日経BP総研 中堅・中小企業経営センターpresents 経営力向上ラボ HISTORY 05 日経BP総研 中堅・中小企業経営センターpresents 経営力向上ラボ HISTORY 05

時代を追いかけ続けることの難しさ
長宗我部元親、
四国統一の失敗

このコラムでは、人気歴史作家・加来耕三氏が、中小企業経営で失敗しないための教訓を、歴史の断片を切り取って書き下ろします。

今回は、情報戦を駆使し、独自の兵制の強みを生かして、四国を一時平定していた長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)を取り上げます。織田信長の時代から豊臣秀吉の時代に移る激動期に、長宗我部の強みは急激に時代遅れになっていたようです。元親の跡を継いだ盛親(もりちか)の代に長宗我部は国を失いました。

この物語には、情報を収集分析し行動しても、変化の激しい時代にキャッチアップし続けることは簡単でないこと、頼りにするはずだった後継者にも先立たれるという事業後継のリスクについても示されています。

中堅・中小企業ラボの伊藤暢人所長からも、今回のストーリーから何を見いだすべきか、そのヒントを提示します。

  • 加来耕三のプロフィール画像
  • 加来耕三
    かく・こうぞう

    1958年大阪市生まれ。奈良大学卒。歴史家・作家。『英雄たちの選択』『その時歴史が動いた』(いずれもNHK)、『世紀のワイドショー! ザ・今夜はヒストリー』(TBS)などに出演。著書に『謀略! 大坂城ーーなぜ、難攻不落の巨城は敗れたのか』(さくら舎)、『徳川三代記』(ポプラ社)など多数。

"四国の覇王"となり得た原動力

  •  戦国武将・長宗我部元親は、土佐(現・高知県)の小領主から身を起こし、土佐一国を平らげて、ついには四国全土をほぼ一代で征服した英傑である。
     中国地方の毛利氏、南九州の島津氏と並んで、西日本3大勢力の1つに数えられるまでにのし上がった。戦国の四国出身者で、元親の偉業に迫り得た人物はいない。彼は一際(ひときわ)輝く、明星であったといってよい。
  •  そのスタートは、土佐国内の岡豊(おこう、現・南国市)3000貫(年収約9000万円、1貫文=約3万円)の土豪にすぎなかった。
     背後に四国山脈が聳(そび)え、前方に太平洋の荒波がうずを巻いている。日本の"文明"は山脈の向こうにあり、土佐は平安時代から流罪となった人々が送られる僻地でもあった。
  •  明らかに"文明"の光は中央に比べてか細く、戦国時代ですら後進地であったことは否めない。何しろ豊臣秀吉の小田原攻めの折、まだ長宗我部家の将兵は馬に鞍を乗せることを知らなかった。彼らは、裸馬に乗っていたのである。
     鉄砲の数も、九州や中国地方に比べて、大きく後れを取っていた。すべては四国山脈と太平洋によって、遮断されていたといってよい。
  •  その不利を背負う元親が、それでも"四国の覇王"となれたのは、なぜかーー。
  •  原動力は2つ、1つは「一領具足(いちりょうぐそく)」といわれた独自の兵制にあり、もう1つは圧倒的に不利な地域にあることを自覚した、元親の徹底的な情報収集による外交戦が、他の四国の戦国武将たちに比べ、際立って相違していた。
  •  信濃(現・長野県)から流れてきたとされる長宗我部氏は、元親の父・国親がどうにか落ち目の家を支え、劣勢を跳ね返した。ようやくこれからーーというときに、土佐国内で大きく勢力を伸ばしていた本山茂辰(もとやましげとき)との戦いの最中、唐突に戦死してしまう。
  •  跡を継いだ元親は、"背が高くて色白"であり、性格は内向的、そのため家臣たちからは「姫若子(ひめわこ)」と陰口をきかれるありさま。とても、のちの荒々しいイメージとはほど遠い存在であった。初陣も永禄3年(1560)、22歳と遅かったが、国親が戦死し、元親をなめてかかった茂辰を、小よく大を制すで突き崩し、みごと元親は初陣を勝利で飾っている。
  •  のし上がるには、自らより大きな勢力を併合していかなければならない。
     真正面からの戦(いくさ)では勝てない。元親は常に、情報戦で大敵・難敵に優越した。
  •  土佐国司の一条氏と対峙(たいじ)したときも、当主兼定(かねさだ)が人望のある家老を手討ちにしたことを知ると、一条家の家臣団を懐柔し、兼定を隠居させて、その嫡子・吉房子(きっぽうし)に当主を替え、その妻に自らの娘を娶(めと)わせて、事実上、土佐一国を掌握した。天正3年(1575)、元親、37歳のときのことである。
  •  四国全土の制覇を目指す彼は、中央に最新の注意を払い、勃興した織田信長に対しては、徹底した"親和"外交を展開。その証左に、自らの妻も斎藤内蔵助利三(さいとうくらのすけとしみつ)につながりのある石谷光政(いしがいみつまさ)の娘(諸説あるが)をもらい、内蔵助の上司・明智光秀と太いパイプを築いて、信長の"天下布武"の進捗状況を把握していた。
     ちなみに、内蔵助の娘が春日局である。
     元親は四国平定の許しを信長に請い、嫡子・弥三郎に信長の一字を貰って「信親(のぶちか)」と名乗らせる演出も行なっていた。
  •  もっとも、信長は心底では元親の四国平定を許してはいなかった。ゆくゆくは武力で四国を平らげるつもりであったが、信長の予想を超えて元親の阿波(現・徳島県)をはじめ、近隣への攻略は凄まじいスピードで進められていく。
  •  この折活躍したのが、前述の「一領具足」であった。
     家臣たちがふだん農業に勤しみながら、田畑のあぜ道に槍の柄に草鞋(わらじ)や兵糧をくくりつけ、武具を一式整えておいて、いざ合戦の触れが出ると、鍬(くわ)や鎌を投げ捨て、その場から戦場へ駆けつけるという方式である。
     これが精強長宗我部軍団の、中核を成していた。

  • 【長宗我部元親、四国統一の失敗】一領具足 vs 秀吉軍
  • 総勢12万3000の秀吉軍が四国へーー。元親は地の利は我にありと思うも、圧倒的敵兵力は「一領具足」が勝てる道理のものではなかった。

己れの限界を知り、未来を読む

  •  信長の膨張により、一時は土佐一国へ封じ込められたかに見えた元親ではあったが、本能寺の変で信長が光秀に討たれると、これ幸いにと四国制覇へと加速する。阿波に出てきた讃岐(現・香川県)の十河存保(そごうながやす)を攻め、勝端城を落とし、岩倉城を取り、瞬く間に阿波を統一。讃岐の十河城も陥落させた。ところが逃げ場を失った存保が、ときの羽柴秀吉に救援を乞う。
  •  もともと、元親の織田家とのパイプ役は光秀であり、彼を滅ぼした秀吉と元親は組むことができない。織田家の重臣・柴田勝家も敗れると、元親は徳川家康、織田信雄(信長の次男)の連合軍側につく。
     この判断は間違っておらず、元親は四国全土をその勢力下に治めることができた。が、信雄が秀吉と単独講和をしてしまい、家康もその後、秀吉に膝を屈すると、元親は秀吉と真正面から戦う羽目に陥る。
  •  天正13年(1585)、総勢12万3000の大遠征軍が四国へ押し寄せてくる。元親は地の利は我にあり、とは思ったであろうが、圧倒的な敵兵力は「一領具足」がいかに巧みに奇襲戦を敢行しようとも、最終的に勝てる道理のものではなかった。
  •  すべては外交、情報戦であったが、中央に懸命の目配りをした分、元親の目は九州、中国地方にさほどむけられていたとはいえない。彼は中央の勢力を背景に、自らが先陣をきって、己(おの)が領土を九州、中国へ広げたいと考えていたのだから。
     それでも抗戦しつつ外交=講和をさぐり、元親は滅亡を免れて、どうにか土佐一国を安堵される結果を手にした。
  •  実は元親は、阿波・讃岐・伊予の三国を返上させられながら、まだ、自らの野望を諦めてはいなかったのである。かつて自らが父の遺産を引き継いだように、最愛の息子・信親の将来に期待を懸けていた。
     確かに、この後継者は元親が己が夢を託すだけのことのある、文武に恵まれた若武者、名将の器であった。
  •  ところが翌天正14年、秀吉による九州征伐の折、戸次川(へつぎがわ)の合戦で、この信親は戦死してしまう。享年22。一度に8人を斬り伏せたという、みごとな武将ぶりであったと伝えられている。
     「弓箭(きゅうせん)を執るの家、戦死を以(もっ)て栄と為す。悔い思ふべきにあらず」(『名将言行録』)と家臣には言ったものの、このとき恐らく元親は、己れの限界を思い知ったのではあるまいか。
  •  四国へ戻った彼は、次男・親和(ちかみず)、三男・親忠を差し置いて、四男・盛親を嗣子に定めた。しかも、この決定に反対する者は粛清し、長宗我部家を再編成している。少年の盛親を使って、もう一度、死んだ信親を己れの手で育ててみたい、再現したい、と元親は考えたのかもしれない。
     しかし、慶長4年(1599)5月、元親が62歳でこの世を去ると、翌年に起きた関ヶ原の戦いの中、西軍についた盛親は土佐一国を失ってしまう。
     信親が戦死したとき、元親の野望は潰(つい)えていた、と見るべきであろうか。

挿絵:中村麻美

中堅・中小企業ラボ イトー所長の眼

情報格差はユーザーの
心の中から
生まれる時代になりました

 この原稿を沖縄に向かう飛行機の中で書いています。

 戦国時代、土佐はまさに四国山脈と海に阻まれた遠い国でした。そこで政略を尽くした長宗我部元親は、情報を駆使して跋扈しました。距離を埋めるために、人脈を張り巡らせ情報をかき集めたのでしょう。

 いまや、インターネットやスマホの普及により、距離による情報格差は少なくなっています。東京から1500kmほど離れた沖縄に行っても、東京と同じか、もしかしたらもっと多くの情報に出合えるかもしれません。また、フライト中でもネットにつながる時代となり、場所による情報格差もどんどん小さくなっています。

 こうなると、格差はどこに生じるでしょうか。それはきっと使い手の考え方によって大きくも小さくもなるでしょう。情報端末は仕事の効率を引き上げる便利な道具であるはずです。詳しい社員がいないからとか、端末を入れ替えるのが面倒だからなどと消極的になっていては、環境の変化に追いつけなくなってしまいます。セキュリティ対策、フィンテックなどの分野では新しい技術が次々と開発されています。日頃から積極的な情報収集を心がけることで、自社に合うICT活用例が見えてきます。

 まずはICTの導入事例から見てみませんか?

伊藤暢人のプロフィール画像

伊藤暢人
いとう・ながと

日経BP総研
中堅・中小企業ラボ 所長

広島県出身。1990年に東京外国語大学を卒業し日経BP社に入社。新媒体開発、日経ビジネス、ロンドン支局などを経て、日経トップリーダー編集長に。2017年、中堅・中小企業ラボの設立に携わり所長に就任した。幅広い業界の中小企業経営に詳しく、経済産業省や東京都などが主催する賞の審査員を歴任。

ラボ概要

2017年4月に本格的に稼働した「日経BP総研 中小企業経営研究所」は18年4月に「日経BP総研 中堅・中小企業ラボ」と所名を変更し、中堅・中小企業の成長と経営健全化を支援するために活動を進化させています。これまで培ってきた経営・技術・生活分野での見識を活かし、情報発信や調査、教育、コンサルティングなど様々な形でサポートします。

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