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甲斐源氏嫡流・武田氏滅亡の主因
川中島の合戦で
信繁を失った信玄

このコラムでは、人気歴史作家・加来耕三氏が、中小企業経営で失敗しないための教訓を、歴史の断片を切り取って書き下ろします。

今回は、武田信玄の失敗です。信玄は、上杉謙信と現在の長野県長野市にある川中島で5度の戦いに及びます。なかでも、第4次川中島の合戦は、両軍で3000人超の戦死者を出す決死の戦いになりました。加来耕三氏は、名門・武田氏滅亡の主因はここにあったと指摘します。

さらに加来氏は「信玄と謙信が出会わなければ……」――その後、大きく変わったと考えられる歴史に思いを馳せ、家、企業、事業がたくましく生き残り続けるには、何が必要なのか、幾つかの視点を与えてくれています。

中堅・中小企業ラボの伊藤暢人所長からも、武田信玄の失敗から何を見いだすべきか、そのヒントを提示します。

  • 加来耕三のプロフィール画像
  • 加来耕三
    かく・こうぞう

    1958年大阪市生まれ。奈良大学卒。歴史家・作家。『英雄たちの選択』『その時歴史が動いた』(いずれもNHK)、『世紀のワイドショー! ザ・今夜はヒストリー』(TBS)などに出演。著書に『利休と戦国武将』(淡交社)、『1868──明治が始まった年への旅』(時事通信社)など多数。

「上策には下策を」と
謙信は言った

  •  武田信玄と上杉謙信――この2人の名将が戦った、「川中島の合戦」は都合5度。そのうち、世にいう“川中島”は4度目=永禄4年(1561)9月の一大決戦を指した。
  •  8月29日、疾風迅雷のごとく、越後勢は信越の国境を越える。途中、兵5000を善光寺に向けて兵糧輸送路を確保し、謙信自身は飯山方面から一気に川中島の南端・妻女(さいじょ)山に登った。
  •  彼はここを本陣として、今度こそ信玄と雌雄を決すべく、一大決戦を企てた。
     しかし、越後軍の重臣・直江大和守景綱(かげつな)、柿崎和泉守景家たちは、この孤塁に等しい山に拠った陣立てに、大いなる不審を抱き、謙信へ諫言(かんげん)を試みる。
     前面に川を持ち、背後に山を持つこの立地は、まさに兵法でいう「死地」(絶体絶命の場所)でしかありません。なぜ、このようなところに陣を構えたのですか、と。
  •  案の定、3日遅れて、甲府を出陣した信玄は、当時の武田方の最大動員兵力2万をもって、妻女山を囲み、一隊を分けて海津城を固めてしまった。
  •  やきもきする越後軍の重臣たちに、謙信は言う。
    「上策には下策をもって当たるのが、最高の良策である」
     謙信はあえて不利無謀を承知で、信玄の堅固に組み立てられた戦略・戦術を混乱させ、そこに「妙機」を見いだそうと考えたのであった。
  • 「もし、信玄がこの妻女山を囲んだまま、一隊をもって国許(くにもと/越後)を突いたならば、何とされます」
     部将たちからそう質されたときも、謙信はただ一言、
    「ワレ、マタ甲州ニ馬ヲ進メン」(私もまた、甲斐国を突く)
     と決意のほどを、答えたのであった。
  •  8月29日、いったん包囲した妻女山から、信玄は海津城に入城している。彼も謙信の作戦に、ようやく思い至ったのだ。このおり信玄は、茶臼山(妻女山から川中島を挟んで北西の山)に別働隊を残していた。これが講談本の類では、信玄の“啄木鳥(きつつき)戦法”の別働隊となる。が、啄木鳥は史実ではない。
  •  両陣営は硬直状態に入ったが、雪を恐れた謙信は、ついに自ら夜間出撃を決意する。9月9日のことであった。越後軍は海津城と反対側の斜面を下る。無論、無声である。馬の口には、藁がかまされていた。
  •  一方の信玄は、1万を超える大軍の夜襲、奇襲はあり得ない、と判断し、謙信の行動を戦うためではなく、越後への帰国と受け取った。ならば上杉勢は、川中島の一番端を、夜明けとともに一気に突破するものと判断した。
  •  だが、敵は謙信である。彼は川中島の、それも中央の信玄目指して進軍を続けていた。しかも、謙信の「下策」を支持するかのように、川中島には濃霧が発生している。夜明け直前、謙信は紺地日の丸と「毘」「龍」の旗を掲げ、法螺(ほら)貝を吹かせ、太鼓を鳴らし、一目散に信玄の本陣目掛けて突撃を敢行した。
  •  ここに、日本合戦史上いまだかつて例を見ない、遭遇戦が繰り広げられた。
  •  謙信と信玄の一騎討ちはなくとも、信玄の身辺、生命(いのち)が危うかったのは間違いあるまい。甲州軍団は壊滅の、一歩手前まで追い込まれた。軍勢の数では、甲州軍団の方が多かったかもしれないが、長い防御線を張ったため、一カ所に集中している兵数はたかが知れていた。しかも越後軍は、奇襲戦法で勢いに乗っている。
  •  信玄は“むかで衆”を各部隊に派遣し、茶臼山の援軍がまもなく到着する、それまで持ちこたえよ、と厳命した。そして自身は、山のごとくに動かなかった。
  •  やがて巳ノ刻(午前10時)、甲州軍団の別働隊が川中島へ到着した。彼らは前夜の越後軍の動きを知らず、夜明け頃、遥(はる)かに遠く鬨(とき)の声を聞き、駆け付けてきたのだ。
     別働隊の側面からの突撃によって、流れが変わった。合戦にも、潮時がある。
     だが、さすがに謙信は名将であった。越後勢が逆転、崩壊に追い詰められる前に、素早く全軍を掌握するや、国許目指して一気に帰還を決行した。

甲州軍団ナンバー2・
信繁の死の重たさとは

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  • 【川中島の合戦で信繁を失った信玄】
  • 戦場で、自らが信玄を名乗り、敵を一身に引き付け防戦した弟・信繁を失い、悲嘆に暮れる信玄

甲州軍団“ナンバー2”の死

  •  この決戦は前半が謙信の勝ち、後半が信玄の勝利となった。しかし、双方で3000人を超える戦死者を出し、歴戦の将士を失ったことでは、共に失敗であったといえよう。では、第4次川中島の合戦は戦略上、引き分けになるのだろうか。
  •  謙信は9月13日、この戦いで軍功のあった者へ、俗にいう“血染めの感状”と呼ばれる判物を与えた。
    「凶徒数千騎を討ち取り、大勝」
     と感状にあるが、この度の合戦には恩賞となる物質的な裏付けがなかった。
  •  信玄はどうか。10月11日に土屋豊前守に感状を出しているが、水内(みのち)郡和田(現・長野市東和田と西和田)、長池(現・南長池と北長池)で200貫(年収約600万円、1貫文=約3万円)の土地を与えている。具体的な恩賞があり、しかもこの土地は従来、謙信の勢力圏にあたる川中島の北部であった。川中島の土地は、最終的に寸土を取り込んだ信玄のものとなったことは間違いない。
  •  では、信玄の勝ちであった、といえるだろうか。多くの“信玄もの”は、肯定している。だが、筆者はそうは思わない。
     第4次川中島の合戦は、明らかに信玄、ひいては甲斐武田家の大いなる敗北であった。なぜか。それまで甲州軍団を“統御”してきた信玄の実弟・古典厩(こてんきゅう)信繁を失ったからである。
  •  この合戦の最中、信繁は武田方の、他の部将とは異なった戦い方をしていた。
     突撃してくる越後軍に、甲州勢の各部隊が迎撃して、かえって討ち負かされたのとは裏腹に、信繁の部隊は全員が槍をそろえ、ただ信玄の本陣の防御を固めることにのみ終始している。
     数の上では、甲州側が勝っていた。時間を稼げば、茶臼山の別働隊がやってくるに違いなかったから、地歩を固めて信玄の死守に専念すべきだ、と信繁は判断したのであろう。
  •  だが、不意を衝かれた甲州軍団は、いつものごとき的確な対応ができなかった。
     信繁はせめて己れが采配する部隊だけは、信玄の前衛に展開し、大将信玄を守り抜く覚悟を決めていた。そして、自らが信玄を名乗って、敵を一身に引き付けて壮烈な戦死を遂げている。
  •  信玄の悲嘆はいうまでもなく、その師僧・快川(かいせん)紹喜(じょうき)和尚も合戦のあと書状を信玄に送って、次のように弔意を述べた。
    「そもそも典厩公の戦死は、惜しみても尚(な)ほ惜しむべし、蒼天(ああ仏よ)」
  •  確かに、惜しんでも惜しみ足らない価値が信繁にはあった。余人をもってしても替えようのない、甲州軍団の“ナンバー2”の死。その値打ちが明らかになったのは、皮肉にも当の信繁が没してのちのことであった。
  •  信繁の死後、甲州軍団の“統御”は、大まかには信玄が直接関わり、細部については宿老の内藤昌豊と、次兄信繁と比べれば力量のやや乏しい下の弟・信廉(のぶかど)と、“次期ナンバー1”の信玄の嫡子義信が分割して担当した。
  •  彼らはそろって、いわば実力派の取締役、常務や専務ではあったが、昌豊は占拠地での“統制”に関わることが多く、義信はいうまでもなく次期ナンバー1という立場にあり、それだけに次代に栄達を求める人々が周囲に参集した。派閥である。それは早晩、現トップとの対立を生みかねない危険性をはらんでいた。
  •  最終調整者=信繁を失った武田家は、柔軟性を欠き、脆弱(ぜいじゃく)になっていく。やがて信玄と義信は方針を巡って対立。信玄は嫡子を死なせる。
     筆者は信繁の死が、武田氏滅亡の主因だった、と考えてきた。
     信玄は第四次川中島の合戦の12年後に、53歳でこの世を去り、謙信は17年後、49歳で他界している。両雄がもし、出会わなければ……とも、ふと思った。

挿絵:中村麻美

中堅・中小企業ラボ イトー所長の眼

企業永続の条件は
ナンバー2をいかに育てるか

 カリスマ経営者にとって、後継者の育成は頭の痛い問題です。後継者候補をナンバー2に据えて、自分の経営スタイルを見せ、それを真似させ、体得させたいと思うケースが多いのですが、そこはお互い人間なので、たとえ親子であっても波長が合う、合わないという問題が起きてしまいます。

 「子供に経営を任せたいんだが、まだまだしっかりしていない」という経営者にお目にかかることも珍しくありません。自分に比べると、後継者の「必死さ」が物足りなく感じるようです。一方で、「なかなか父親が譲ってくれない」と嘆く後継者にお目にかかることも珍しくありません。

 同族企業では約30年に1回、経営者の世代が変わることにより、戦略や商品が塗り替わり時代の変化についていくことができているケースが多いのです。それを無理に引き延ばすと、逆に長い目で見れば企業としての競争力を失いかねないのです。特に、変化の速いICTを経営に取り入れていくなど、新しい知識と柔軟な姿勢が必要な領域が増えていることにも留意しましょう。

伊藤暢人のプロフィール画像

伊藤暢人
いとう・ながと

日経BP総研
中堅・中小企業ラボ 所長

広島県出身。1990年に東京外国語大学を卒業し日経BP社に入社。新媒体開発、日経ビジネス、ロンドン支局などを経て、日経トップリーダー編集長に。2017年、中堅・中小企業ラボの設立に携わり所長に就任した。幅広い業界の中小企業経営に詳しく、経済産業省や東京都などが主催する賞の審査員を歴任。

ラボ概要

2017年4月に本格的に稼働した「日経BP総研 中小企業経営研究所」は18年4月に「日経BP総研 中堅・中小企業ラボ」と所名を変更し、中堅・中小企業の成長と経営健全化を支援するために活動を進化させています。これまで培ってきた経営・技術・生活分野での見識を活かし、情報発信や調査、教育、コンサルティングなど様々な形でサポートします。

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