日経BP総研 中堅・中小企業ラボpresents 経営力向上ラボ HISTORY 07 日経BP総研 中堅・中小企業ラボpresents 経営力向上ラボ HISTORY 07

強い思いを貫く是非のジレンマ
西郷隆盛の失敗(後編)
「天命」のみを待つ

このコラムでは、人気歴史作家・加来耕三氏が、中小企業経営で失敗しないための教訓を、歴史の断片を切り取って書き下ろします。

今回は、前回に続き西郷隆盛についてつづります。西郷は、島流しで自らを捨てさることで人間完成に至り、島津斉彬(なりあきら)の遺志を受け継ぎ、ひたすら日本の中央集権化を実現させるべく手段も選ばず最短距離を突き進みます。江戸城無血開城を経て、それは成功します。

しかし晩年、西郷は自らやってきた行為に悩み、自ら死を選ぶように西南戦争で没します。加来耕三氏は、維新という一大事業を成し遂げた時点で、西郷を隠遁させてやるべきだったと語ります。ここには、現代の中小企業の人材の役割や事業の承継を再考させられるストーリーがあります。

中堅・中小企業ラボの伊藤暢人所長からも、今回のストーリーから何を見いだすべきか、そのヒントを提示します。

  • 加来耕三のプロフィール画像
  • 加来耕三
    かく・こうぞう

    1958年大阪市生まれ。奈良大学卒。歴史家・作家。『英雄たちの選択』『その時歴史が動いた』(いずれもNHK)、『世紀のワイドショー! ザ・今夜はヒストリー』(TBS)などに出演。著書に『西郷隆盛100の言葉』(潮新書)、『1868──明治が始まった年への旅』(時事通信社)など多数。

復帰した軍政家

  •  西郷本人には、受託しない、との選択もあったが、彼はすべてを天命と受け止め、2年間のブランクを承知で元治元年(1864)3月、政局の現場である京都に復帰する。
  •  ほどなく西郷は、軍賦役(ぐんぶやく)、諸藩応接掛(かかり)となった。このとき彼が示した方策は、すでにその人間性が完成していたことをうかがわせている。まず、彼は言う。
    「御遺策のとおりに――」
     かつて斉彬が、大老・井伊直弼(なおすけ)と戦うため、国許の軍制改革に専念したように、権謀術数の渦巻く政局の駆け引きから一歩の距離を置き、冷静に形勢を傍観することが、結果として政局の主導権を薩摩藩が握ることにつながる、と西郷はいうのであった。
  •  そうするうちにも、都を逐(お)われた長州の巻き返し――「禁門の変」が勃発する。
     京都に一大兵力を擁する薩摩藩の動向が、勤王・佐幕の両陣営から注目された。
     しかし西郷は、「禁裏御守衛を一筋に――」と旗幟(きし)を鮮明にせず、薩摩藩を政局からあえて後退させる。
  •  もし、西郷が離島から復帰することなく、“国父”として藩の実権を握った斉彬の弟・島津久光や大久保一蔵(のちの利通)に形勢傍観策が取れなければ、薩摩藩は大多数の親会津派と少数の親長州派に二分され、藩の分裂崩壊した水戸藩のようになった懸念があった。
     先の「文久政変」においては、会津藩と組んだものの、薩摩藩内にはなお勤王派の藩士は少なくない。藩を二分して、一方は、「薩賊会奸(さつぞくかいかん)」を募らせる長州を完膚なきまでに叩(たた)き、他方は長州に「突出」して同じ薩摩藩士と相対したかもしれないのだ。
  •  そうなっては、のちの薩摩主導による「薩長同盟」は決して成らず、薩摩藩が自ら弱体化していくのを目の隅におき、長州藩を征伐した幕府は強権を拡大して甦(よみがえ)り、次には目の上の瘤(こぶ)である薩摩藩に宣戦布告をしたに違いない。
  •  もし、中途半端に内戦が長引けば、それこそ日本は欧米列強の餌食となっていたであろう。西郷は政局の緊張が極限に達するまで、中立を保とうとする。ところが長州は薩摩を敵視して、続けざまに挑発をしかけ、ついに元治元年(1864)7月、「禁門の変」になだれ込む。
  •  「禁門の変」に圧勝した幕府は、調子づき、第一次長州征伐を発令。あくまでも長州藩を滅ぼそうとするが、西郷は幕府の軍艦奉行・勝安房守(海舟)の助言もあり、戦わずして長州の力を温存すべく画策する。
  •  第一次長州征伐を解決する西郷のプロセスを見ていると、その後の江戸無血開城までと同じ――さらには、明治6年(1873)の朝鮮への使節派遣も含め――死地(敵地)に自ら乗り込んでいって、至誠をもって相手の立場を尊重しつつ、話をまとめようという独特の手腕を発揮していた。幕府に恭順の実を示すため、長州藩の責任者=三家老の処分で、講和を図った西郷は、5月には薩摩藩の大番頭(役料180石)、一代家老格となっている。
  •  慶応2年(1866)正月の薩長同盟の締結、第二次長州征伐への対処、最後の話し合いとなった朝廷と幕府の会議――「四侯」(松平春嶽<しゅんがく>・島津久光・山内<やまのうち>容堂<ようどう>・伊達宗城<むねなり>)と十五代将軍となっていた徳川慶喜の論戦――を経て、大政奉還、王政復古の大号令、そして慶応4年(1868)正月の鳥羽・伏見の戦いを迎えている。
  •  この幕府の土壇場で西郷は、後世に“偽勅”といわれる「討幕の密勅」にも関わっていた。
     この宣旨(せんじ)には、中山忠能(ただやす)、正親町(おおぎまち)三条(さんじょう)実愛(さねなる)、中御門(なかみかど)経之(つねゆき)の朝廷3人の署名しかなかった。しかも筆跡は、一人の手跡である。当然あるべき摂政・二条斉敬(なりゆき)の署名も、明治天皇の御名も欠けていた。明らかに“偽勅”であった。
  •  併せて西郷は、畿内に駐屯している旧幕府軍を挑発、開戦に持っていくべく、後方の江戸擾乱(じょうらん)を目的に、三田の薩摩屋敷に不逞(ふてい)の浪人を集め、辻(つじ)斬り、商家への押し込み、強盗、放火などの非人道的活動=“御用盗(ごようとう)”事件を引き起こしていた。
  •  大政を奉還した徳川家の、直轄の江戸における警察力は、遊撃隊、別手組(べってぐみ)、撤兵(洋式歩兵)などで400余り。これでは“御用盗”に対処できない、と庄内藩主・酒井左衛門尉(さえもんのじょう)忠篤(ただずみ)に市中取締を命じ、新徴組(しんちょうぐみ)の巡邏(じゅんら)が執拗に行われることとなった。
  •  ところが、その庄内藩邸に向けて大砲を撃ち込んだのが“御用盗”であり、忍耐してきた徳川方もついには堪忍袋の緒を切って、薩摩藩邸焼き打ちを実行に移す。五藩参加の計1000人ほどが、12月25日、薩摩藩邸に討ち入ったのである。
     この一挙が導火線となって、慶応4年(1868)正月、鳥羽・伏見の戦いは勃発。結果として旧幕府軍は敗北を喫する。戦火の中から、“ご一新”が姿を現わした。

  • 【西郷隆盛の失敗(後編)「天命」のみを待つ】
  • もともと繊細な神経の持ち主であった西郷は悩んだ末、「天命」を受け入れてしまった

達観による“維新の成就”

  •  西郷の生死一如は、目的(中央集権化の実現)のためには手段を選ばぬものであり、西郷自身も繰り返し自問自答しながら、討幕の大義のため、と「詐謀」を計ってきたのであった。
  •  だが、江戸で彼を待つ徳川家の代表・勝海舟は、「無偏無党・王道堂々たり」と言い、
    「一点不正の御挙あらば、皇国の瓦解(がかい)、乱臣賊子の名目、千載の下、消ゆる所なからむか」
     と“御用盗”事件を念頭に、正論をもって挑んでくる。あなたのやっていることは覇道であり、王道ではない。汚い陰謀じゃないか、いいかげんにせよ、というわけだ。
  •  海舟の言が、西郷に堪(こた)えたであろうことは想像に難くない。9月に「明治」と改元されてのち、明治元年(1868)11月、鹿児島に帰った西郷は、頭を剃って丸坊主となり、犬を連れて湯治と狩りに日を送るようになる。彼は自らの役割は終わった、と考えていた。この地位も名誉も金も何もかも捨てた隠棲(いんせい)で、西郷は己れのこれまでの「詐謀」に帳尻を合わせたい、と念じていた。
  •  ところが、多くの犠牲の上に成立した新政府の連中は、己れらの栄耀栄華をうたい、死んでいった者に心至らず、用いた「詐謀」を反省することもない。政府に泣きつかれて東京へ戻った西郷は、茫然(ぼうぜん)自失の体(てい)となる。
  •  ――そこへ、征韓論が突出した。
     明治6年(1873)、一度は閣議決定をみて、明治天皇にも「任せる」との言葉をいただいたものが、岩倉具視(ともみ)と大久保利通の反対により、天皇は自らの決定をくつがえした。西郷は天皇に見捨てられた、と思ったであろう。
  •  のち、西南戦争の折、錦の御旗を飜(ひるがえ)して官軍が現われた時、西郷は有栖川宮熾仁(たるひと)親王に抗議の一文を奉っている。その中で西郷は、
    「恐れながら天子征討を私(わたくし)するものに陥り、千載の遺恨、此事(このこと)と存じ奉り候」
     と述べている。
  •  恐らく西郷は、かつて自分に向けられた海舟の言――ひいては、「討幕の密勅」を思い出していたに相違ない。西郷にとって「天」こそが、敬うべきすべてであった。「天子」はその具現者であるべきで、かつての己れと同様、誤ることもある、と彼は言いたかったのであろう。検証すればするほど、西郷はぜひにも、維新成就と共に、隠遁させてやるべきであった、とつくづく思う。
  •  しかし廃藩置県、秩禄(ちつろく)公債(こうさい)と、彼の声望抜きでは解決できない難問が、新政府には山積していた。
    「私には元帥にて近衛都督拝命仕り、当分、破裂弾中に昼寝いたし居り候」
     西郷は“破裂弾”の中で、心身共に疲れ切っていた。生死を超越した彼は、精神分析のフロイトがいった「生の目的は死である」を理解していたはずだ。
  •  人は普段、「よりよく生きよう」と考える。向上心、上昇志向、考え方にも建設的なものが多くあるのは、そのためである。それこそ西郷のいう、「敬天愛人」を意識するのもよい。
     だが、神経が疲れて病むと、人はプラス思考からマイナス思考へ、さらには破壊衝動にかられるようになり、憎悪を抱き、堕落願望を持つようになる。その行きつく先が、“死への願望(death desire)”である。一番よいタイミングで、納得のいく死に場所を見つけ、天に舞い上がりたい――。
  •  「今生きて在(い)る中の難儀さ」――これこそが、もしかすると西郷の人柄における、本質的な魅力であったのかもしれない。もともと繊細な神経の持ち主であった彼は、明治以降、前提としていた「人事を尽くして」の積極的な部分を放棄して、「天命」のみを待つようになった。
     西南戦争でも、西郷は薩軍の指揮をとっていない。
     その茫洋(ぼうよう)とした姿が、周囲には情に脆(もろ)い日本人の典型として、西郷をたたえることにもつながっているのであろうが、“滅びの美学“で消えていった西郷に、我々は決して学んではならない。
  •  学ぶべきは情に溺れぬ日本人の工夫、それこそ西郷の人間完成時に会得した「至誠の人」――そうなるためのプロセスであり、自分を愛さない心、そして心身共に健康である工夫に尽きよう。

挿絵:中村麻美

→HISTORY 06 西郷隆盛の失敗(前編)奮起と絶望と悟り

中堅・中小企業ラボ イトー所長の眼

王道経営を目指せば
従業員が会社を愛し守ってくれる

 「覇道」と「王道」は、古くは中国で重用された考え方です。武力を用いて権力を握り運営していくのが覇道である一方で、道徳により導いていくのが王道です。勝海舟から、自分のやり方を「王道ではなく、覇道である」と指摘されことは、西郷隆盛の後世を大きく変えたのではないでしょうか。

 今、若者に会社を選ぶ理由を聞くと、「待遇が良いこと」「福利厚生が充実していること」などに続いて、「働きがいを感じられること」「公正な会社であること」などが挙がります。今や、会社の成長性だけを重視する若者は減りつつあります。つまり、覇道・王道の比較で考えれば、王道の経営がより求められるようになっているのです。

 このところSNSや動画の普及により会社が抱えるレピュテーションリスクは膨らんでいます。有名人が来店したことをSNSで従業員が掲載したり、退職した元従業員が社内であった出来事を公開したりして問題になるケースは枚挙にいとまがありません。結果的に従業員に愛され、大切にしてもらえる会社、つまり王道経営を目指し実現する会社でなければ、生き残ることが難しくなりつつあるのです。

 ICTは経営の効率化を進めてくれますが、一方で十分な対策を取らなければ、情報漏えいなどの事故を起こしてしまうこともあります。どのようにICTを活用していくのか、様々なケースから学んでいくことも大切です。

伊藤暢人のプロフィール画像

伊藤暢人
いとう・ながと

日経BP総研
中堅・中小企業ラボ 所長

広島県出身。1990年に東京外国語大学を卒業し日経BP社に入社。新媒体開発、日経ビジネス、ロンドン支局などを経て、日経トップリーダー編集長に。2017年、中堅・中小企業ラボの設立に携わり所長に就任した。幅広い業界の中小企業経営に詳しく、経済産業省や東京都などが主催する賞の審査員を歴任。

ラボ概要

2017年4月に本格的に稼働した「日経BP総研 中小企業経営研究所」は18年4月に「日経BP総研 中堅・中小企業ラボ」と所名を変更し、中堅・中小企業の成長と経営健全化を支援するために活動を進化させています。これまで培ってきた経営・技術・生活分野での見識を活かし、情報発信や調査、教育、コンサルティングなど様々な形でサポートします。

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