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強い思いを貫く是非のジレンマ
西郷隆盛の失敗(前編)
奮起と絶望と悟り

このコラムでは、人気歴史作家・加来耕三氏が、中小企業経営で失敗しないための教訓を、歴史の断片を切り取って書き下ろします。

今回は、欧米列強に対抗できる日本の中央集権化、明治政府の樹立に多大な貢献をした西郷隆盛、その前編です。前編では、島津斉彬(なりあきら)に取り立てられるも、斉彬亡き後、入水自殺未遂、結婚、島流しなどと、西郷の波乱万丈の中年期までを描きます。

加来耕三氏は、西郷は偏屈な人物として、その名を後世に知られることもなく終わった可能性もあったとしています。西郷は、山あり谷ありの人生の中で、大成するための何を身に付けたのか、ここには中小企業の成長にも参考になるストーリーがあります。

中堅・中小企業ラボの伊藤暢人所長からも、今回のストーリーから何を見いだすべきか、そのヒントを提示します。

  • 加来耕三のプロフィール画像
  • 加来耕三
    かく・こうぞう

    1958年大阪市生まれ。奈良大学卒。歴史家・作家。『英雄たちの選択』『その時歴史が動いた』(いずれもNHK)、『世紀のワイドショー! ザ・今夜はヒストリー』(TBS)などに出演。著書に『西郷隆盛100の言葉』(潮新書)、『1868──明治が始まった年への旅』(時事通信社)など多数。

2度の配流

  •  幕末維新における西郷隆盛の存在は、時代の中で屹立(きつりつ)していた。その立場や思想、利害得失が複雑に絡み合う人々の中で、率先して幕藩体制に終止符を打ち、「討幕」から中央集権化という目標の下に、諸勢力を結集した。大政奉還後の王政復古の大号令から、鳥羽・伏見の戦い、江戸無血開城にいたるまで、明治政府の樹立をなし遂げ得たのは、ひとえに西郷の器量に負うところが大きかった。
  •  だが、こうした西郷の偉業も、多くは40代に入ってからのものであり、それまでの30代、彼が奄美大島や徳之島、沖永良部島(おきのえらぶじま)での、計5年余に及ぶ生活を強いられていた事実は、存外、見落とされがちである。
     西郷の2度にわたる配流は、それ以前の藩主・島津斉彬のスポークスマン(代弁者)としての、輝かしい実績があればあるほど、過去の栄光が重圧となって、我が身に覆い被さっていた。
  •  安政5年(1858)11月16日、挫折した西郷は失意の中、勤王僧・月照(げっしょう)と相擁して、月明かりの錦江湾に入水したが、32歳の西郷だけが昏睡(こんすい)状態から目醒(ざ)める。つまり、彼は死に損なったわけだ。恥の上塗りであった。
     奄美大島に約3年、わずか3カ月の帰藩を挟んで、西郷は再び徳之島、沖永良部島に約2年の流罪となった。38歳で再び召喚されるまでが、いわば、その前半生であったといえよう。
  •  文政10年(1827)12月7日(陰暦)、鹿児島の甲突川のほとり、加治屋町に生まれた彼は、下級城下士の長子であった。
  •  18歳のとき、今ならさしずめ役場と税務署を兼ねたような、“郡方書役助(こおりかたかきやくたすけ/助=見習)”の端役に就いたが、彼は10年間、一度も昇進することがなく、上司・同僚からは、今風にいう“空気”の読めないやつ、として嫌われ敬遠されていた。
     なにしろ自分が正しいと信じたことは、相手が上役であろうが目上の人であっても、決して容赦はしない。それで疎外されると、さらに上の上役に嚙(か)みついた。
    「御国(薩摩藩)ほど農政乱れたる所、決してござあるまじく(下略)」
  •  普通ならば、西郷はそのまま藩という組織から巧みに外されて、生涯、不平・不満をいう偏屈な人物として、その名を後世に知られることもなく終わったに違いない。
  •  西郷の幸運は、のちに彼が「お天道さまのような人でした」と泣きながら敬慕した、藩主島津斉彬に、その上申書を読まれたことに尽きた。
    「西郷のことを外々(そとそと)の者から、粗暴で同役との交わりもよくないと誹謗(ひぼう)する者が多かった」
     と斉彬も語っている。それでいてこの名君は、西郷の篤実で謹直な性格を買った。
    「用に立つ者は必ず俗人に誹謗されるものだ。今の世に人の褒める者は、あまり役に立つ者ではない。郡方では使い道があるまい。庭方(にわかた)勤務がよかろう」
  •  加えて、一目西郷を見た斉彬は、その風貌に引き付けられる。六尺豊かな偉丈夫が、燃えるような大きな瞳を輝かせている。身長五尺九寸(約180センチ)、体重二十九貫(約109キロ)――「おもしろい」と斉彬は思ったのではないか。
  •  嘉永7年(1854)正月、28歳になっていた西郷は、「庭方役」を拝命。斉彬の、非公式な秘書的役割を担う。当時、幕府はペリーの来航により、二つに割れていた。
     一つは老中首座・阿部正弘や斉彬など、開国派の陣営。いま一つは、幕政を飽くまでも譜代大名で独占すべし、とする守旧派の人々。この陣営には、後に大老となる彦根藩主の井伊直弼(なおすけ)がいた。当初、前者が優位であったが、39歳の若さで阿部が急逝すると、にわかに後者が勢力を盛り返す。
  •  両派の対立は、13代将軍・徳川家定(いえさだ)の後継者問題に絡んだ。
     将軍家定は幼少の頃から病弱で、まともに口をきくこともできない人。それゆえ将軍の名代=後継者を求める声は、重大な政治問題と化した。
     候補は2人――1人は、水戸藩主・徳川斉昭(なりあき)の第7子で“御三卿(ごさんきょう)”の一(いつ)・一橋家を継いだ一橋慶喜(よしのぶ)。英邁(えいまい)の誉れも高い21歳。もう1人が、血統では将軍家により近い、紀州藩主の徳川慶福(よしとみ/12歳)であった。
  •  結局、両派の争いは、井伊の大老就任による強権発動で決着がついた。彼は安政5年(1858)、ペリーの成果を受けて来日したハリスとの間に、朝廷に無断で日米修好通商条約を調印。14代将軍を慶福、改めて家茂(いえもち)と決して、多くの反対派に弾圧を断行した。世にいう、“安政の大獄”である。

  • 【西郷隆盛の失敗(前編)奮起と絶望と悟り】
  • 久光に流されたときには、戸もない草葺小屋の格子(ごうし)に留め置かれた。が、このとき西郷は悟る

苦悩の淵から

  •  西郷の幕末維新における活躍は、このような“安政の大獄”につながる事情を、踏まえておかねば理解しにくい。「庭方役」となった西郷は、もっぱら将軍継嗣問題を担当し、将軍慶喜を実現すべく、朝廷の条約反対を取りつけるなどに奔走した。
     その過程で、西郷の名は天下に知られ、薩摩藩の若手を代表する立場にまでたったのである。京都の清水寺の住職・月照と知己となるのも、この頃のこと。
  •  しかし、幕政改革派は一橋慶喜の擁立に失敗した。そのうえ、武装上洛を決断した斉彬まで急死してしまう。主君の死を知った西郷は、一度は「殉死」を決意する。が、亡き主君斉彬のためにも使命を果たさねばならない、と思い直したものの、井伊の弾圧は強力で、到底一個の西郷に抵抗できるものではなかった。
  •  己れのみか、同志の月照の身辺も危うくなり、西郷は薩摩国を目指さねばならなくなったが、月照は日向(ひゅうが/現・宮崎県)の国境で、斬ることを画策されるありさま。
     西郷は月照と入水自殺を図る。が、死にきれず、一人生き残って奄美大島の龍郷(たつごう)へ。流された西郷は、この地で生涯を終えるべく、あんご(島妻)の愛加那(あいかな/23歳)を娶(めと)り、子をもうけて、ささやかな平穏を得る。
  •  だが、ほどなく時勢が動き、藩からの召還命令で活動を再開した西郷だったが、主君斉彬に替わって藩権力を握った異母弟・島津久光を「ジゴロ」(薩摩言葉で田舎者の意)と呼び、久光の怒りに触れて、徳之島、ついで沖永良部島への流罪となってしまう。
  •  西郷は自らに迫る追罰――切腹と罪が妻子にも及ぶような――をひしひしと感じるようになっていた。
     西郷の牢(ろう)は、2坪ほどの草葺(ぶき)の小屋掛けとはいえ、四方格子造りで、風よけの戸もなかった。半分は厠(かわや)。板の衝立(ついたて)を挟んで、半分が筵(むしろ)敷き。立ち上がるだけの高さはない。むろん、独房である。錠は固く掛けられ、牢番監視のもと、西郷は以来、ここを一歩も出ず、ひたすら自分と向き合った。
  •  人間は各々の生活の場と時間、コミュニケーションによって成り立っている。
     ところが、西郷はそのうちの場とコミュニケーションを極端に遮断され、ありあまる時間のなかで、彼は徹底した囚人生活を強いられた。
     食事は冷えた麦の握り飯に焼塩だけ。わずかの真水。衣服や髪の手入れもなく、着替えもなかった。西郷は日の目を見ない生活を強制されたが、これは監視している久光に対して、規制を守って忍従している自らの姿を見せることが、最大のテーマであったように思われる。
  •  しかし、徹底的に自らを虐(いじ)め抜いたとき、西郷はそこに新しい自己を発見した。自己再生の糸口といってもよい。
     そして到達した西郷の悟りが、以下の名言である。
    「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。此の始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は無し得られぬなり」(『南洲翁遺訓』)
  •  もし、島役人の土持政照(つちもちまさてる)が、惻隠の情を解する人で、牢屋を改造して西郷を救済してくれなければ、そのまま西郷は沖永良部島で衰弱死していたに違いない。
  •  やがて薩摩藩は、急転する時勢の中で、ついに行き詰まりを見せる。藩政の実務をあずかる立場となっていた大久保一蔵(利通)は、この局面で西郷隆盛呼び戻し運動を展開。西郷嫌いの国父・久光を説得して、ようやくその実現、再活動に漕(こ)ぎ着けた。

挿絵:中村麻美

→HISTORY 07 西郷隆盛の失敗(後編)「天命」のみを待つ

中堅・中小企業ラボ イトー所長の眼

リーダーに必要なのは
考える時間と知識を得ること

 明治維新から満150年の今年、西郷隆盛が改めて注目を集めています。現代では、大柄な体躯と人を引き付ける抱擁力を持った人物だったとして広く知られていますが、それは経験を積んでからのことでした。今回の記事でも取り上げられているように、青年期には飛び抜けた個性が災いし、藩内で孤立し、反逆的と見なされ、幾度かいわゆる「島流し」も受けています。

 では、その間に、西郷が得たものはなんだったのでしょうか。実はリーダーに必要なのは、立ち止まって考える時間でもあります。毎日、走りながら集めてきた情報を、一旦整理するために仕事からあえて距離を置く必要があります。そのために、現代でも年に数日間、山籠もりをする経営者もいれば、秘書までもシャットアウトして1日でも2日でも自室にこもってしまうトップもいます。

 こうした機会にしっかりと考えるためには、質の高い情報を集めることが肝要です。他社の事例を見ながら、参考になる活用例がないか情報収集してみましょう。変化が激しい今日、経営者に求められるのは今の自分を取り巻く環境に適した情報と、それを消化する時間なのです。

 まずはICTの導入事例から見てみませんか?

伊藤暢人のプロフィール画像

伊藤暢人
いとう・ながと

日経BP総研
中堅・中小企業ラボ 所長

広島県出身。1990年に東京外国語大学を卒業し日経BP社に入社。新媒体開発、日経ビジネス、ロンドン支局などを経て、日経トップリーダー編集長に。2017年、中堅・中小企業ラボの設立に携わり所長に就任した。幅広い業界の中小企業経営に詳しく、経済産業省や東京都などが主催する賞の審査員を歴任。

ラボ概要

2017年4月に本格的に稼働した「日経BP総研 中小企業経営研究所」は18年4月に「日経BP総研 中堅・中小企業ラボ」と所名を変更し、中堅・中小企業の成長と経営健全化を支援するために活動を進化させています。これまで培ってきた経営・技術・生活分野での見識を活かし、情報発信や調査、教育、コンサルティングなど様々な形でサポートします。

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