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成果にこだわりすぎるという手抜かり
頼朝の心が
読めなかった源義経

このコラムでは、人気歴史作家・加来耕三氏が、中小企業経営で失敗しないための教訓を、歴史の断片を切り取って書き下ろします。今回は時代を少し遡り、源義経の失敗についてつづってもらいました。

義経は、事実上の武家政権の始まり、鎌倉幕府成立の立役者です。平家との連戦に勝利し、彼らを政権から追いやります。ところがその後、義経が鎌倉幕府で活躍することはありませんでした。異母兄、頼朝に疎まれたのです。

加来耕三氏は、同族での争いも絶えない源氏について「源氏の血は冷たい」と指摘していますが、それにしても最大の武功者を取り立てられないという2人の間には、何があったのでしょうか。加来氏は義経の“業績の上げ方”にこそ、失敗が隠されていると指摘します。

中堅・中小企業ラボの伊藤暢人所長からも、源義経の失敗から何を見いだすべきか、そのヒントを提示します。

  • 加来耕三のプロフィール画像
  • 加来耕三
    かく・こうぞう

    1958年大阪市生まれ。奈良大学卒。歴史家・作家。『英雄たちの選択』『その時歴史が動いた』(いずれもNHK)、『世紀のワイドショー! ザ・今夜はヒストリー』(TBS)などに出演。著書に『1868──明治が始まった年への旅』(時事通信社)、『世界史のなかの平清盛』(勉誠出版)など多数。

難攻不落の布陣

  •  東京オリンピックを2年後に控え、日本ではモラルの崩壊、あり得ない信用の失墜が有名企業群、官界で相次ぎ、世間の指弾、冷笑を浴び、極めて厳しい状況下にある。このような時、リーダーに求められる一番の要諦は、出処進退の決断──、とりわけ、スピードであろう。これは「拙速」でもよい。
  • 『孫子』にいわく、
    「兵は拙速を聞く、未(いま)だ巧みの久しきを睹(み)ず」
  •  戦うとなれば素早く出陣し、たとえ拙劣でも速決を重視すべきである。いかに戦争巧者でも、戦(いくさ)を長引かせて成功したためしはない、との意となった。目的を達すれば、素早く戦線を離脱するのはもとよりのこと。敗色が濃いようであれば、プライドやメンツといった感情論はかなぐり捨てて、泥沼の長期戦に足を引っぱられないよう、速やかに撤退をしなければならない。
  •  考えてみれば、時代の転換期を乗り切り、次代を切り拓いたのは、歴史上、常に「拙速」であったといえそうだ。
     その好例が、源平合戦の時代、彗星(すいせい)の如(ごと)く現われた源義経であった。
  •  義経は鮮やかに、しかも息つく間もなく歴史の表舞台に登場し、大活躍を演じた。具体的な登場は、元暦元年(寿永3年=1184)正月20日のことである。
  •  この日、京都を占拠していた木曾義仲を、義経は怯(ひる)むことなく、一陣の風の如くに一蹴し、後白河法皇を解放した。
    「迅速こそが勝利である」
     とするのが義経の戦術眼であり、むしろ、信仰に近いものであったといえる。義経は大将でありながら、中軍に位置することなく、常に先頭に立って武者たちを叱咤激励した。スピードを上げるためである。
  •  源氏は関東武者の連合軍でしかなかったから、全軍を統率するには、将たる者の明晰(めいせき)な判断力と強靭(きょうじん)な意志を、常に全軍の武者に示す必要があった。
  •  この頃、先に京都を脱し、西方に移動した平家は、幼い安徳帝を擁して勢いを盛り返し、瀬戸内海を制圧。1000艘(そう)に及ぶ船を各港に浮かべ、本営を京都から70キロの地点・兵庫に進出させていた。総勢は2万騎を下らない。とりわけ一の谷の海岸には、砂浜が狭い上に険山が海に迫っている難攻不落の城塞を築城。正面に展開する海には、大船団を配していた。鉄壁の布陣といってよかった。
  •  ところが、これを攻めるべき源氏の兵数は、義経とその異母兄・源範頼(のりより)の軍勢を併せても3000騎に満たなかった。2万対3000である。

  • 【頼朝の心が読めなかった源義経】
  • 義経を許さなかった源頼朝。頼朝は、鎌倉を動かず、関東武士団の利益を平家以上に認めることで地位を保っていた

“鵯越”の意味

  •  義経はこの劣勢を、スピードで補おうとした。
  •  情報収集をしたところ、気の遠くなるような迂回路を経て、一の谷の後方に出られることが判明する。京都を北へ出て丹波高原の奥へ進み、そこから三草(みくさ)越えという猟師が通る険路を経て播州平野へ下り、そして再び山路を伝って、道なき道を切り開けば、一の谷の後方にたどり着けるらしい、というのだ。
  •  しかし、源氏の諸将は、この奇襲戦に反対した。なぜならば、武士の合戦は正々堂々となさねばならない暗黙のルールがあったからだ。
  •  当時、合戦は武者同士の、熟練した弓馬術、闘技と味方の人数の多寡によって決せられるべし、との伝統的な思想があった。誰も義経の“素人戦術”を、理解できなかった訳だ。
     それでいて、この無謀ともいえる奇襲作戦が採用されたのは、京都進攻時における義経の心ばえと、兵力の格段に少ない味方を危ぶみ、それゆえにこそ早期攻撃を源氏の諸将が望んだからにほかならなかった。
  •  主力は範頼が率いて、一の谷の正面へ。義経は別働隊をもって間道を取り、迂回して一の谷の後方に――この作戦は、両軍が同時に攻撃を開始しなければ効果は上がらなかった。
  • 「2月7日、早朝を期して――」
     軍議は決した。
     義経は作戦決行に当たり、量より質を取った。
     別働隊=200騎は少数ではあったが、弓の上手、馬の練達者が厳選された。全員が騎馬だけでの戦闘集団というのも、当時としては奇抜であった。
  •  義経は、脳裏に地図を描きながら、迅速に進軍した。スピードを上げ、途中で200騎の中からさらに、30騎を割くと、この30騎を自らが従えて、一の谷の後方・高尾山に分け入った。高尾山前面の高地が、“鵯越(ひよどりごえ)”である。
  •  熊笹に覆われたこの地は、いたるところに断層がそそり立っていて、はるか下の谷に風が鳴っていた。崖の坂を登りきると、眼下に海が見える。道らしいものはどこにもなかった。
     義経は猟師を探し出して、一の谷に通じる僅かなけもの道のあることを知る。
  • 「その道を、鹿は通うか」
     と義経が問うと、猟師は鹿ならば通うという。
     ここで、義経は歴史に残る名言を吐いた。
    「鹿が通うのだ。馬が通れぬことはあるまい」
     義経は自ら先頭に立つと、一気に崖を逆落としに下った。
  •  眼下の平家軍は周章狼狽(ろうばい)した。予想外の死角――後方の、しかも頭上から、まさに敵勢が降ってきたのだからたまらない。平家軍は大混乱となり、兵数、地の理において圧倒的に勝り、敗れるはずのなかった陣を敷いていながら、一の谷の合戦を落としてしまった。
  •  つづく屋島でも、源平最後の決戦である壇ノ浦でも、義経の奇抜な発想はつづく。
     屋島では、瀬戸内海一面に浮かぶ平家船団を無視。義経は敵の主営である讃岐(現・香川県)の屋島のみを注視し、船を集めて嵐の中を「拙速」に船出して、本営を覆滅する挙に出た。
     壇ノ浦では、船を漕ぐ水夫(かこ)を弓で射るという、当時の武士にとっては卑怯(ひきょう)とされた戦法を、あえて用いて勝利をものにしている。
     義経の戦術は、常に「拙速」を念頭に置いたものであったといえる。
  •  だが、源氏に勝利をもたらせても、義経の周りには然るべき武士団が集まることはなかった。兄・頼朝にさえ認められているならばそれだけでいい、と割り切っていた義経だったが、結局は、その兄に捨てられることとなる。
  •  義経には、関東武者たちによって擁立されている、いわば神輿のような存在の、頼朝の心中が皆目、読めなかった。義経は大いなる誤解をしていたのである。
     源氏の棟梁(とうりょう)ゆえ、頼朝は地方武士団を従えていたのではなかった。彼は関東武士団の利益を平家以上に認め、自らがその象徴と化することができたからこそ、棟梁としての立場、存続が許されていたのである。
  •  その証左に、源平合戦終結まで頼朝は鎌倉を離れていない。義経は「拙速」な戦術で連勝しながら、落ち着いて兄の心情、武士団の心中を忖度(そんたく)することができなかった。
     最大の長所は致命的欠陥につながっている。義経は戦いと戦いの合間に、立ち止まって周囲を見る必要があった。
     敵は目の前にだけいるものではない。周囲、後ろにも目を配るべきであった。
     それを怠ったがゆえの、滅亡――大いなる失敗といえようか。

挿絵:中村麻美

中堅・中小企業ラボ イトー所長の眼

シリコンバレーでも
重視される
スモール&クイック

 今、米シリコンバレーでこの原稿を書いています。中堅・中小企業経営者の面々と、最新の経営事情を学びに来ています。

 この地で最も重視されるのは、小さくてもよいので素早く動きだして、状況に合わせて次々と手直しをしていくという手法です。前もって時間をかけて計画を立てても市場や環境の変化が激しいので、準備している間に条件が変わってしまう。それを避けるために「スモールスタート」し、新製品であれば顧客の反応や状況に合わせて次々と作り直していく「アジャイル開発」が主流になっています。その分PDCAを何度も回して失敗の原因を探り、勝てるところに資源を集めて成功の確率を引き上げるのです。

 時代の違いがあるものの、圧倒的に不利な状況にあった義経が選んだ戦略も、これと同じだったのではないでしょうか。とにかくスピードを優先し、優位に戦いを運ぶことができる新しい戦術を選んで展開したわけです。

 シリコンバレーで感じるのは、競争のルールが大きく変わりつつあることです。まだ日本の中堅・中小企業では実感するケースは少ないでしょう。それでも、今回、一緒に訪問している経営者は、建設業、食品、不動産、サービス業など様々ですが、一様に「大変な衝撃を受けた」と話されています。大きな波がすぐそこまで来ているのです。

 今後、ビジネス環境が大きく変化する中で、スピードを重視しながら、周囲の環境変化を敏感に察知することが必要です。

伊藤暢人のプロフィール画像

伊藤暢人
いとう・ながと

日経BP総研
中堅・中小企業ラボ 所長

広島県出身。1990年に東京外国語大学を卒業し日経BP社に入社。新媒体開発、日経ビジネス、ロンドン支局などを経て、日経トップリーダー編集長に。2017年、中堅・中小企業ラボの設立に携わり所長に就任した。幅広い業界の中小企業経営に詳しく、経済産業省や東京都などが主催する賞の審査員を歴任。

ラボ概要

2017年4月に本格的に稼働した「日経BP総研 中小企業経営研究所」は18年4月に「日経BP総研 中堅・中小企業ラボ」と所名を変更し、中堅・中小企業の成長と経営健全化を支援するために活動を進化させています。これまで培ってきた経営・技術・生活分野での見識を活かし、情報発信や調査、教育、コンサルティングなど様々な形でサポートします。

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