ

【新講座続々!】 豊富なオンラインセミナーで、
自席に居ながらICT活用について学ぶ

オンラインセミナー

導入事例

様々な事例から課題解決ストーリーをご紹介

導入事例

まずは、情報セキュリティ対策。

迫り来る脅威に対策を!

情報セキュリティ
トータルサポート

メールマガジンで情報力を高める
【Biz Drive】

NTT 東日本が運営するBiz Drive(ビズドライブ)は、皆さまのビジネスを加速し、
快適なスピードで経営を続けていくための、ICT(情報通信技術)を活用した情報をお届けするサイトです。

Biz Drive(ビズドライブ)

働く人に、ICTのチカラを。

NTT 東日本は、「情報セキュリティ強化」「業務効率化」「顧客満足度向上」「事業継続」「コスト見直し」などさまざまな分野で企業の課題解決のサポートをいたします。まずはお気軽にご相談・お問い合わせください。

表示価格は、特に記載がある場合を除きすべて税抜です。

ページ上部へ戻る